「…違い、ます」
「いいや、正解だ。思い返すと良い。君の胸を塞いだのは彼かもしれない。けれど自ら口を開く相手は、誰だった?君の頭の中を彼が埋める度に、君の顔が涙と鼻水で濡れる度に、他でも無い君が自分から視界に入れたのは。玄関のチャイムを押したのは。逃げ込んだのは。君の内側に在るピラミッドの頂点、最優先事項は君自身の感情だろうけど、次点は、」
「何で女の子に向かって鼻水とか言うんですか…」
「次点は僕だ。そして君は今また、逃げようとしている。咎めやしないさ、それは本能だ。だけど逃げられないよ三浦。君の逃げ場所は此処にしか無い」


違うと、言いたいようだった。けれどもハルの、冬場の真っ只中に佇んでいるにも関わらずリップクリームを塗り忘れたが故にかさついて少し皮の剥けた唇は其の隙間から小さな前歯の一端と柔らかな舌の色を少し外部に晒しただけで、違うとは言わなかった。無駄だと思ったのだろう。いいや察したと言うべきか。
ハルが其のしなやかな背をぴたりと張りつけている固い扉は紛れも無く雲雀が住まうマンションの出入り口たる扉であり、檻であり、具現化されハルに因って投影された蜘蛛の糸の別形態であった。ハルが幾度異を唱えても、誰も其れに同調したりはしないのだ。扉の向こうは寒々しい。

そうして黙り込んだハルは、次に恐る恐る両手指を組んで胸元に寄せた。いっそ愛しい位の防衛本能。願うように十指を絡ませる其の姿は、彼女が瞳を煌めかせて偶像を語る際に良く見られる。きっとハルは知っていたに違いない。
「ハルは、―――」
きっと踏まえていたに違いない。ただの夢と、夢想と云う行為の間に横たわる差異がどれ程に大きくて、且つ冷えきっていたかを。解っていたから何時でも夢を観て、両腕を目一杯に広げ、愛の無料配布に勤しんでいた。好意と呼ばれる次元で止められなかったのは、ハルが本当に、愛したかったからだろう。愛されたかったからだろう。

穏やかな両親に見守られてクラブ活動にも精を出して時折非日常の中へと無防備な身体を差し出して、しかし、何処にもハルの何かを焦がしてくれるような愛は無かったのだ。だから憧れて、だから渇いて、だから喉を潤すが如く愛を飲み干したかった。循環するように、愛を、情愛を、ヒトの体内を充たせる其れを与えたかった。摂取し合いたかった。乾いたスポンジが水を吸うように。
そして叶わない恋模様を、望まない飢えを知ってスポンジは千切れる。垂れ流し状態の愛の滓を抱きしめる受け皿、つまりは雲雀と言う存在に向かって、遂にはハルの脚は駆け出す始末になっていた。


「僕らが体現するのはありがちなメロドラマの、お約束のオチさ。どうせ今までも主役の女優に向かって画面越しに説教かましてたんだろう?最後まで愛を貫けと。君が言えた台詞じゃない」
「ハルは、それをハルが不必要だと判断した場合での慰めや心配は欲しくなかっただけで…」
「とんだ我が儘だね。周囲全てが君を慮りつつ生きろって?まあ、僕は君が望まない事はともかく求める事であれば対処はするけど」
「ハルは…ドラマの女優さんみたいな躓き方をした訳、じゃ」
「そうだね。君は僕を利用しなかったし、この家のソファーを当てにしてはいても僕そのものを使おうとはしなかった。その点君はドラマ内のキャラクターより利己的で、テリトリーの示し方を心得ている。だから僕は文句を言わなかったんだよ、分かるかい?」


ハルを扉の前まで追いやり、滑らかな表面をした其の白い扉へと右手をついて鼻先をハルの額の直ぐ傍に寄せた体勢の儘で雲雀が淡々と彼女の退路をことごとく潰していくと、組まれた指が少しばかり緩んだ。雲雀の放った、けなした上で褒めたような言葉の並びと肯定と否定を混ぜた物言いにすっかり意識を捕らわれていると判る。

疲れただろう?あたたかい毛布に身を委ねて、脚を休めれば良いじゃないか。誰もそんな君に呆れたりなどしないさ。許してあげる。認めてあげる。ああ、こんな風に上からものを言うのは良くないね。
だけど君、自覚したくは無いんだろう。ならば最早掌で目隠しをするしか無いじゃないか。

外気に冷やされた左手を目の前の首筋に添える。手首の付け根からそれぞれの指の先までじわりと染みる体温と、少し間隔の短い脈動が表皮に伝わる。
確かな温かさを有する肌は熱いと称するには些か微温くて、だけれどやはり着実に雲雀が持つ表面温度を吸い取ってゆく。それからハルの孕む内在温度が皮膚に滲み出して雲雀の左手を喰らう。共存する感覚。愛すべき臆病さと貪欲さ。ほら見ろ心臓はそんなにも正直者だ。


「もう一度言おう。君が欲しいのは単なる愛の塊なんかじゃなくて、」


祈るかのように絡められた指がばらばらに解ける。さあ、僕の鼓動に縋れ。





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(title:nya)
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