旧夢 | ナノ

▼篭り嬢2

ある日突然私は不思議な世界に来てしまった。
大昔の中国だけど、どこか違う世界観の世界。

私が余所の世界の人間だと元始天尊様は存じているらしく、一時は仙人界で預かるという話も出たが、仙人界は高度が高くこの世界に慣れていない私には空気が薄かった。他にも色々と不具合が発生したので私は周に滞在する望ちゃんの管理下で預かられることになった。
何か大変な仕事をしているらしい望ちゃんの邪魔にだけはなるまいと大人しく生活している。

今日も、昨日も部屋に引きこもって刺繍、空想、窓の外を観察。
始めの頃はよく外を徘徊して出来ることを探して回ったがこの世界の常識と私の常識が食い違い過ぎていて、自分や他者の労力対して碌な手助けができなかった。
少しずつ文字を覚えてこの世界の勉強もしたいところだけど、この世界の紙や文具は非常に高価なのだ。書庫へ行き眺めたりはしていたが、文字が読めない段階では元の場所に戻せないことに気がついたのでいつしか向かわなくなった。

退屈だ。けれど、何かすると何か失敗してしまう。
私は小さい頃からそうだった。部屋の片づけをすれば親がやり直す。
話しをすれば失言をする。僅かな段差でけ躓く。自己肯定感が低いのではなく事実だった。

元の世界でならそれでも好き勝手に行動していた。
傷つける友達は居なかったし、多少の迷惑はお互い様な部分もある。
少しだけわかってくれる人も居た。
しかし此方では、迷惑をかけたらかけっぱなしなのだ。
そして望ちゃんという非常に尊い人の手や気持ち、どんなに些細だったとしても何も煩わせたくない。

「居るだけで煩わせてしまうのだから。」
奇しくも元の世界で母親によく言われた言葉が現状にぴったりと当て嵌まる。
いつかは脱却できる、と思っていた時期もあったが、随分と昔のようだ。

窓際に備えられた椅子に座って、目の前の机に広がる刺繍道具を手に取る。
暫く黙々と刺繍をして飽きてきたら休憩して窓の外を見る。
窓の外は相変わらずだった。
城壁の向こうは広々とした景色が広がっていて、地平線まで歩いてどれくらいかかるんだろう。何処までも歩いていきたい様な気がした。
真下の庭は、殆ど誰も通らない。それでも裏口が一つあるから、時々人が通る。

猫でも通らないかな、とぼんやりと眺めていると人が一人通る。
時々見かける人だ。最近よく通るようになったな。
黒い髪に、バンダナ。ある日、彼がちらりと此方に気がついてから、通る際には必ず此方を見るようになった。
あんまり見ても申し訳ないから、少し引っ込む。きっと変なやつだと思ってるだろう。
そうして彼が通り過ぎて、私はまた窓に張り付いた。

やがて時間が過ぎて、飽きてきた刺繍にまた取り掛かる。
模様は大抵は花だ。この庭から見える花は名前も知らないが、他に特にモチーフもないし、ということでいつもその花の刺繍を作っている。
時々城下へ下りて刺繍を見に行くこともある。最後に行ったのは一月くらい前だろうか。プロと素人の腕の差を見た。あの頃よりは上達しているがまだまだ売り物にはならないくらいだろうか。

黙々とやっていると、目が疲れてきて、窓の外を見る。
日が移動して、結構時間が経ったらしい。
庭に立っていた人物が目に付く。

またあの人だ。彼は此方を見て立っていたらしい。
目が合ってしまい思わず緊張する。ずっと見ていたんだろうか。それとも偶々だろうか。
彼は頬を少し掻いてから、片手を上げた。

挨拶された。

どう返していいものか、軽く頭を傾げてしまった。
同じように片手を上げれば良かった。なんだか小馬鹿にしているようにとられたら悪いな、と不安に思っていると彼は突然壁に向かって走ってきて、トンと地面を蹴った。
驚くくらい高く跳ねて、自分のいる窓まで跳んだのだった。
仙人だったんだ。

間近に見る男の人に硬直してしまう。

「あー…これ、あげるさ」
「え」
突然差し出されて反射的に受け取ってしまって。
彼は何か言おうと口を動かしていたけれど音は特に出なかった。
照れ笑いで誤魔化して、そして地面へ飛び降りて駆けていってしまった。

背を向けて真っ直ぐに去って行く背中を見ながら、私は呆然としていた。
彼はどうしたんだろう。なんでくれたんだろう。
気があった?時々見かけるだけなのに?なんで。
かといって他の理由は思い浮かばない、…どうして?

私はそれからずっと困惑しながら刺繍をして、休憩して、また刺繍をして、という行動を繰り返した。
そうこうしている間に夕方になり、望ちゃんが歩いてくる気配がした。
殆ど誰もこない廊下なので人の気配は結構わかりやすい。いや、私が耳をそばだてているのかもしれない。食事を持ってきてくれる召使いさんの気配はいつもわからないけれど、不思議と望ちゃんの気配はわかる。

「ナマエ、居るか」
鼓膜に触れる望ちゃんの声。今日は来る気がしていた。
律儀に望ちゃんはノックをして私の返答を待つ。
彼は私を気に掛けて時々こうして訪ねてくる。
望ちゃんが時々見に来てくれるだけで私は幸せ者だと思う。

「はい。」
私は大袈裟にならないよう細心の注意を払って微笑み、扉を開けるのだった。

「お茶を淹れるね。お茶菓子もあるよ」
「うむ」
窓際のテーブルに着く望ちゃんをもてなすことは一番の仕事と言える。
怠け者の振りをして実は能動的な望ちゃんからすれば、きっと私はつまらない人間だろう。けれどここに来てくれればお茶を出してあげられる。彼にとっては異世界の異分子の様子を確認するついでだろうが、出来るだけ寛いで行って欲しい。
この人がいなければ私は生きていけないのだ。
彼の芯は優しくて、働く能力すら持たない私を叱ることも見捨てることもしない。

「何か困っておる事はないか」
「なんにもないよ、毎日快適。」
「そうか」
口元に笑みを湛えて、望ちゃんは私を見た。
見られてしまうと照れ笑いがどうしても出てしまう。
この城に来たばかりの頃に覚えたお茶の淹れ方をしっかりと守って給仕する。
お茶菓子も居候のくせにかなり拘っている方だ。自分では絶対に食べないけど。

望ちゃんが小さく息を吐いたのが聞こえた。
溜息にも近いそれは、もしかしたら私が部屋に篭っていることが理由なんだろうか。
働け、と思っているのだろうか。しかしその程度のことであればすぐに言うだろう。
彼は聡い。こんなことに躊躇はしない。
じゃあ、何に困っているんだろう。疲れているのかな。それなのに、無理をして様子を見に来てくれたのかな。忙しい人だから。


「刺繍も随分と溜まったのう」
「うん。上達してるといいな。」
本当はきっと糸だって布だって馬鹿にならないだろう。
最近は売り物のクオリティに近づいてきたのでいつか売ろうと思う。
売って材料費を稼ぐのだ。出来たら食費も。

あまり刺繍に詳しくないらしい望ちゃんは茶菓子を一つ齧り、空いた席をトントンと叩く。お前も座れというのだ。
嬉しいやらこそばゆいやらではにかみながら私も席につく。

「望ちゃん」
「なんだ?」
「お仕事大変だったみたいだね」

どうしたらいい?何か要望はある?
そんなことも聞けないでいる。昼間彼が張り付いた窓から西日が容赦なく射していた。
望ちゃんには丁度良く陰になっていた。
何も言わない望ちゃんに、答えを強要するようじゃいけないと、私は今日あったことを報告することにした。

「見て見て。これ。」
身を捩って後ろの棚の上段に押し込んだ収穫品を引っ張り出す。
赤い石のシンプルな髪飾り。恐らく簪なのだろうが、使い方はわからない。
望ちゃんは丸い目をいつもより丸くして、
「どうしたのだ?」と聞いてきた。
「今日ね、窓から人が来たのよ。その人がくれるって。」
この世界ではどういう意味?知らない人は突然こういうものをくれるもの?
「どんな男だ?青い奴か?」
男。やっぱりそういう意味なんだろうか。
「うーん。青いって言うか強いて言えば黒いかなぁ。黄色いバンダナしてた。」

そう告げると望ちゃんはよくわからない表情をしていた。
思い当たる人がいるのだろう。でもなんだか良い反応じゃない。
普通のこと?それともあんまり良くないこと?
確かにあんまり良くないかもしれない。いつかは帰るのだから、恋愛なんてしてたら帰れなくなる。
家族は、今でも自分を探しているかもしれないんだから。

「名は聞いておらんのか?」
「ううん。くれただけ。時々歩いてるのを見てたけど、まさか窓まで跳んでくるとは思わなかった。」
バッタみたいに、とつい思ったことを口にしてしまった私を見つめながら、望ちゃんはお茶を啜った。

「でも、使い方も知らないし、望ちゃんいる?」
「と、取っておくのだ。そういうものは。」
「そっか。私がこういうのよくわからないって知ってたらきっと彼はもうちょっと違ったものを渡したんだと思う。勿体無いよね」
「おぬしには桃が似合うからのう」
それって桃色?それとも桃?
食い意地がはってるみたいだな。
でも実際、これより桃の方が好き。美味しいもの。

「杏も好きよ。」
食べたいなぁ。
「杏も良いのう。食いに行くとするか。」
「うん。」
やった。外出。一人の外出はできればしたくないけれど誰かと一緒なら好き。
といっても望ちゃんや四不ちゃん以外とは殆ど外出したことがない。
私は笑顔を隠してお茶を飲んだ。
食い意地がはってると思われたくないし。


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