フォークを噛む。がちりと音がして、舌の端に金属臭さが広がった。苦い。甘い。ぬるい。鉄の味がする生クリームは大層気持ちが悪くて思いきり顔をしかめたくなったけれど、自らの金と右手を使って得たケーキに対してそのような行為に及ぶのは何だか阿呆らしく思えて結局前歯でフォークを、食んだ。がちり。
 断りも入れずに向かい側の席に座ったフランは堂々とベルギー産のチョコレートを使用したザッハトルテを頬張っている。何時もはただぼんやりと目の前の空気だけを取り込んでいるような硝子玉じみた眼が、食する事の悦びには素直に喜色を孕んでいる様は、少しの違和感と多大な苛立ちをあたしの脳髄に突き立てる。生クリームはせめてもの、反発で。それなのに何であんたがチョコレートを食べるのよ。馬鹿馬鹿しい、気がする。

 「クロームさんが」

 ああ、今私の眉間に塗ったパウダー状のファンデーションはよれたかもしれない。眉を動かしたのは一秒にも満たない間だけれど、何せ化粧を終えてから七時間経っているのだ。そろそろ危ういだろう。
 チョコレートの濃厚で甘ったるい匂いを振り撒く唇がのんびりと動く。舌に褒美を与えているあいだ位は其の口を咀嚼する目的だけに使ってくれと言いたくて、だけど眉を寄せてしまった以上言える筈も無くて、口に入れたフォークを奥歯でがちがちと噛む。ぬるいし固い。

 フランは其の音に目線をちらりと上向けて、まるであたしを揶揄するかのようにフォークの先端に付着した黒いチョコレートの残骸を静かに舐め取った。
 揶揄などしていない、というより、元よりフランにはあたしを揶揄する理由も無いけれど、今日あたしは生クリームをたっぷり塗ったショートケーキを食べていたが故にそう思わせて欲しくなるのだ。「パティシエのお勧めケーキ5点詰め合わせ」なんて買うんじゃなかった。そうすれば、四角い箱の中身を覗き込んだフランが真っ先にザッハトルテを選ぶ可能性だって摘み取る事が出来た。いや違う、あたしがザッハトルテを、取れば?だけど今日は生クリームが食べたかった。まったく、偶に自分以外にも益の有る買い物をするとこれだ。

 「何よ」
 「師匠と連絡が取れたみたいですー。あ、あれって連絡って言うんですかね?交信?」
 「何だって良いわよ」
 「まあ取り敢えず、師匠の本体にはあまり影響無いみたいでーす。クロームさんはミルフィオーレのカッパから逃げる時に左腕折っちゃったみたいですけど」
 「…は?カッパ?」
 「正確には第8部隊の隊長ですけどー、頭に皿を乗っけたら完璧です」
 「あんたの言ってる事の方がよっぽど電波なんだけど」

 こいつのこういうところが嫌いだ。人よりも巧く無意識を武器にする。つまらなさそうな眸をしてみせる癖に、指の動きは淀み無くて、先回りをする。舌もよく動く。
 あたしという生き物の腹の中にもプライドは詰まっている。だから「弟子のあんたまでチョコレートをかじる必要があるの?」だなんて訊けやしない。代わりに頭の浅い部分で作り出した、あたしらしい言葉の羅列でありあたしらしい語調の台詞を舌に乗せるだけ。

 今日はあたしは生クリームが食べたかった。こいつの前でチョコレートを口にしたくなかったから。一人でソファを占領出来る夜に、しつこい位の甘さに唇を曲げてみたかったから。だけれど先回りされて、ベルギー産まれの芳醇な香りは既にフランが食ってしまった。フランがあたしの内心を知る訳は無い。だからこそ、だからこそあたしは馬鹿馬鹿しくて、生クリームを苦いと感じている。

 「知ってましたか、ミーは人の気持ちを加工出来るんですよ」
 「今度は何」
 「デリケートな話ですよ、M.Mさん。ミーは誰かさんの目がピンク色になってしまうのを防ぐ事が出来ます。例えばですけどー、フォークが一本有ればそれが可能なんですよね。いかにも何かを引っ掻き回しそうな形でしょ、これ」

 四つに別れたフォークの先端がくるくる踊って宙に歪な波を描く。銀色を弄ぶように揺らす三本の指。しかし次の瞬間、フランは残り少なくなっていたザッハトルテに対し何の感情を覗かせるでも無く真上から銀を突き立てた。けれども固いチョコレートで表面を覆われたケーキは倒れず、自らにとって鈍く凶暴な光を放つ其れを静かに受け入れた。
 妙なオブジェに成ったスイーツを凝視するあたしを、フランが視る。刺さる視線。フォークのように。ピンク色なんて何処にも無い、のに、どうしてあたしの心臓は嫌な喚き方をするのだろう。フランが言っているのは例え話だ。ねえ、そうでしょう?

 「それと敢えてあなたに教えておきます。ミー、チョコレートは別に好きでは無いんですよねー」

 刺さる視線。フォークよりも鋭く、張り付くような。フランの人差し指が動く。やはり淀み無く持ち上がり、少しだけ関節が曲がり、銀食器の端を指先でそっと押す。力が加えられる程に艶やかな黒には細かな皹が入って、フォークはと言えば更に下へ沈んで。

 「だからって笑顔であなたにハイどうぞ、なんて渡せる訳は無いんですけど。知ってました?ミーの性別って雄なんですよ」

 回転する。爛々と光る無機物の柄、チョコレートの屑、削り取られた断面、理想の夜。あたしが知りたくなかった甘さ、あたしの知らない二つの目玉、嗚呼皮肉を産む唇が銀色を食む。

 「これも一種のマーキング。なーんちゃっ、て」








‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

一周年ありがとう企画/はこさんへ

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -