旧夢 | ナノ

▼馬超:こうして私は妻になった

被害者ぶって泣いてみせる手も、怒鳴って手近な物を投げつけて怒るという手も私にはできなかった。
出来ない、と言うよりはやりたくない。詰まらぬ自尊心故だ。

私にとって夫という間柄の男は今現在娼婦と寝ている。
前はそういう店に出向いていたらしいが、当時見過ごしてきたのが間違いだった。
やがて娼婦は私の家へ出入りするようになった。
男の元へ嫁ぐと決めたのは私。それから見過ごしてきたのも私。

侍女が「出すぎたことを言うようですが、」と注意深く前置きして、何度か進言してきた。
旦那様へ一言言っては如何か、父上に手紙を出しては如何か、このままではひどくなる一方だ、もうこれ以上を許してはいけない、…等々。

男を躾ける機会はあっただろう。軽薄な男の間抜け面を見る度に私は人として扱うのを面倒くさがり、口を利くのをやめた。
男はそれを私の許しだと思ったのか、いつもヘラヘラと喜んだ。
男は私が男を愛していると思っている。更には私が許すのは惚れた弱み故、何をしても許されるのだ、と風潮して回っているらしい。
愛もなにも無関心なのだ。そして男も私の本質には無関心なのだろう。

ただここまで見過ごしてきた手前、何をしても遅い。
娼婦は我が物顔で私の衣服を漁る。
気に入りを何着か隠し、後は好きにさせておく。無気力ここに極まれり、だ。


遠くから派手な騎馬が掛けてくる。客人だろうか。
「ナマエではないか」
馬に跨り、直々にやって来たのは遠い幼馴染、馬超だった。
幼い頃より苦労も見てとれたが、それ以上に輝かしく力強い双眸だった。
不幸があったと聞いていたから、てっきりもう会えないのだと思っていた。
嬉しくて跳ね回りたい気分だ。そうする程子供でもないけれど。

「久しぶりですね。元気そうで何より」
私が言うと、馬超は軽く目を伏せ笑う。
まるで日差しが雲で翳り、太陽が形を見せるかのようだった。
「ああ、遠征の折、近くまで来たからな、お前の顔が見たかった」
「それは嬉しい。退屈していたのです。」
「主は居るか。挨拶をせねば」
「ご案内します。」
目に付いた下働きに馬超の馬を預け、案内する。

「随分美人になったな。最後に会ったのは4年前か」
途端、嬌声が聞こえた。昼間からなんということだ。
滅多に無い客が来たときに限ってあの動物共は。
馬超は目を丸くして、声のした方を見た。
声が上がらなければ気が付かなかったのに。
よりによって正面玄関から見えるところで。
先程までの喜びが、どん底まで突き落とされた気分だった。
恥ずかしく、腹立たしい。こんな下らない奴らに頭から水をかけられた気分だ。

「大変なご無礼を、馬超様こちらへ。」
尚も声が聞こえるこの妙な場を私達は足早に離れた。
なんとか馬超を連れて、あそこから遠い客間へ招く。
召使も察したのか早い対応だった。

「いや、他のご夫人方と睦まじいのだな」
苦笑いに言う馬超様に歯切れ悪い返事を返すより他なかった。
「なんだ、違うのか」
馬超が問う。
違う、とは明確に言えなかったが、かといってアレのために嘘をつくのも嫌だった。

馬超が溜息と共に言う。
「…あれが娼婦だという噂は本当だったのか」
私は思わず馬超を見た。噂とは何処まで流れたものか。
馬超の顔はどうしてか怒りに歪み、湯飲みを持つ手が震えてすらいた。
「ナマエ、俺はお前が幸せになったのだと思っていたぞ。お父上になんとするつもりだ」
「父はまだ知りません。このことは胸にしまっていただけませんか」
私のそれは哀願に近い。父に知られたくない。
知ったところで私に思い入れの無い父がどうと言うことは無いだろうが、私は恥ずかしい。

「ならば何故俺の所に来なかった…!」
ガタンと立ち上がる馬超の顔は見えない。
立ち上がってすぐ、私に背を向け部屋を出ようとしたのだ。
慌てて馬超に縋り、歩みを止めるよう頼む。
が、力の差は歴然だった。馬超の胸と肩に手を掛けて踏ん張るが、全く静止の役目を果たさない。
考えるまでもなく、馬超の顔は怒りに染まっているのだろう。
「若様、お止めください」と言うも、「ならん」と一言言ったきり、返事はない。
ずるずると引き摺られ、馬超は己の進路をずんずんと突き進む。

何とか止めようとはするものの、頭は全く別のことを考えていた。
馬超の怒りが嬉しかった。だがそれ以上に当惑している。
馬超が私を好む素振りなど殆ど無かったのだ。
それ以上に金に困った家を再興させようと、馬超はこの縁組を後押ししてくれたほどなのだ。


迷い無く進む馬超に引き摺られ、結局夫の居る部屋まで来てしまった。
私は諦めて後ろに下がり、馬超が扉を蹴破るのを傍観することになる。
錠もされていなかった扉は小気味良い音を立てて蹴破られ、猿二匹の痴態が披露される。
それを見ないようにしたいとも思ったが今はそうもいかない。

「貴様どういうつもりだ!」
馬超の怒声に判っていても怯んでしまう。
当事者の男はそれ以上に怯え、距離を取ろうとする努力虚しく胴体を馬超の足に踏みつけられた。
加減をしなかったのだろう。男の口から液体が飛び出し、やはり馬超を止めようと腕を伸ばした。
「馬超様、死んでしまいます。」
馬超を後ろから抱くように制止すると彼は大人しくなった。
それでもフー、フー、と荒い呼吸音がする。余程頭にきているのだろう。
私はそれが嬉しかった。

「ナマエめ、ど、どういうつもりだ…」
馬超とは違う意味で粗い呼吸の男が私を責める。
「気安くナマエに話しかけるな」
また怒りが再熱する前に馬超と男を放した方が良さそうだった。
いつの間にか姿を消した娼婦に溜息をつきつつ、この場をどうにかしなければならない。
しかし、男なんてはなからどうでもよかった。

「ナマエ、俺はお前を攫うぞ」
「う、は…はい。お願いします」

私は荷造りをすると馬超に言う。
馬超も頷き、まだ気が済まん、との一声と同時に男を殴った。
止める間もなかったが、男は生きていたので咎めなかった。
目を離しては殺す勢いすらあったので馬超をつれて自室へ戻る。

「今まで口を酸っぱく言っておりましたのに」
そう小言を言う侍女は既に荷物を纏めていた。
侍女は知っていたのだろうか。放置していればいずれ誰かが助けてくれると。
私はそうとも思っていなかったし、そうなると知っていればもう少し頑張った。
荷物は小さく纏まった。必要なものと言えば数着の服しかない。
それほど自分の物は少なかったのだ。
「今まで有難う。」
この侍女ともお別れなのだ。気が強くて苦手だった。
しかし、優しくて良い侍女だった。
「私はご心配なく。この家に代々仕えておりますので」
そう言われて迷いつつも、背を押されてしまう。

馬超は馬小屋から馬を引いてきた。
自分の馬を、と思い私も馬小屋へ向かおうとすると馬超が言う。
「お前は誘拐されるのだ。馬に乗ってどうする」
それもそうだ。納得する私を馬超は馬へ乗せた。
それからひらりと慣れた様子で自身も跨る。

門を飛び出し、馬超の屋敷へと向かう道を陽が照らしていた。
強い眼光が先を見る。その様を見上げながら、私は微笑んで見せた。
いつかまだ子供だった頃、馬超と走った見渡す限りの草原を思い出す。
ここは草原もなく、地平線へ太陽が降りることもない。
けれど馬超が見るその目はまるで昔に帰ったかのようだった。

過去にどういう心境で馬超が縁組を取り次いだのか、私がどんな思いで夫の醜態を見過ごしてきたか。
全てがどうでも良い。馬超と私はきっと恋仲になるだろう。
私は溢れる喜びが顔に出てしまう。懐かしい馬の疾走、懐かしい人。

こうして私は妻になった。


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