いつ帰ってこいだとか、いつは会いたいだとか、そんなのは言うつもりもなかったし強要するのも嫌いだった。でもなんでこんなに自分はイライラしてしまっているのだろう、とレッドは大きく息を吸って胸にためたのち、はあ、と溜め息として吐き出した。
 テレビの中でも買い物に行っても、いやになってしまうほど世間は恋人たちを歌った曲を垂れ流しにしていて、レッドは“クリスマス”という存在を漸く思い出す。外界とは無縁の生活を長く送っていたため、イベント事には疎くなっているなあ、と頭を掻きながらスーパーの食品売り場で立ち尽くしてしまったのは記憶に新しい。グリーンは帰ってくるだろうか、と考える。クリスマスイブの昨日、これだけ周りが大騒ぎをしていたら何かあることくらいは気付いて帰ってくるだろうか、と考えてしまう自分がいやだった。だけど手に持ったかごには普段より少しいい食材を入れてしまう自分は馬鹿だなあ、と思いながら苦笑してしまったのを覚えている。
 グリーンが家に帰ってくるのは、不定期だ。突然深夜に帰ってきたり、朝起きたら横で寝ていたりする時には勿論驚くのだが、それも悪くないかな、と思う。
 今日は世間的に言うとクリスマス。朝起きて横にいるのではないか、なんて考えていたとは誰にも言わないでおこうと思った寂しい朝。寝ぼけ眼のままコーヒーを入れ、朝食を飲み下す。テレビをつければ朝から今日はクリスマスだとレストラン情報だショッピング情報だと楽しげにレポーターが語っていたのを聞きながら、なんとなく不愉快な気持ちがじわじわと滲むのを感じていた。
 ――今日は大人しく引きこもるか、な。
 もしかしたら帰ってくるかもしれないし、とまだ期待するのかと自分を笑ってレッドはテレビの電源を落とした。
 そこからの一日は早い。片付けをして掃除をして、玄関の方で音がした気がしてじっとそこから続く音を待つ。気のせいか、と息を吐いて笑った。自分の家なのに今日はなぜかひどく広い気がして、レッドは唇を噛んだ。目頭が熱いのはきっと気のせいだと思う。ぽたり、と落ちたその雫を嘘にしたくて目を閉じた。
 いつ帰ってこいだとか、いつは会いたいだとか、そんなのは言うつもりもなかったし強要するのも嫌いだった。ただ今は街の喧騒が耳触りで、クリスマスについてしか言わないテレビが憎らしかった。と、家に響くのはチャイムのピンポン、という音。グリーンは普段鳴らさずに部屋に入ってくるので彼ではない。誰だ?と目元の涙をごしごしと袖口で拭ってから玄関へ向かい、扉を開けた。

「レッドさん、メリークリスマス!」
「突然すみません。今、大丈夫でした?」
「サトシ、シゲル……!」

 赤いサンタ帽をかぶったサトシの頭を撫でながらレッドは頬をゆるませた。なんとなく気分的にも楽になった気がして、やっぱりこうして人と接することは大切だなあ、と目の前の弟分たちの存在にありがたみを感じる。

「レッドさん、これからうちに来ませんか?」
「え?」
「クリスマスパーティするんだぜ!」

 にこにこと笑いかけてくる二人を見ながら、どうしようかな、と考える。
 ――でも、もしかしたらって。

「今日は、やめとくよ。グリーン、帰ってきて誰もいなかったらかわいそうだしな」
「ああなるほど。それもそうですね、お邪魔しちゃいけないですし」
「そんなんじゃないぞ……?」

 くすくすとわかったように笑ったシゲルの言葉に苦笑しながらレッドは答える。

「じゃあ……これ、ママがレッドさんにって!きっとそう言うだろうからって、ママ言ってたんだよなあ」
「ママさんにはかなわないなあ…」
「ケーキだそうです。よかったら」
「うん、有り難くいただくよ。来てくれたのにごめんな、二人とも」

 そう言うとサトシとシゲルは顔を見合せて笑った。

「オレたちも、そんな気がしてたから!」
「気にしないでくださいよ、また気が向いたら来て下さい」

 ――本当にかなわないなあ。
 心に温かいものがともる。




 そして、いつの間にか日は暮れているわけで。作りすぎた料理をどうしようかなあ、と思いながらもうグリーンが帰ってくるかも、なんて期待は捨てることにしてしまったレッドはソファで膝を抱えながらテレビをぼんやりとながめていた。

「なんか、むかついてきた」

 イライラする、胃がぐるぐるとひっくり返りそうでなんとなく気分が悪い。空気読めない、もっと考えろ、周りを見たらどういう日かわかるだろばか、とぼそぼそと帰ってこない彼に対しての悪態を繰り返す。

「食事だって作りすぎたし」

 いつもそうだ。

「一人だと部屋寒いし」

 やってられない、今度からコーヒーしか淹れてやらない、とソファに置かれた緑のクッションをクリスマスの特集ばかりを流すテレビに向かって投げつけた。
 がたん、という音を立ててテレビの上に置いてあった置物が床に落ちる。拾うのも面倒で、またイライラが募る。そしてふいに響くのは、同じようながたん、という音。

「え」

 開いた扉から入ってくるのはシゲルじゃない、シゲルはもっと身長が低くて、穏やかな目をしている。よく似ているけど、彼は家にチャイムなしに入ってきたりはしない。

「グリーン……」
「……なんだその顔は」

 ゆらりとレッドの身体が揺れた。どうしたんだ、と口を開きかけてグリーンは左頬を襲う衝撃に目を見開いた。
 ――パーじゃなかった、絶対グーだった。これはまずい、本当に怒ってるぞこいつ。
 びくびくとレッドを伺い見るが、それ以降、何か口から発されることもないし再び拳が飛んでくることもない。帰ってくるタイミングが悪かったのだろうか、とゆっくりと溜め息を吐く。

「ばか」
「遅くなって、すまん」

 一度グリーンにぎゅうと抱きついた後、レッドはすぐに離れて台所へに小走りで行く。どうしたんだろう、と立ち尽くしているグリーンにレッドは振り向いた。

「上着脱いで、手洗いうがい!」
「あ、ああ……」
「すぐ飯、あっためるから」

 ばつが悪そうに視線を少しだけ下に向けてレッドが短くそう言うのを聞いてグリーンは顔を綻ばせ、レッドが台所に消えたのを確認して自分の荷物から丁寧に包装された箱を取り出し、食卓の上に置いた。

「よし!食器運ぶの手伝ってくれないか?」
「ああ、今行く」

 そういえばケーキをハナコさんにもらったの、食後に出してやろう、とレッドは冷蔵庫の中を覗き込みながら少しだけ笑った。



「すごいな」
「帰ってこなかったらこれの処理どうしようかと思ってたんだぜ?」
「確かにこれだけの量は困りそうだ」
「サトシの胃袋におさまるところだったかも?」
「ああ、なら本当に帰ってきてよかった」
「……あれ?なにこれ」

 そう言ってレッドが触れるのは先程グリーンが置いた、綺麗な包装の箱。

「クリスマス、だろう?」
「え、ほんとに、くれるのか?」
「当たり前だろ」

 がさがさと包装紙に手をかけてレッドは丁寧にそれを開けようとするが、うまくいかないらしい、申し訳なさそうな顔でこちらをちらりと見てから、諦めてびり、と破った。

「マグカップ?ふたつ……これ、フシギダネとヒトカゲかいてある!かわいいな!」
「俺とお前の、と思ってな」
「困ったな、俺、プレゼントは思い浮かばなかったや」
「構わないさ、これだけ贅沢なご飯があれば充分だろ」
「だけどさあ」

 いいんだ、と笑うグリーンが驚くほど穏やかな顔をしていて、レッドはぱちぱちとまばたきを繰り返した。

「なんだ」
「お前、いい顔するようになったな」
「それは、あれだ」
「うん?」

 小首を傾げたレッドにグリーンは少し言い淀みながら、それでも口にする。

「お前がいるからだろ」




(さあ、素敵な夜を始めよう)


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