瞼を伏せる。皮膚の、真っ暗な裏側でちかちかと星が―― 否、モザイクに良く似た暖色も寒色も一緒くたの何かが爆ぜた。その儘もう少しだけ強く目を瞑る。途端に染みるような痛みが瞼と眼球の隙間をじわじわと這って、自然と涙が滲んできた。睡眠不足の度合いと、疲れ具合が知れる。

…………………………。
雨が騒がしい。

空気中で水の粒同士がぶつかる音、飛沫が地面にぶつかる音、既存の水溜まりに水滴がぶつかって跳ねる音、雨が屋根に、誰かの靴の爪先に、車のボンネットに、傘の生地にぶつかって散り散りに成る音が……嗚呼、クラリネットを滅茶苦茶に吹きならせば私の鼓膜は数秒程度の安寧なら得られるのだろうか。其の後に訪れるだろう冷えた虚しさと、何かしらに対する嫌悪感を思えば、そんな思い付きを実行する意気はそれこそ雨粒ほども沸かないけれど。


「煩いわ。あんたみたい」
「こんなに長い間延々と騒がしくしていられるか」
「一応とは言え雨を司ってるならこの辺一帯の雨雲ぐらい消してみせなさいよ」
「無茶言え。たかが人間に、んな魔法みたいな事が出来る訳がねえだろぉ」
「あら、日本の諭吉やアメリカのベンジャミンは魔法を使えるわよ?」
「そりゃ紙幣が服やら料理やらに化けてるだけだろうがぁ」
「夢の無い事言わないでくれる」
「お前の口から夢がどうとかって聞くと違和感しかねえな」


シーツに左の頬を寄せた私の左隣に、真夏の夜中に墓地にでも出向けば確実に幽霊扱いされそうな長い髪が在る。冬場の墓地に出向けばリャナンシーか、でなければ日本古来の妖たる雪女とでも称されるだろうか。それ位に視界の中の銀髪は長く、細く、……真っ直ぐであるが故に雨の軌跡に似ていて。綺麗で嫌味ったらしい。綺麗だと思ってしまった事も何だか癪だ。
私は私で良かったと思う。今まで髪を染めようと言う気持ちに至らなかった理由はただ一つ、この地毛の髪色が私に似合っていたからだ。

雨が降っている空気中の光景を切り取って押し固めたような髪の束は静かに沈黙している。だから雨に似ていても、取り敢えずは許容した。
…………………。
雨がやまない。
騒がしい。煩い。喧しい。煩わしい。鬱陶しい。苛立たしい。
さびしい。寒くはないの。ねえ雨雲を千切って、生ごみ入れにでも放り込んでよ。其の雲の切れ目から蒼色が覗いたら、そしたら、フレンチを奢ってあげても良いわ。稀に見る大盤振る舞いでしょう。


「雨を止めてよ。じゃなきゃ雨雲だけを消して」
「放っとけばどっちも風に流されて退く。もう寝ちまえ、どうせ昨日も満足に寝てねえんだろぉ」


当たり前だ。雨が降り出したのは、水滴が地を侵食し始めたのは一昨日の深夜なのだから。
買ってからまだ二回しか履いていないショートブーツの出番がやって来ない。だってあの靴、とても良い革を使っているんだもの。そもそも泥汚れが付いてしまうような道は歩いたりなどしないけれど、雨って奴はどんな飛び散り方をするか判らない。裏切られた事も多々有るし、無地の筈の服や靴が水玉模様を描いた事も有った。両手の指じゃ足りない位の回数は、有った。

唇が落ちる。私の気に入りの絶妙な緋に触れる。乾いて、しかし艶の有る其の赤色は、私の頬を掠める銀色とは違って雨に似ている箇所など何一つ無い。もしこの傍らの銀色のように長々と髪を伸ばしたとしても、私が雨を心地好く想う事は無いだろう。


「明日になっても雨がやんでなかったら、傘を一つ買ってやるよ」


また唇が落ちる。今度は赤には触れなかった。微かな鈍痛を訴える眼球、を、覆う瞼を掠めた其れが、確かに体温を含んでいたから、もう一度「煩いわ」とは言えなかった。再び「雨を止めてよ」、とも言えなかった。


しかしわたしはたまらなく愛しいキスに腹を立ててみたかった





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(title:深爪)
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