「いれもので居る、ってどんな気分?」


声が降ってきた。そう思うと、最早髑髏は顔を上げる気にはならなかった。
銀が翻る。細身のフォークを捉える指が絶妙な力加減で食器を操り、鋏の身によく似た切っ先は豪快にずぶりと皿の中へ埋もれていった。視界に被さる前髪の間から見える其の光景に髑髏の背筋が震える。

白蘭の手元には緑色が居座っている。其れは髑髏の眼前も同じ事で(――しかしながら決定的な違いが二つ程在ったが――)、瑞々しい生気と僅かな水滴を滴らせるレタスと水菜と胡瓜とアスパラガスが、何れも清涼感さえ帯びていそうな美しい緑色を有して皿に盛り付けられ、何かしらのドレッシング或いはソースで汚される其の時を待っている。日本人である髑髏に合わせてか和風の味付けで作られたと思わしきソースの入った掌程度の大きさの小瓶を見つめる間にも、前方で奥歯が胡瓜を噛み潰す音が三回聴こえた。
もう一度、男が侵略と咀嚼を繰り返す皿の中を見遣る。見間違いなどでは無く、葉を濡らしているのは真っ白なシーザードレッシングだった。そして器も同じく真っ白で、アスパラガス一切れ、水菜一本が白蘭の口の中へと運ばれる度に白の面積は広がるのに皿が汚れているのかどうかは全く判らない。ただただ、歯がギロチンの代役を果たしている事だけが確かだ。右目が疼く気がする。


「君の自己犠牲はさ、尊いものだと思うよ?受け皿になるのは案外簡単なんだ。受けるだけで、包む必要は無いからね。だけど君はちゃんとした器になっちゃったんでしょ。受け止めて、こぼさないように配慮して、だけど何も残りはしない。大した愛情だよ」


銀が踊る。切っ先が皿の縁に落ち着いた事は、終了の合図以外のなにものでも無い。卓にはまた一つ白が増えた。


「そんなんで君の腹が膨れるとはどうしても思えないんだけど、」


正直が取り柄の身体は空腹を訴えている。胃がまるで、空気の抜けた風船のようにぺしゃりと潰れてしまったかのような錯覚を覚えながら黙って胡瓜の断面とレタスの皺を眺めていると、白蘭が徐に席を立った。


「ねえ。利己的に他者へ憐憫を向けるって気持ちが良いものなの?」


元々然して開いていなかった距離は直ぐに縮まる。そうして髑髏の右隣へ辿り着いた白蘭の右手がゆっくりと持ち上がり、緩やかに曲げられた指がドレッシングの入った陶器を捉え、予め描かれた線をなぞるかのような無駄の無い動きで手首を傾けて髑髏の目の前にある皿に色を加えてゆく過程を、髑髏は呆然と眺めているしか無かった。白蘭はドレッシングを静かに、しかし一切の遠慮なく垂らしながら問い掛けてきたのだ。
茶色くて透明度の高い液体と共に流れ出てきた玉葱の欠片がレタスの葉の上を滑り落ちて、アスパラガスの下へ入って見えなくなる。そんな事には見向きもしない儘冷めた視線だけを浴びせてくる白蘭に、遂に髑髏が両手を動かして己の両耳を塞ぐ。其処で漸く白蘭は小さな器をテーブルに戻した。中を満たしていた調味料は、全て皿に注いだからだ。

そうして白蘭は人より少しばかり温度の低い自分の指を、髑髏は其の事実を知る由も無いと識った上で髑髏の手首に絡めて、夜会で女性をエスコートする際の仕種と殆ど同様の丁寧さで耳から剥がさせた。指には脈動が伝わる。
自己防衛の手段を失った髑髏が困惑しきった隻眼を忙しなく瞬かせると、白蘭は態と髑髏の右側へ(――半月の真似をする唇を見られても何の問題も無かったが――)顔を近付けた。


「だってそうだろ?愛したいんじゃない。彼を引き摺り降ろしたいんだ。優越感より、寂漠の侘しさよりも孤独が怖いから、君は彼と一つに成りたがらない。心臓が千切れたら痛いからね、あくまで受け入れて哀れんで消化したいのさ、君は。そういう所、僕と似てるよ」


白蘭は自らの唇を、ピアスも何も開いておらず飾り気の無い冷たい耳朶の二センチ手前まで寄せた。けれども吐き出す吐息だけは変わらぬ調子の儘でほんの少しだけ声を落とす。

次に夢で逢ったなら、彼に魔法の呪文を言ってあげなよ。たった四文字で良い。…あ、でも君は彼には丁寧な言葉を使うんだったね。じゃあ七文字だ。それから食事の約束でも取り付けたら?普段からこれだけ献身的に身も心も空っぽにしているんだから、偶には可愛い我が儘を言ったって大丈夫だよ。ようく頭を回してごらん。彼は人間だ。って事は、……ね?結局は、女の腹で××××いたんだよ、誰も彼もね。だからおやすみって、それだけで良いんだよ。

右目が疼く。
ドレッシングの良い香りがする。
空腹に喘ぐ髑髏の胃が小さく鳴いた。
まるで讃美歌のように滑らかに吐き出される声と、只の料理になってしまった緑色のもの達と、それから胸中に潜む焦げ付いた愛。


どうぞ召し上がれ。


わたしのフォークは何処に在るの?







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(title:レシタティーブ)

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