寝台の傍らでぼんやりと頼りなさげな橙色の灯りを点すランプと、空調用のリモコン。其れらが乗せられた脚の短いチェストから取り上げたペットボトルの蓋を開けて唇を寄せると、無味の液体がゆるりと喉を塞いだ。

クーラーから細々と吐き出され続ける冷房に因り適度な涼やかさを保つ室内の空気とは異なり、容器の中で僅かばかり揺れる水は酷く微温くて不快感さえ誘い込む。
渇いた喉を潤す事は出来ても癒すには不十分な温度に思わず舌を打ちそうになって、唇の右端を若干曲げた所で思い止まったものの、余計に口の中が生温くなったように感じられて眉根を寄せた。今は煙草を嗜む気分にはなれない。

横で微動だにせず眠る女の、シーツに無造作に投げ出されて彼方此方へ毛先を広げている黒髪に右手を伸ばして一房を掬い上げる。九割程は直ぐに指と指の間を抜けて音も無く他の髪の上へ重なって同化した。
残った一割も次第に重力に従ってゆき、最終的にはほんの数本程度の髪達が獄寺の人差し指の第一関節と中指の付け根にぶら下がる。
ぶら下がって揺れる。獄寺が呼吸をする度に。吐息を殺してやれずに空中へ逃がす度、ゆらゆらと。



 「そういやお前って一回も髪染めた事とかねえな」
 何気無い言葉だった。だからこそ獄寺は何も気負う事無く、誰に遠慮するでも無く、ただ自らが一心に敬愛を注ぐ我らがボスの柔らかでまろやかなミルクティー色と隣に佇む女が持つ黒檀色を見比べた折にそう口にしたのだ。勿論、自分の発言に因って女がワイングラスを傾ける手を止めるだろうなどとは小指の爪の切れ端程も思っていなかったし、吊り目がちな瞳の奥がゆっくりと、それはもうゆっくりと冷めゆくだなんて予想もしていなかった。
 不意打ちだったのだ。お互いに。
 「ハルは真っ黒ですから」
 そう言って一気に赤葡萄酒を飲み干した女に、果たして何が言えたのだろう。
 髪か、瞳か、靴か。
 女があの時身に纏っていた黒色の、一体どれを指して真っ黒と称したのか獄寺には少しも分からなかった。けれども沢田綱吉と笹川京子の婚約祝いの場において女が黒いハイヒールを履いて来たのは単なる気紛れでは無かったのだと、其れだけを妙に確信した。
 髪なのか、瞳なのか、靴なのか、嗚呼それとも、




指を三回曲げる。其の動作だけで数本の髪は次々と宙に踊って眼下の髪の只中に埋もれていった。
今度は束ねた指先で髪を撫でる。流れを整えるように、正すように。艶やかな黒髪へと指先を這わせる。三浦ハルの最大にして最後の抵抗、其の証を慈しむ。

「真っ黒ですから。」?
嘘を吐け、
おまえはいつだって
お前は何時だって夜じゃあ無く朝を待ち焦がれていただろうに。
月が綺麗だとはしゃぎながら太陽に向かって手を伸ばしていただろうに。

微温いペットボトルを小机に戻してシーツの上に身体を横たえる。肌触りの良いブランケットを隣人の薄い肩に掛け直してやっても其の猫に似たしなやかな肢体は静かに眠り続け、呼吸までもが密やかに夜の仄暗さに紛れて溶けてゆく。
シーツの皺が織り成す波間に散らばった漆黒へ口付ける。唇を押し付けた毛先は冷たい。


「なあハル、お前の寝顔を眺めて髪を撫でてもやれない俺を根性無しだと笑ってはくれないか」


鼻先を撫でる髪は冷たい。
指先に触れた髪は冷たい。
嗚呼どうか、せめて朝陽がこの髪を温めてくれますよう。






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(title:リクエストに因り主催ブルーベルCP企画「ルージュは要らない」より使用)



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