「はあ……」



このため息は一体今日で何回目なのか。寧ろ、ここ数日で何回目なのか。自分で数える事はしていないが、相当の回数になっているのは確かだ。最初は心配の色を見せ何があったのかと聞いてきた駅員メンバーが段々と何か言いたそうな顔色を見せひそひそと会話し出し、クダリが面倒臭そうな視線を向けて来る程度には溜め息を吐いている。
原因はわかっている。わかってはいるが、本当に理解出来ているかと言えば理解していないわけで。…簡単に言うと、今まで経験した事のない感情に戸惑っているのだ。




「はあ……」




再び出た溜め息に、刺さる職場の仲間と片割れの視線。事務的に書類を片付ける中、どうしてこうなったのかとあれから何度目になるかわからない回想を始めた。







…五日ほど前、一年以上探し続けていた愛弟子が帰って来た。どうして何も言わずに消えたのか、一度も連絡しなかったのか。心配から来る怒りも勿論あった。しかし、それよりもまた会えた嬉しさが大きく、何よりも幸せだった。
そして、その夜自分達は彼女の話を聞いた。今までどこにいたのか、何をしていたのか。そして彼女がここにいる意味、息子の事、伝説のポケモン達の考えまで、全て。最初は信じられなかったが、彼女が年齢に見合わない発言をしていた事。そしてあの夜の言葉を考えると、嘘だとは断言出来なくなった。そのうえポケモンの言葉を理解し、技を使う場面を実際に見せられたら尚更のこと。
全て真実だと受け入れた上で出た答えは…彼女は彼女、というものだった。当たり前だ。どんな背景を背負っていおうと、サブウェイマスターに就任する覚悟を、そしてバトルの楽しさを思い出させてくれたのは、他でもない彼女なのだから。
そう伝えれば彼女は泣きそうな、それでも笑顔で感謝の言葉を述べたし、自分達は全てを知りようやく彼女に近付けた気がして嬉しかった。

…しかし。
場が纏まり温かな雰囲気に包まれたところでクダリが発した一言が、自分にとっての爆弾となる。



「アヤ、ボクらアヤ大好き!アヤ、ボクらの弟子で妹!」



「クダリさん……」




嬉しそうに頬を緩ませる彼女に、私もでございます、と続けようとしたその時だ。胸の中に違和感を感じた。大好き、という言葉には素直に頷ける。しかし、妹、という言葉には何かモヤっとしたものを感じるのだ。それが何かはわからない。しかしなぜかすぐに同意する事は出来ず、自分の中で疑問を持ちながら数拍置いての返事となってしまった。



…それからだ、この胸の中のもやもやは段々と成長し、そして思考の半分以上を占めるようになってしまったのは。
気付いたら彼女の事を考えてしまうし、気付いたら次はいつ会う約束をしようか、いつまたバトル出来るかと予定を立てている自分がいる。
もやもや、もやもや。わからないもやもやに、また溜め息。仕事はきっちりしているしバトルも楽しくやっているが、頭の片隅に必ずある彼女の存在にまたもやもや。
…それを見兼ねたのか、何だか呆れ返ったような様子のクダリが話し掛けてきた。こっち来て、と余り他のメンバーに声が届かない場所に誘導される。



「…ノボリ、もしかして、アヤ好き?」



「…は?当たり前でしょう、何を言っているのです?」





その答えに、珍しく、本当に珍しく深い溜め息を吐いた片割れに、首を傾げる。何を当然の事を、自分達が彼女を好きなのは分かり切っている事だ。今更過ぎるほど今更な話だ、それがどうしたというのだ。
表情から言いたい事は察したのだろう、あのね、とまるで小さな子供に教えるように、クダリは言葉を続けた。




「ボク、アヤ大好き。ホントはお姉ちゃんだけど、妹みたいでかわいい。…でも、ノボリは違う。妹じゃない」




そうだ、確かに以前のように妹と言い切れないのだ。妹だと認めると、まるで心が否定するような……
そこで、ふと気付く。可愛い、しかし妹じゃない。大好きだと言える、しかし妹じゃない。それは、まさか……




「ノボリ、恋してる」




聞きたいようで聞きたくなかった結論は、思ったよりもストンと素直に自分の中に落ちてきた。違う、まさか、だって…そんな否定の言葉が浮かんだのも一瞬のこと、すぐに納得してしまった。そしてこんなにも長く気付かなかった自分に、もしやと嫌な汗をかく。
今までだって彼女はいたのだ。恋愛経験が無い訳じゃない。体の関係があった彼女もいた。しかし最終的には仕事が忙しくて別れてしまったりで上手くいった事が無く、最近…いや、この一年間はそういった付き合いは一切無かった。それはサブウェイマスターに就任し更に仕事が忙しく、彼女を探すのに必死だったからだと思っていたが…無意識に彼女以外の女性を避けていたのだとしたら?そして、ここまで気付けなかったのはきっと、こんな感情を持ったのが初めてだからだ。必死に探し、他の女性を避け、そしてそれをしたのもこの感情も初めて。つまり…



「ノボリ、きっと、初恋」



言わないでくれと、それは突き付けないでくれと心の中で願った言葉は片割れには届かず、そのワードははっきりとその口から発せられた。思わず額を押さえながらズルズルとその場にしゃがみ込む。
…笑えない。20代で、今まで彼女もいたのに、これが初恋だなんて。しかもその相手が今まで妹だと思っていた子だなんて、本当に笑えない。



「あああああぁぁ…」




力の抜けた声で呻く自分の頭を、ドドメを刺したクダリが全てを棚に上げて慰めるように撫でてくる。もう嫌だ、色々な意味で顔が熱い。やめてくれ。
事実を受け止めようとほぼ状態、こんらん状態の頭。それが元に戻るには結構な時間を有した。なので…




「………多分、ノボリ以外、みんな気付いてる……」





幸か不幸か、クダリの呟いた恐ろしい事実は本人だけが知らないまま、この話は一応収束する事となる。そしてその後タイミング良く現れた彼女にノボリが盛大に慌てふためく様子を見せるのも、また別の話。







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