旧夢 | ナノ

▼露伴:処理

気分屋な私に彼の我慢の限界が来るのは目に見えていた。
こんな性格の私に、どうして好きだと言ったのか。責任転嫁だとはわかっている。
彼は私を置いて部屋の奥へ消えていってしまった。それで良かったのかもしれない。
頑固、偏屈、短気。そんな性質を持ち合わせた彼も、流石に女には手を出さない。
一度くらい引っ叩いてくれたって良かった。いっそ殴って蹴っ飛ばして、この捩れた性格をせめて彼の希望に沿うように曲げ直して欲しい。

乱暴に閉まったドアを暫く見つめて、生活の質の違いを見せ付ける高級家具を一瞥して、それから私は部屋を出た。帰りに夕日が沈むのを見た。
もう今日は終わりだ。終わり。終わり。終わりなのだ。

そういえば夕飯はまだ食べていない。彼の家の使い勝手のいい鍋にはカレーが一杯に入っている。高いルーを買って、いい肉を入れた。出来には自信があった。
彼はあのカレーをどうするだろうか。私だったら別れた恋人のカレーなんか食べない。
だって凄く負けたような気がするからだ。取り残されて、寂しくて、そしてもう帰ってこない。じゃあカレーを捨てるのだろうか。流しに捨てて、排水溝を掃除して、一人で洗うのだろうか。
食べても居ないのに、カレーの匂いに包まれて。それも惨めだ。

三日ほど家には帰っていない。いい加減あのボロアパートに帰るか。
この季節は虫が凄く出るあのボロアパート。不衛生な二階の住人の何かの水が、私の部屋へ漏れてきて、それで困っていたら彼はあっさりと言ったのだ。

「じゃあ僕の家に来ればいいだろう。」

そうだ、私が困っていたから手を差し伸べてくれたのだ。
恋人だから、私を好きで居てくれたから、彼が優しかったから。
アパートに着いて気がついた。私は今手ぶらだった。彼の家から出てきた時、何も持たずに出てきてしまった。終わってしまった家にもう引き返せない。
本当に惨めなのは私の方だった。喧嘩の理由は思い出せない。些細なことだと思う。
だけど大きく溝が生まれてそれがもう治らないような気がした。今は溝なんてどうでもいいような気分だけれど、もう手遅れだ。彼はドアを閉めたし、私は出て行った。
それで終わりだ。

彼の家へ一度戻らない限り、一文無しで帰る所も無い。
こういう時に頼れるような関係の友達がいないことに気づいた。一人ぼっちか。
なんの解決策にもならない時間つぶしの為に散歩することにした。
私はこの三日間で酷く腑抜けになったようだ。海の見える道路に着いた。私は立ち止まって水平線を見た。彼の家とも、私のアパートとも全然違う場所だ。そういえば通学に使っていたバスでよく此処を通ったっけな。この辺りで東方とか言う一年生が席を譲ってくれたことがあったな。一度しか話したこと無かったけど、不良らしいがいい子だった。
潮風が気持ちいい。これからどうしよう。取り敢えず、移動しよう。

結局私はアパートに戻ることにした。戻ってそれからどうしよう。
気分のいい暗い夕方はもう過ぎてしまって、もう夜になってしまった。
惨めな日に限って、夜の暗さは高圧的だ。早く帰れ、と急かされる気分になりながらアパートに辿り着く。誰もいない。誰かが待ってくれている様な錯覚をしていた。
二階の部屋の人はドアを半開きにしていた。ゴミ袋がいくつかはみ出ている。
きっと私の部屋の冷蔵庫も臭うんだろうな。確かキャベツがそのまま入っていた筈だ。
きっと彼の高級な冷蔵庫ならまだ持つんだろうけど、私の冷蔵庫はたまに勝手に開いちゃうからもう駄目だろう。やっぱりここで呆然としていても仕方ないな。
一度彼の家に行って、荷物を纏めて来よう。
仕事道具も化粧品も一番大切な物達は彼の家にある。家に入れてくれるかな。

彼はカレーを食べただろうか。あのカレーは捨てられちゃっただろうか。作った側としては捨てられてしまうと悲しい。でも、食べている姿は可哀相だ。捨てる処理をしている彼も可哀相だ。私が捨てるのが一番だ。そもそも、それが道理じゃないのか。
私がこの家を出てから随分経つのに、鍵が開いていた。彼にしては無用心だ。
なんだかとても後ろめたくて、息を殺して足を踏み入れた。足音も出来るだけ静かに。
リビングへ行くと、彼はソファに体を沈めていた。ソファ自体が此方に背を向けているので気づいていないようだ。問題は私の荷物はそのソファに置いてあることだ。

彼は左手をソファの背もたれの上に投げて、もう片方で顔を覆っているみたいだった。
なんだか凄く悲しげな彼が、自分のせいでああなってしまったかと思うと悲しい。
同時にとても申し訳なかった。でも今話しかけたらきっと酷く怒られる。それは怖い。
私がどうしようか考えている間に、彼が立ち上がった。
心臓が止まるかと思ったが、ただ立ち上がっただけのようだ。
一言、呟いたのが聞こえた。か細い、消え入るような声で彼が何を言ったのかは判らなかった。それよりもそんな声を彼が出すなんて信じられなかった。

「露伴…」
思わず声をかけた。
バッと想像以上に早い動作で振り返った露伴はそのまま大股で此方へ歩いてくる。
今度こそ殴られる!と思い身を硬くしたが以外に露伴は私をがっちりと抱きしめて動かない。なんとなく、私もさっきまで酷く心細かったように、彼もきっと心細かったのだと思った。


「勝手に出て行って何をしていたんだ。」
二人で夕飯中、カレーのスプーンを置いて露伴が聞いてきた。
「アパートに帰ってた。」
「嘘をつくなよ。僕を騙しきれると思っているのか?」
「どうしてそう思うの?」
そこで露伴はカレーのおかわりをする為に席を立った。
「アパートに迎えに行ったらいなかったんだよ。」
背を向けた露伴がどんな顔をしているか伺うことは出来ない。
実は彼は私なんかよりずっと素直なんじゃないかと思った。


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