旧夢 | ナノ

▼篭り嬢2 another

■黄天化

始まりはなんでもない普通の日だった。

天化は裏口の方が目的の部屋への動線が短いと気がついて、城の裏口を使うようになった。裏庭を通り、裏口を通過する。
50mも無いその道を使うことが当たり前になっていたある日、ふと視線を上げた。
3階の窓に女の子が居た。
彼女は此方を見ているわけではなかったがぼんやりと景色を眺めていた。

肌色はやや白いが、城に住まう女なら珍しくはない。
髪色も、顔つきも珍しくはない。飾り気も殆どないがやっぱりそれも普通の範疇だ。
けれどどこか珍しい気がして記憶に鮮明に焼きついたのだった。


それから裏庭を通る時はその窓を意識するようになった。
彼女はよく刺繍をしている。そうでない時は景色を眺めているか、偶に食事を取っていた。いつも一人だ。
西日の射す時間に一度だけ通った時は夕陽に照らされて瞳がキラキラと輝いていた。
時折、目が合うこともあった。
そのときは必ず胸がチクリと痛み不思議に思っていたが薄々解ってきた。

これは恋かもしれない。

そうとわかると天化の行動は早かった。
思いついたその日に市場へ行き、見た瞬間に彼女を連想するような可愛らしい簪を購入して裏庭へ向かっていた。
しかし、土壇場になって思考がぐるぐると回転し始める。

好みどころか、彼女の名前すら知らないのだ。
可愛いと思った赤い簪を買ったが簪をつけているところを見たことが無い。
着物だって赤い簪が似合うかなどは考えてもいなかった。もしかしたらどこかの奥方かもしれない。
それ以上に、なんと話しかけるのがいいのだろうか。いきなり話しかけたら怯えるだろうか。

(ごちゃごちゃ考えるのは性に合わねェさ…)
天化はその日、窓際の女の子に声を掛けた。

「兄さま落ち込んでる?」
可愛い末弟に声を掛けられて天化はハッとした。
その日の食卓は一族は揃わず、稽古をつけてやった天祥と二人きりだった。
そのうち叔父貴たちも来るだろう。
落ち込んではいない。ただ酷く後悔しているだけだ。
後になって、己の行動は簪を押し付けて脱兎の如く逃げたようなものだと気がついたのだ。
これは格好がつかない…落ちこみかけて、思いなおす。

「ちっと考えごとさ」
何を落ち込む必要があるのだ。過ぎてしまったことは変えようも無い。
今日の失敗は明日挽回すればいい。
もっと食え、と末弟の皿に大皿の料理を盛った。


■尻込み望

一日分の疲労がまた詰み上がる。
しかし表向き面倒臭がっては見せるものの、根が真面目である太公望は仕事自体をそこまで辛いとは感じていなかった。忙しいが、着実に毎日の一歩は実りあるものになっている自負がある。
今日はここまで、と定めたところまで終えたところで、外を見る。
ここからは少し離れているが同じ棟にナマエの居室があり、太公望の私室のすぐ近くにある。彼女の夕食まで少し時間があると見て太公望はナマエの部屋へ訪問することを決めた。

「ナマエ、居るか」

前回訪ねてから二日振りだ。本当は毎日通いたいところだ。
異世界からの漂流者。大人しく引っ込み思案の、年端も行かぬ小娘。

「えへへ、いらっしゃいませー」
毎回訪ねるとこうして嬉しそうにはにかんで迎えてくれる。
意図せずとも入室の足が速まる自分に気がついて、太公望は苦笑した。

扉から正面にある窓際の席に着き、ナマエがかちゃかちゃと茶の準備をする姿を眺める。
(…小さな背中の愛おしさよ。)

明らかに太公望はナマエに惹かれていた。
親子どころかひ孫ほども歳は離れている。この恋路には障害がいくつもある。
だからこそナマエに手を出すつもりはないと決めている。
しかし、保護者という口実を盾に日々の疲れを癒すことになんら問題はないとみている。

ナマエは殆ど部屋から出ない。今日も何処へも行かなかったようだ。
独占欲だけが満たされる奇妙な環境に、まるで彼女を囲っているようだと錯覚してしまいそうになる。
何か思い悩んでのことかもしれないが、ナマエに聞いたところで何も言わない。
何でも買い与えてやりたいが、要求は滅多にない。時々菓子や茶を欲しがるくらいで、その頻度が自分の訪問回数に比例するところを見るにナマエ自身の為ではないことがわかる。

この娘は何をしたら喜ぶのだろう。
頭の回転の良さに自信はあるが、こればかりは足繁く通うことぐらいしか思いつかなかった。
彼女は幸せか?
突然この世界に身一つで現れた彼女の心細さを考えると憐れだが、ここに来てくれてよかった。

「見て見て。これ。」
ナマエの声にふと我に返る。
アンバランスに身を捩り、後ろの棚の上段から何かを取り出した。
机に置かれた髪飾りを見て太公望はザァ、と血の気が引いた。
彼女が買ったとは思えない。ナマエへ誰かが懸想している証だった。

「どうしたのだ?」と太公望は平静を装って問う。
「今日ね、窓から人が来たのよ。その人がくれるって。」
これがどういう意味かも知らない様子のナマエが能天気に答える。
決して悪いことではない。あどけない少女ではあるが年頃でもある。
己の動悸に気がつかぬふりをして太公望は更に聞いた。

「どんな男だ?青い奴か?」
一番の強敵であろう楊ゼンを想像していたが。ナマエは肯定しなかった。
「うーん。青いって言うか強いて言えば黒いかなぁ。黄色いバンダナしてた。」
特徴に合致する若き導師に太公望は密かに愕然とする。
いい男ではないか。戦いに身を置く男だが、彼なら安心してナマエを任せられる。
自分にないものを沢山持った、若くて誠実な男だ。
しかし。しかし。しかし。

「名は聞いておらんのか?」
「ううん。くれただけ。時々歩いてるのを見てたけど、まさか窓まで跳んでくるとは思わなかった。」
太公望は妙な沈黙を誤魔化しながら現状を飲み込んだ。
ここまで自分の執着が強いとは思わなかった。
目の前の少女が自分の手中をすり抜けて行く。それを止める権利は無いのだ。
ざわざわと床に着いた足や机についた肘の感触が歪む。眩暈を覚える。

「でも、使い方も知らないし、望ちゃんいる?」
突拍子も無い発言に いる、と答えたくなる。
すぐにでも奪い取ってなかったことにしてしまいたい。
しかし保護者としての理性が働いた。
「と、取っておくのだ。そういうものは。」
「そっか。私がこういうのよくわからないって知ってたら、きっと彼はもうちょっと違ったものを渡したんだと思う。勿体無いよね」
あっけらかんと言う。現状では天化には脈なしと見てよいか。
「おぬしには桃が似合うからのう」

瑞々しく甘い。かぶりつきたくなる程に愛しい。

「杏も好きよ。」
「杏も良いのう。食いに行くとするか。」
「うん。」

パタパタと外着を羽織るナマエの後姿を焼き付けんとした。
今日だけは独占できる。明日はわからないが。


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