妖達は、一様に不機嫌だった。
若だんなもかなりな所疲れて、やけっぱちだった。
おまけにそんな若だんなのせいで、二人の手代達まで大いに虫の居所の悪い顔つきをしている。
八千重も、一太郎とまではいかないが疲れていた。

「兎に角、栄吉に悪さをするのを止しておくれ!」

この言葉は、最近の一太郎の口癖になってしまってきていた。
妖達ときたら、一太郎と八千重との宴会を奪ってしまった栄吉に対して、寄ってたかって嫌がらせを繰り返しているのだ。
厠に丸い石を転がしておいたり、栄吉が居ない間に部屋の中のものを動かしてしまったりする。
栄吉が廊下を歩けば、木の実をぶつけてくるし、急須の茶がどくだみに変わっていた事もある。
そのたびに一太郎と八千重は必死に事を防ごうとするのだが、八千重には薬種問屋の仕事もあったので、対応は殆ど一太郎がしていた。
八千重も一太郎も、栄吉にこの上嫌な思いはさせたくないし、第一、妖達のことがばれては大変だ。
そこのところを、綺麗さっぱり考えないのが妖で、一太郎は飛礫を我が身で防ぎ、栄吉の代わりに廊下でひっくり返り、胃の腑が仰天しそうな味わいの茶を飲んでいる内に、すっかり食欲を落としてしまった。

「お前さんたち、若だんなを殺す気かい?」

眉間に皺を寄せた佐助が、低い声とともに畳に一発拳をおろした。
どん、と地から湧き出る様な音が離れの部屋の床を渡って、集まっていた妖達の内、多くの者が波を打ってひっくり返る。
時刻は五つを過ぎた頃だ。
今日はいつもより早くに一太郎は寝床に入れられている。
疲れている様子に、佐助と仁吉が、栄吉と一太郎を横にならせたのだ。
これで今宵は栄吉が顔を出すことはないと踏んだらしい妖達は、一斉に一太郎の寝間に押しかけてきた。
そこに待っていたのが、小鬼なぞ逃げ出したくなるような顔付きの佐助の説教だったのだ。
一太郎の傍で薬湯の準備をしている八千重も、最近の妖達の所行を考えれば助け船を出す事も出来ず、ただ苦笑いを浮かべているだけだ。八千重の膝には、逃げてきた鳴家が数匹へばりついている。

「あの栄吉がいけないんですよぅ。素直にあいつが、丸石を踏んづけて転ぶべきなんです」
「そうです。あいつ目がけてどんぐりを放ったのに。若だんなのおでこに当たったのは、栄吉のせいです」
「あ奴が早くに出て行ってくれないと、ゆっくり酒も飲めないからの」

佐助の剣幕を恐れてはいるものの、妖達からは口々に文句が湧き出て、どうにもおさまらない。
その声を、仁吉が軽い手の一振りで制する。
部屋がぴたりと静かになった後、懐から静々と一枚の紙を取り出し、夜具の中に放り込まれ、八千重の淹れた薬湯を飲み干した一太郎に見せた。
一太郎から空になった湯呑みを受け取った八千重も、それを目にする。

「これは……九兵衛の縁者の者かい?」
「九兵衛自身は嫁を貰わず、茶屋を任せていたおこうとの間にも子はなかったそうです。年の離れた妹が一人、死んだ兄の子が一人、親類と言える者はその二人くらいですね」

きっちりと名や歳、住んでいる長屋まで調べてきた手代に、一太郎と八千重は驚きの眼差しを向けた。

「凄いよ、仁吉。ここのところ結構店も忙しかったのに、いつの間に調べたんだい?」
「私はこいつらと違って、栄吉さんを追いかけ回しちゃぁいませんでしたからね」

一太郎に言われて仁吉は薄ら笑いを含んだ顔で妖らを見る。
整った顔立ちだけに、嫌味っぽいことこの上なかった。

「まったく、早く栄吉さんに三春屋へ帰って欲しかったら、九兵衛の一件を調べるが早道なのに、考えがお粗末な者ばかりだよ」

佐助にまで見下すように言われて、手代達とは長年そりの合わない屏風のぞきがものも言わずに真っ先にその姿を消した。

「我らも調べまする」

言葉だけ残して他の妖達も、綺麗に寝間から居なくなった。
八千重は膝の上からなくなった重みに一太郎と目を見合わす。

「やれ、妖を使うのが上手いね」

満足そうな顔の手代達に、夜具に身を沈めると、横になったまま疑問をぶつけてみる。

「ねぇ、九兵衛さんが金食い虫と呼んでいたのは、この親戚達だろうか」
「他にも居るでしょうが。この二人は、その嫌な虫に違いありませんね」

妹はお加代と言う名で、飾り職人の女房なのだが、酒が過ぎる亭主はもうずっと仕事の手が遅くなっていて稼ぎが悪いという話だった。
兄の隠居所へ通う用は、金の無心だったらしい。
次助という甥の方は、もう三十になろうかというのに独り者で、季節ものの品を売り歩く際物師だという。
叔父の跡目は自分だ、そして早々に九兵衛の代わりに若隠居になれたらどんなに楽かと、余所で洩らしていたことがあるそうだ。

「何だか情を感じない身内だね」

一太郎は、枕の上で顰め面を作って呟いた。
八千重も、一太郎同様に眉を顰めている。

「親戚なぞ、そんなものでしょう。旦那様のお身内だとてそうです。若だんなの葬式をして、己らの出来損ないの子を長崎屋の跡取りにする夢をみているじゃぁありませんか」
「毎年お年始に見えた時、まだ若だんなが息をしているのが分かると、皆さん残念そうですよ」
「っな、仁吉さん! 佐助さん!」

いくら手代達だとて言い過ぎだと八千重は窘めようと声を上げるが、当の本人の一太郎は苦笑いをこぼして「大丈夫だよ」と言うものだから、八千重は口を噤むしかなかった。

「九兵衛さん、金の為に誰かに殺されたのかしら」

一太郎の真正面からの問いには答えず、仁吉は紙と硯を乗せた文机を寝間に運んできた。

「程なく妖達が色々調べて参りましょう。話はそれからで」

仁吉は紙の上に、墨跡も鮮やかにお加代達の名を記していく。この紙に書かれる名の内、どれかが九兵衛を殺した下手人のものに違いないのだ。

「若だんな、今日はゆっくり休んで」

八千重は、仁吉と佐助とともに、そっと一太郎の寝間から出た。
今宵は妖達は調べ物に忙しいし、栄吉も寝ている。
疲れは早々に癒えはしないだろうが、薬湯を飲み、一晩寝ればマシな顔色に戻るだろう。

「お千重さん、今日は私が送って行きます」
「そうですね、お千重さんも若だんな程ではないにしろ疲れて居るでしょう。何なら駕籠でも……」
「わぁあ、大丈夫ですから! …ありがとうございます、佐助さん、仁吉さん」

一太郎同様に八千重もどんぐりや酷い茶の被害を被っていることを知っている手代達。
今にも駕籠を呼びに走り出そうとする仁吉の手を慌てて掴んで止めると、八千重は相変わらずの過保護振りに眉を下げた。



翌日の昼時、早くも妖達は人間関係を探り出し、長崎屋の離れに集まってきていた。
最初に口を開いたのは、今日ばかりは鳴家ではなく、派手な風体の屏風のぞきだ。
栄吉は久しぶりにこっそりと三春屋に帰っていて、離れには居なかったのは好都合だった。

「九兵衛の隠居所に出入りしていて、金食い虫と呼ばれていたのは全部で四人。身内は先に名が出たお加代と次助。後は、茶屋を任せていたおこうの息子で竹造、女中おたねの娘でお品というのがその虫だ」

文机と火鉢の横の一太郎を囲むように妖の輪が出来ている。
その中で、さぁこれでどうだと息も荒い屏風のぞきの報告を、仁吉が澄ました顔で紙に書き取っていた。

「竹造は九兵衛の子ではないが、おこうが生きていた時は、茶屋を切り回す母親から小遣いを貰って、ろくに働かずに暮らしていた。卵売りだと言いますが、誰も精を出してる姿を見たことがないそうで」

鳴家達の聞いてきたことを集めると、竹造は母が死んでからも苦労のない生活が忘れられず、九兵衛のことを父と呼んでは金を無心しに来ていたという。
九兵衛の残した金については、子供が父の金を貰うのは当然だと言っているのだとか。

「残る一人、女中おたねの娘お品だが、
こやつ中々凄まじい。まだ十六なのだがの、九兵衛を色香で誘っていたというのだ」

野寺坊の言葉に、一太郎は笹餅に伸ばしていた手を止めた。

「九兵衛爺さんて、幾つだったんだい?」
「もう還暦を迎えていたというから、お品の祖父より年上だったらしい。お品にはその方が良かったようだよ。夫婦にさえなれば、あとは早くに後家になりたいって所だったんだろうさ」

一太郎の問いに答えたのは獺で、いつも煌びやかに着飾っているだけあって、目を付ける場所が他の妖とは違う。

「九兵衛もそこのところは見えていたらしく、若いお品に着物や紅は買っても、祝言を上げようとはしなかったらしいよ。でも、お品が手に入れていたのは、上物の小町紅だよ。着物だって古着じゃぁないんだ」

高直な紅一匁は、金一匁程もする。
あの娘はやり手だと、感心しきりの獺だ。
事実、お品は自分は九兵衛の女房だと主張して、残った金を攫っていこうとしているらしい。
一太郎の膝の前に歩んで来た鳴家達が、小さな両の手を着物にかけて、嬉しそうに顔を見上げてきた。

「どいつもこいつも、九兵衛が死ねば喜ぶ手合いばかり。良かったですね、若だんな。下手人は選り取り見取りですよ。これで事は終わりますね」
「人殺しは一人に絞らないとまずいんだよ。そうでないとこの一件は収まらないのさね」
「大人数じゃいけないなんて、そりゃぁ贅沢な考えで」

鳴家から説教をするように言われて、一太郎は寸の間言葉を失ってしまった。

「と、兎に角、日限の親分に納得してもらうには、一人きりの下手人が必要なんだよ」

一太郎にそう言われてしまえば仕方ない。
妖達はまた金食い虫達を調べに走る事になった。
離れの寝間に疑問を一つ残して。

「親分さんは、饅頭はいちどきに三つも四つも食うくせに、何で下手人は一人が好きなんですかね?」

答えを知っている者は、お江戸中探しても居ないに違いなかった。
妖達が離れの寝間から姿を消してすぐ、寝間の襖の向こうからソッと声をかけられた。

「若だんな、八千重だけど…入ってもいい?」
「お千重ちゃん? 勿論良いよ、お入りよ」

一太郎が頷けば、佐助が襖をス、と開く。
八千重は開けてくれた佐助に礼を述べると、一太郎の傍に歩み寄り、腰をおろした。

「皆の報告はもう終わってしまったの?」
「うん、ついさっき聞いたところだよ。お千重ちゃんも呼ぼうと思ったんだけれど、仁吉に外へ出ていると聞いたものだから…ごめんよ」
「ううん、別にそれは良いの。ただ、私も一緒に報告した方が良いのかなって思っただけだから」

眉を下げる一太郎に、ゆるりと頭を振った八千重は、仁吉から受け取った妖達の報告内容の紙面に目を通す。

「お千重ちゃん、報告って? 何か分かった事があるのかい?」

八千重の言葉に、一太郎は目を瞬かせて八千重に問う。

「──うん。…実はね、左京先生の所に行って来たの」

紙面を滑るようにして内容を確認した八千重が、一太郎へと視線を戻す。

「左京先生の所へ?」
「そういえば、日限の親分さんがあの男が死体を調べたと言っていましたね」
「そうか、そうだったね。それで? 左京先生はなんて仰ったんだい?」

合点がいった一太郎は、頷いて八千重に先を促す。

「何の毒かは分からないけれど、九兵衛さんが一服盛られて亡くなった事は確かみたい。病で亡くなられたのではなかったようだよ…私も左京先生からその時の話を窺ったのだけれど、遺体に現れていた状態は、毒物のものによるものだと思ったわ」
「──そうなんだ…」

左京だけではなく、八千重までもが言うのなら、まず間違いはないだろうと一太郎は頷いた。
だが、九兵衛の死因が病でなかったとのことで、栄吉の待遇が懸念される。

「栄吉は、どうなるんだろう? 番屋にまた連れて行かれてしまうのかな?」
「日限の親分さんにはもう報告したと仰っていたわ。でも、栄吉さんを連れに現れないってことは、何か親分さんの方で進展があったのかも知れない」

八千重の言葉に、夜具の中で一太郎は思考を巡らせる。