向かい来る野性のポケモン達を倒し、洞窟の奥へ。そして、美桜のなみのりを使ったその先。空気が変わり、肌を刺すようなプレッシャーを感じる。そして同時に、洞窟の侵入者に対する憎悪や、殺意も。 「美桜…戻って」 [……かしこまりました] ――やっと、会える。 心の底から感じる幸福感。しかし緊張は解かず、しっかりと前を見据えたまま進む。段々と強くなってゆくプレッシャーに、憎悪や殺意。 …そして。洞窟の大きく開けたような場所。そこに、彼はいた。 [貴様…何者だ] 地を這うような低い声。それは頭の中に直接響いて来る。少し感覚は違うもののまるでルカリオの波動のようだった。力の強いエスパーポケモンが用いるテレパシーが強化されたようなものか、と一人納得する。 [何者かと聞いている!] 答えない私に苛立ちを覚えたのか、先程よりも敵意や声量が増す。しかしそれはまるで恐怖心を悟られないよう必死に威嚇しているようで、胸が痛くなった。 「…私は、アヤ。ポケモントレーナーをやっているの。それで、私は…あなたに、会いに来た」 [我に、だと…?] その言葉に彼はピクリ、と反応する。警戒の色が強くなり、彼の足元にある小石が小刻みに揺れた。私をロケット団の仲間か何かと勘違いしているのだろうか、更に胸が痛む。しかし動揺を見せれば余計彼は疑うだろう。私は問いに対し肯定するように小さく首を縦に振った。 「私は、あなたと話がしたい」 [なぜ我が貴様と話さなければならない] 「お願い、少しでいいから時間を頂戴」 [貴様と話す事など何もない…失せろ] 予想はしていた。しかし、まるで話にならないこの状態に思わず表情が歪む。いや、真っ先に攻撃されないだけでもマシなのだろうか。 彼の心に刻まれた深い深い傷。…どうすれば、私の話を聞いてくれるのだろうか。 「……私は、あなたに会いたかった。どうしても会いたかった。あなたは私にとって唯一で、大切な存在だから」 […戯れ事を言うな、耳障りだ。次は無い…失せろ] 「あの時…あの時私があなたを手放さなければ、あなたは酷い目に逢わなかった」 私の言葉に一瞬の反応を見せる。しかし彼は、目を吊り上げ白い掌をこちらに向けた。そして、そこに強大なエネルギーが集まる。 ―来る! [失せろと、言っている!!] 「――っ!」 瞬時に自分に対しまもるを使う。しかし、それでもビリビリと身体を震わせるエネルギー。今のはサイコキネシスだろうか?他のポケモン達の技と比べるまでもない、ここまでの力を感じるのは初めての事だった。 [!?…貴様、何をした…?] まるでまひした時のような感覚。なんとか構える為に軽く腕を回す。驚愕の表情を浮かべる彼に、少しは気を引く事が出来たかと軽い安堵感を覚える。 「…まもる、だけど…」 [なぜ人間である貴様がそれを使える!?] 「私が、ポケモンの力が使えるから」 [なに…!?] 「…二年前。私は、普通の人間だった」 攻撃を仕掛けて来ない様子に、私は説明を始める。彼が耳を貸す理由は興味だろうか。それとも別の何か、か…? 「…私は、ポケモンが存在しない世界に生きていた。どこにでもいる、平凡な人間だった。そして、ある時子供を身篭った」 […妄言を……] 「そう思ってもいい、でもとにかく聞いて欲しいの。…それを知って私は、絶望した。金銭面でも精神面でも、まだ子供を産む準備もなにも出来てないのにって。だけど、ふとしたきっかけで生死の境をさ迷った時…気付いたの。私にとってお腹にいる子供は誰よりも大切な存在なんだって」 何でこんな話をするのか理解出来ない、と眉根を寄せていた彼の表情が劇的に変わる。それはまるで、憎悪を全面に出したようなものだった。 [……そんな話を聞かせる為だけにこんな所へと来たのか?] 「……お願いだから、聞いて…。…そして私は身体と魂が離れた瞬間神と呼ばれる、伝説のポケモン達の力によってこちらの世界に来たの。シンオウ地方、って場所には時や空間、そして想像を司るポケモンがいる。そのポケモン達に他人事のように感じるくらい大きな使命を背負わされて。 その時、時空の狭間で出会ったのが…ミュウだった。研究者達にボロボロにされ、人間に憎悪を抱いていたミュウに」 深く関わり合いがある上良く思わない存在の名前が出た瞬間、彼は更に目を吊り上げた。困惑と憎悪が混ざり合う表情、しかし自分にも関係がある話だと気付いたのだろう、私に攻撃が仕掛けられる事はなかった。 「…創造の力を持つポケモンが、私の身体を用意している事を、彼は教えてくれた。魂だけの私が、生きながらえる事が出来ると。…でも、子供の身体は用意されてなかった。そのポケモン達にとって、私の子供はイレギュラーな存在だったから。……そしてそこで、ミュウは私にある提案をした。自分は研究施設にいて自分の遺伝子から強いポケモンを生み出す研究をしているが、研究は捗らずその苛立ちが全て自分に向かっている、このままでは死んでしまうであろう。だから……だから、その研究者達が生み出した身体に入れる魂を、私から取りたい、と」 [……まさ、か……] 話を進めるうちに、彼の目が大きく開かれる。 頭の良い彼だ、すぐに結論が出たのだろう。カラカラと喉が乾燥する感覚に襲われながらも、私は口を開く。 「…創造の力を持つポケモンでさえ魂は創れない。ましてや人間が魂を創る事なんて不可能。……私、は…その提案を呑み、ミュウは子供の魂にポケモンの力を加え、私から引きはがした。その時の副産物として、私はポケモンの技が使えるようになった。そして魂は……」 […研究者によって作られた身体に入り研究は成功、我が産まれた…と?] 「……そう…」 [もしそれが貴様の妄言ではないとしたら、我がこのようになった原因は、我の苦しみの根源は……貴様か…!] 空気が変わり、彼の周囲の岩が浮く。先程の比ではない。これは威嚇ではなく…殺気だ。 そうだ、彼に苦しみを与えてしまったのは私のせい。生まれてからずっと苦しみ続けてきたのは私のせいなのだ。それを裁かれる覚悟はあった。 「ごめんなさい…!」 [黙れ!貴様のせいで我はこんな、こんな…!!] 激情のままサイコキネシスにより降り落とされる岩をでんこうせっかでかろうじて避ける。 自分達を出せ、とボールの中から訴えてるのだろう。声は掻き消されていたが、ガタガタと5つのボールが揺れた。 「…確かに、あなたに私はとても酷い事をした。それを私は、償いたかった!そして、貴方に伝えたい事があって、」 [黙れと言っている!!貴様に解るか、生まれた時から自らの正体がわからない孤独が!実験体としてしか見られない、利用されない苦痛が!解るというのか!?] 「っ……私は!あなたに苦しみを与えてしまった!でも、どんな事があっても生きていて欲しかった!!」 [黙れ黙れ黙れ!!] 高速で迫り来る大きなエネルギーの塊。咄嗟にまもるを使うが、タイミングが遅すぎた。全てを防ぎきる事が出来ず、大きく壁へ吹き飛ばされる。 「……っ………!」 余りの衝撃に声も出ない。ただただ息が詰まり、苦しかった。頭も打ったのかぐらりと視界が大きく揺れる。 「ぐっ……かはっげほっげほっ…!」 数拍の後、勢い良く空気が肺に入って来た。上手く呼吸出来ずに咳込む。じこさいせい、ぼんやりとする頭で何とか技を使った。ガタガタガタガタ。ボールの振動が大きい。 […貴様は何をしに来た。我を哀れんでの…罪悪感からの謝罪か?内心嘲笑ってるのだろう気味悪く思っているのだろう?このような、ポケモンの中でも異形の姿となった我を嘲笑っているのだろう!?] 「…ち…がう………」 [何が違うというのだ!子供の魂がこのような醜い姿に変わってしまうなんて何とも残念な話だろう!!] 「違う!!」 じこさいせいのお陰か、立ち上がる事が出来た。足を引きずりながら何とか歩く。彼に私の気持ちが伝わるよう、少しでも近くに行きたくて。全身に走る痛みを無視して、歩く。口を開く。 「…私は、どうしてもあなたに生きていて、欲しかった…!そして伝えたかった…!」 一歩、また一歩。近付く私に、顔を歪める。そして何もかもを否定するように喚いた。 [来るな!黙れ!!我の苦しみなど理解出来ぬ癖に、我に近付くな!!] ドンッと身体に走る衝撃。今度はまもるをする暇も無かった。何の抵抗もなく、地面に叩き付けられる。 「ぐっ…!げほっげほっ…!」 じこさいせい、と一瞬遠のいた意識の中呟くと、ほんの少し身体は軽くなりまた立てるようになる。 「……確かに、私はあなたの経験した苦しみは、わからない……。でも、それを、癒したいとは、思う……」 [来るな、黙れ!!] 三度目の衝撃。硬い地面の上でじこさいせいを行う。しかし、技の威力が落ちている為、痛みは余り変わらず、立ち上がる際に大きく体がぐらついた。 今にもボールから飛び出しそうな仲間達を抑え、また一歩ずつ近付く。口の中は鉄の味がした。 「あなたに、謝りたかった…。何も、悪く…ないのに、辛い思いをさせて、しまった、こと……そして、なによりも…寂しい思いを、させてしまっ…た、こと…」 [嫌だ、近付くな!!] 彼に会話を始めた頃の余裕はもう何処にも無い。まるで駄々っ子のように、幼い子供が癇癪を起こしたように、どこか怯えたように私を否定しようとする。私にはそれが悲しく見えた。 足元に飛ばされた攻撃に膝をつく。じこさいせい、呟くも状態はほとんど変わらない。そろそろ限界だろうか。しかしそれでも近付く私に、彼は両腕で頭を抱え首を振った。 [人間なんて…!我の事を脅かす存在、憎むべき存在が…!] 「……謝り、たかった……そして、伝えた、かった……」 [嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!] 攻撃は、無い。今度ははっきりと見えた怯え。それほどまでに彼の心の傷は深いのだ。先へ先へと急かす気持ちとは裏腹に、身体が重くゆっくりとしか歩けない。もどかしさでいっぱいになる。 「あなたは…どんな姿に、なっても、私の…可愛い、子供、だって……」 一歩、もう一歩。 「……会えて、とても、嬉しい…って……」 もう少し。あと少しで。 「……私は、あなたを……」 痛みを無視して腕を伸ばす。ようやく触れられた彼の身体はすべすべしていて、感触がどこかミュウに似ていた。びくり、大きく震える身体をぐっと力を込め抱きしめる。 「………あいしてる………」 見上げれば、彼の顔。大きく目を見開き、そしてゆっくりと、怯えたように私を見る。その瞳に私が写った事が嬉しかった。 「……やっと、見てくれた……」 小さく掠れた声が洞窟内に響く。彼の瞳に写った私は血だらけの傷だらけで酷い姿をしていた。でも、この世界に来てから一番、幸せそうな笑顔だった。 ―ぽつり 冷たいものが、頬に落ちる。ぽつり、ぽつり、ぽつり。ゆっくりと上から落ちるそれは、彼の紫の瞳から零れた大粒の涙だった。 [……生まれてすぐ、自我を持ち、様々な知識を得た…。あいつらは…皆…我を実験体、と呼んだ……] 決して早くはないスピードで、静かに語られるその話は、まるで今彼の頬を流れる涙のようだと思った。これは、彼の心の涙だ。生まれてから誰にも言えなかった言葉だ。 [……我は、破壊の為に生まれたのだと知った…。すぐにミュウツーと名付けられ…洗脳のように…破壊のみを命じられた…。奴らは破壊しか頭に無い、兵器を望んでいた………しかし…我は…自我があった…] 軋む腕を動かし、幼子にするように優しく、ゆったりとしたリズムで背中をさする。少しだけ肩の力が抜けたような気がした。 [……我は、怖かった…!知識と、破壊と、自分がミュウのコピーだという事しか…知らなくて……我は何者か…何の為に生きているのか…何もわからない事が、怖くて、苦痛で……研究所を破壊し外に出ても…化け物と呼ばれ、あいつらに追われ……他のポケモンの仲間にもなれず…我の居場所はどこにもなかった…!] ―彼は迷子になった子供なのだ。誰の側にも行けず、逃げる事、隠れる事、攻撃する事でしか身を守れない、幼子。ただ、知識と力を持ち、戸惑う迷子の子供なのだ。…ならば、私は彼の手を引きたい。 「……あなたは、私の子供。私の大事な、可愛い、愛おしい子供」 最後の力を振り絞ってぎゅう、と強く抱きしめる。普通よりも低い体温が腕から伝わった。私を引き離そうとするそぶりは、もうない。 「…あなたが追い掛けられてたら、助ける。あなたが辛い時は、側にいる。あなたが自分がわからなくなった時は、私が教えてあげる。あなたが寂しい時は、抱きしめる。全力であなたを守って、全力であなたを愛すると誓う。だから……私が、あなたの居場所に…なりたい…」 ぼろり―一際大きな涙が彼の目から零れると同時に、震える腕がゆっくりと、ゆっくりと私の背中に回された。 [我は……一緒にいていいのか…?] 「……一緒に、いて、下さい………」 期待と、不安と、戸惑い。それがごちゃごちゃに混じったような震える声に、私は微笑みを浮かべたまま小さく頷きながら答える。 やっと、会えた。やっと、伝えられた。やっと、通じ合えた。ぐっと幸福を噛み締める。ああ、しかし、そろそろ限界のようだ。 血を流し過ぎたのだろう、先程までは気力で立っていられた。しかし安心しきった今は、無理だ。私は急激に意識が遠退き、目の前の物がぼやけていくのを感じた。 ←→ |