黒豹が呻く
黒猫は俯く




 髑髏が其の、滑らかな曲線を描く両肩を剥き出しにして佇むバルコニーから臨む空は広い。
 其れは山中にヴァリアーの屋敷を建てる際ザンザスが自らの周囲から排気ガスを徹底的に排除しようとした証、且つスクアーロがそんな主の希望を叶えるべく奔走し尽力した結果で、加えてルッスーリアが建築会社の業者に対して窓の位置に関する注文書を細やかに仕上げた事で発生した現実だった。
 更に先日フランとベルフェゴールが一時的に結託し屋敷の周囲にてレヴィを追い掛け回したが故に、屋敷を囲むように円形に植えられた針葉樹林は一部がごっそりと欠けて――厳密に言えば嵐属性の炎が木に飛び火して焼け落ちた為にやむ無く伐採されて――其処にも空が覗くといった具合になっている。

 「オイ、」遠くに在る街灯りの切れ端も見えないような黒々とした空を眺めていたらしい髑髏は、恐らく自分に対して掛けられたのだろう呼び声に反応して素直に首を回した。しかし髑髏が顔を振り向かせた方向は右側だった。
 ザンザスが佇む位置が髑髏の右斜め後ろであったのだから其れは極自然な事で、ザンザスが網膜に捉えた髑髏の顔に眼では無く小さな頭蓋が貼り付いていた事も、同様に自然な姿だった。

 髑髏は暫く沈黙した。眼帯の向こう側に居るザンザスがどういった出で立ちで以て其処に居るのか、窓枠に凭れているのか否か、何一つ視覚情報は得られない筈であるのに沈黙して、それから顔の向きを戻した。
 舌打ちをする。だが髑髏の薄っぺらい肩は強張る素振りさえ見せない。頑固剣呑虚勢余裕、どれにも当て嵌まらない髑髏の気配に、舌打ちを。
 夏の終わりに肩を晒す。震えずにただ夜風に因って表面温度を下げる。そんな小娘の心の内などザンザスに解せる訳は無かったし、先ず別段興味も必要性も抱いていない。

 けれども自らの十指を組んで両腕を手摺にだらりと預ける仕種には、寒々しい程の孤独が透けて見えるから、やはりザンザスは舌を打ちたくなるのだ。母の温度など識るものかと、互いに言い捨ててしまいたいのだと知っている。
 人間よりも強い生物に産まれたかった。
 牙が欲しかった。だが髑髏の場合は翼が欲しかったのだろう、何故ならああも空を見上げているのだ。両足で踏む世界の表層の脆さをこそ、知りたくなかったのかもしれない。だがそんな事柄はどれもザンザスの溜め息一つで散り散りに霞むような些事だ。いっそ蹴散らしてやろうか。

 そうして叫ぶのだ、「アーメン」

 ぬるりとした夜の気配が地を這う。空を眺めたとて来るべき朝日に目を潰されて終いだ、陽光は針に似ている。嗚呼其れならばいっそ蹴散らして、

 「オイ」

 人差し指から小指までの四指に、鼻梁から額へと連なる薄っぺらくて頼りない皮膚の質感と頭蓋の軽さが伝わる。この儘片手に力を込めたなら髑髏の頭は容易くぱきりと造形を崩してしまいそうで、其の想像はザンザスの指先を少なからず冷えさせた。肩も額も腕も腹も薄い。其れならばいっそ。

 「中へ入れ。テメェが外をうろつくとルッスーリアが騒ぐ」

 髑髏がワンピース、或いはブラウス、でなければキャミソールを着てバルコニーやらテラスやらに両足を進める度に「冷えは女の大敵なのよ」と宣って毛布片手に走り回るルッスーリアは今夜も廊下を駆けている事だろう。まさか髑髏がボスの私室に居るとは想定出来ていないだろうから、今頃は何時もより幾分多くの汗を額に滲ませているのかもしれない。フェミストには程遠い只の過保護な人物である。

 掌に髪が擦れてざらりと微かな音を生む。男の手に因って視界の中の夜を奪われた髑髏は三秒間だけ一切合切の身体的行動を止めると、それから瞼を伏せた。ザンザスがそうと知り得た理由は、彼の掌の皮膚を髑髏の睫毛が引っ掻いたからに他ならない。

 「沈んだ先に音は無ぇ」

 瞬間 ――髑髏の其の、滑らかな曲線を描く両肩は震えた。何度も瞳が瞬きをして、其の都度ザンザスの手は睫毛に引っ掻かれる。
 かつて十代目候補と指輪の争奪戦を繰り広げた際にも守護者として戦闘員の立場に在った髑髏だ、揺りかごの件についても最低限の情報ぐらいは頭の隅に転がっているのだろう。但し、共感する為には医療器具が発する電子音の追憶が邪魔をするだろうが。

 「テメェの行いは意味を持たねえ。地上にいる時点で五感は遮断されているんだからな。何年目だ、足掻く夜は」

 髑髏の睫毛はいよいよ震え出した。だが果たして其の隻眼が濡れているのか否かの答えは、ザンザスが自動的に入手出来る情報の中には含まれていなかった。何故ならザンザスは髑髏の右斜め後ろに立っていて、指先は鼻梁から額にかけて触れていたからだ。

 足元を這う冷気が苦手だと、互いに言えずにいるのだと知っている。孤独の影を見たくはなくて。愛を追った日の自分は、もう居ないから。

 「でも、私は、」
 「眠れ」

 眠れ。両肩を冷やす夜はまた来るぞ。
 お前にも、水底に揺蕩うお前の第二の心臓にも。

 いっそ、せめて眼を塞いでやろうか。








‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

「深海魚」さまに提出
ヴィデンチェに居る骸を夜毎案じる髑髏。

因みに罠のひとつはザンザスの部屋にバルコニーが在る事、もうひとつはザンザスが髑髏の背後に立った事です。あなたのお好きな解釈で読んで頂けたら幸せ。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -