任務を終えて部屋に戻ると、何故か燐がソファで爆睡していた。

「……おい」

 玄関の鍵は今しがた開けたばかりである。当然のことだが勝呂は燐に合鍵など渡していないので、来たとするなら豪快に開け放たれている(出る時にはきっちりと閉めていた)窓からであろうが、ここは三階だ。まさかわざわざよじ登ってきたのだろうか。
 靴はどこにやったのやら、少しだぼついたズボンから覗く素足。悪魔の弱点であるという尻尾は無防備にふよふよと揺れている。いい夢でも見ているのか寝顔はやけに気持ちよさそうだった。完全に寛ぎきっている。勝呂の部屋で。

「……奥村、お前何しとん」
「ん、ぅ」

 荷物を置いて近づき、額を軽く小突くも、返ってくるのは明瞭さを欠いた声と僅かな身じろぎだけ。それすら数秒の後には穏やかな寝息に変わる。何度か揺すってもびくともしない、どうやら相当にここがお気に召したらしい。
 はあ、と一つため息。燐がこちらの予想もつかないような行動に出るのは今に始まったことではない。とりあえずブランケットでも持ってきてやろうと押入れに向かった。今の季節を考えても燐の体質を考えてもないことだとは思うが、万一風邪でも引かれては困る。

「寝るなら自分の部屋で寝ぇや」
「んー……」

 ばさ、と持ってきたブランケットを少し乱雑に掛けてやる。燐は小さく唸ると、さして肌触りのよくないそれを握り締めて気持ちよさそうに擦り寄った。その仕草が彼の使い魔によく似ているものだから、飼い主はペットに似るんか、などとくだらない思考が頭を過ぎる。
 特にすることも見当たらないまま何とはなしにその様子を観察していると、ふと燐の手が何かを握っていることに気付く。なんとなく気になって覗き込もうと体を寄せたその時、

 りりりりりりりりりりり。

「うお!?」
「ふあ?」

 突然の大音量に思わず跳び退る。音源はどうやら握りこまれたその何かであるらしい、りりりりりりりり、間近で響くけたたましい音に流石の燐も目を覚ました。
 寝ぼけ眼を擦って体を起こし、音源であるそれ(手の位置がずれたことでそれが携帯であることに勝呂はようやく気付いた)のボタンを操作する燐。サブ画面が明るくなって23:55と時刻を表示するのと同時にようやく鼓膜への刺激が止む。安堵の息を漏らし、勝呂は耳を押さえた。まだ耳鳴りがする。

「な、なんちゅー音量でアラーム掛けてんのや……!」
「お?おお、悪い悪い」

 えへ、と首を傾げて笑う燐に悪意の欠片もないのが余計に憎らしかった。しばいたろか。
 怒りを堪える勝呂をよそに燐はきょろきょろと辺りを見回し、それから何か気づいたように携帯を見た。あとにふん、と唇が動く。時間を確認したのだろうか。
 これありがとな、と無用になったブランケットを渡されて、気遣いを知られた微妙な気恥しさを覚えながらしまいに戻る。手早く畳んで押入れに押し込みながら横目でちらりと見遣れば、燐は何やらそわそわと落ち着きなく携帯を弄っていた。

「で、お前何しに――」
「よっし、じゅーにじ!」

 掛けようとした言葉は勢いよく立ち上がった音と気合の入った声にかき消された。
 燐はごそごそと掛けていたバッグから赤いリボンを取り出すと、やけに器用な手つきで首に巻きだした。きゅっと綺麗な蝶結び。
 そして。

「ハッピーバースデー、勝呂!!」

 満面の笑みとともに全力で飛びつかれた。

「……は、」

 どないな状況やこれは。フリーズした頭はこのシチュエーションが異常であるということしか教えてくれない。あと加減が下手なせいでやたら背中が痛い。この馬鹿力め。
 勝呂の気も知らず楽しそうに擦り寄る燐、いや勝呂とて嬉しくないわけではないが、生憎とこの急展開について行けるほどの頭は持ち合わせていなかった。首のリボンがやけに鮮やかである。リボン?
 そこではたと気づく。まさかこれは。

「……もしかせんでも、これは自分をプレゼントとかそないな」
「そうだけど?」

 何かおかしいのかとばかりに燐が首を傾げるのに眩暈を感じて、勝呂は思わず目を閉じた。変なところで常識が抜けている奴だとは思っていたが、ここまでぶっ飛んでいるとはさすがに予想外だ。
 刺激的に過ぎる状況からなるべく意識を逸らしながら、とりあえずまず確認したい問いを燐に投げかける。

「情報源は誰や」
「志摩!」
「よしあいつ明日しばくわ」

 見た目もピンクなら頭の中まで華やからしい幼馴染に鉄拳を食らわせるところを想像しながら、勝呂はそっと体を離した。本当にいちいち心臓に悪い。
 その表情を不機嫌と取ったのか、燐の顔が不安そうに変わる。しゅん、と落ち込んだような空気。

「……嬉しくなかったか?いい案だと思ったんだけど」
「いや、祝ってくれた気持ちは嬉しい。嬉しいが色々あかん気がする」
「あかんのか?」

 無邪気な顔で見上げてくるあたり、その意図はよくわかっていなかったのだろう。無意識に理性を刺激してくる燐にいっそ恐ろしささえ感じながら、わしわしと乱雑に頭を撫でた。
方法はどうあれ燐がわざわざ勝呂を祝うためにここまできてこんなことまでしてくれたことは事実であり、またそれを嬉しいと思っているその言葉も事実である。ありがとぉな、言えば燐は一度きょとん、と不意をつかれたような顔をしてから、それを本心と理解したのかひどくうれしそうに笑った。

「んー、でもこれじゃプレゼントなくなっちまうなあ……」
「祝ってくれたやろ」
「形って大事っていうだろ!ちょっと待ってろ」

 結んだ蝶を揺らしながら燐がバッグを取りに戻る。がさごそと何かを探すような仕草、楽しげに尻尾が揺れる。本当に感情の動きがわかりやすい奴だな、とぼんやり思った。
 やがて目当てのものを見つけたらしくぱたぱたと戻ってくると、燐は手にしたものを勝呂の目の前に突き付けてきた。赤と青のビーズが交互に組まれているそれは、ブレスレットだろうか。

「志摩と相談する前は、これやろうと思ってたんだ。自分で作ったやつだからあんま綺麗じゃねーけど……」
「自分でって……こないな細かいもん作ったんか、お前」
「おう、これでも結構手先使うの得意なんだぜ?出雲に教わったらなんか簡単そうだったから」

 俺がプレゼントじゃだめなら、これやる。
 揺れるブレスレットはそれなりに手間がかかっただろうことを容易に想像させるぐらいにはいい出来のものであった。それを横に置いて自分にリボンを巻くような発想に至ったその精神構造は正直理解しがたいものではあるが、それだけ想われていることを感じるのは決して悪い気分ではない。
 燐の真っ直ぐな好意は心地がよかった。勝呂と燐を取り巻くしがらみを超えてでも傍にいたいと思えるほどには。

「……ありがとぉな」

 今度はしっかりと受け取ると、試しに腕に通してみた。少しサイズは大きいが、付け心地は悪くない。赤と青という配色にも込められているものを感じて、ふっと笑みが零れた。
 その手で再び燐の頭を掻きまわす。きょとんとした瞳の青は、やはり同じ色だった。
 燐がしあわせそうに、笑う。

「おう!」



(きみと祝う午前零時)