八千重の一言に一太郎も同調し、隠居所に行く必要があると言い張ったので話の続きを隠居所でしていた。

「根っからの博打打ちだったんですね。欲で己に近付いて来た者達に、あっさりと金を残す気にはなれなかったんでしょう」

寄ってきた者達が、自分ではなく金の方に顔を向けているのが久兵衛には分かっていたのだろう。
一太郎は、庭に植えられた毒草を見つめている八千重に視線を移す。

「…久兵衛さんは、あの四人が訪ねて来ると、この庭の毒草を口に含んだのでしょう。毒には素人でしょうし、必ず死ぬとは限りません。運悪く、本当に久兵衛さんが亡くなった時に居合わせた人を下手人に祭り上げる計画だったのでしょう」

八千重は、指先で水仙の葉に触れながら言った。

「それでしょっちゅう具合が悪かったのか。そして運の悪いことに、たまたま本当に死んだときに栄吉さんの饅頭を手に持っていた。……辻褄は、合うけれどね」

日限の親分は、得心したような、納得いかないような、どうにも中途半端な顔をしていた。
黙り込んで何やら考えている親分に、八千重が近付く。

「───久兵衛さんが誤って毒草を食べたか、もしくは自害したと言った方が簡単で分かりやすいのではないか……そんな事を考えてませんか?」
「!?っ」

図星だったのであろう、驚きに目を見張る日限の親分に、八千重は眉を下げて微笑む。

「誤って食べる、というのはあり得ません。何故なら、この庭の全ての毒草を注文したのは久兵衛さんです。誤るなどないでしょう。次に、自害…というのは最初に私達も思いましたが、それは……」
「根っからの博打打ち、というのが引っかかってしまって……そこで、日限の親分さんに頼んでここへ連れて来て貰ったんです」

八千重と一太郎の言いたい事が分からず、親分首を捻る。

「そこまで考え抜いた久兵衛さんなら、何か事の顛末を綴った書き付けを
残していると思うんです」
「そう。根っからの博打打ちなら、最後に当たりか外れか…事の次第を記したものを家のどこかに隠している筈です。それを探しに来たんですよ」
「そうかねぇ。そんな都合の良いものを書いたりしているかねぇ」

一太郎と八千重の言っている事に半信半疑の日限の親分は、久兵衛の寝間の真ん中に立ったものの、どうしたらいいのか分からない様子だ。
八千重は、庭から家へ上がり、一太郎の傍に歩み寄ると、親分に聞こえないようにこそっと問う。

「若だんなは、隠してある場所を知っているのでしょう?」

問いてはいるが、その言葉の響きは確信しているというものだった。
何故ばれたのだろうかと軽く目を見張ると、八千重が苦笑いで部屋の隅の影を指差した。

(いつの間に着いてきたんだい)

指差す先を見て、一太郎は成る程と合点がいった。
いつの間にか着いてきていたらしあ妖達が、聞こえないのをいいことに、ぶつぶつと文句を言っていたのだ。
一太郎と八千重は、苦笑いで顔を見合わせた。
そう、実は書き付けはあるのだ。
一太郎がもしや、と思って探らせると、あっさりと鈴彦姫が書き付けらしきものを見つけてきた。
久兵衛の寝間にある箪笥の、右側の引き出しの奥に絡繰りの戸があって、その向こうに隙間がある。
何やら書いたものが入っている事だけは、影に身を潜められる妖達には分かるのだが、絡繰りが邪魔になって肝心の紙を取り出すことが出来ない。
仕方なく、中身を確かめないまま一太郎は隠居所に来ているのだが、一人でそこまで考え付く八千重の鋭さに一太郎は内心驚いていた。

(お千重ちゃんに、嘘は吐けないね。すぐに見破られてしまいそうだもの)

「なぁに?」

ちらりと視線を寄越した一太郎に、首を傾げる八千重。
一太郎は、何でもないよ、と誤魔化して、さてどうしたものかと悩み出す。

(どうやってあの書き付けを見つけてもらおうか)

日限の親分は、何とも頼りない。
しかし、だからと言って一太郎と佐助が、あまりでしゃばって調べる訳にもいかない。

そんな事をしたら、一太郎が書き付けを、作り出したのではと疑われ兼ねない。
それは八千重も同様で、更に書き付けのある場所まで分からない八千重は、日限の親分の動向をただ見守るだけだった。
岡っ引き達は、もうすでにこの部屋も庭も一通り調べている筈だ。
一旦見つけられなかったものをどうやって"たまたま"見つけて貰おうか、と一太郎は眉間に皺を寄せて考えている。

(あっ…!)

その時、役立たずの親分に業を煮やした鳴家が、どんぐりを二つぶつけた。
八千重は思わず出そうになった声を押し止め、手で蓋する。
何だ、と振り向いた拍子に、親分がそのどんぐりを踏んづけて盛大にひっくり返った。
地鳴りのような音が辺りに響き渡った。
親分の、その顛末を見ていた佐助が動く。
素知らぬ顔をしながら、例の箪笥をひょいと指一本で引き倒したのだ。
さらに大きな音が響く。
八千重は、口を両手で塞いでいたため、悲鳴をあげずに済んだ。

(佐助や、そんなにわざとらしい事をして!)

一太郎は焦ったが、既に箪笥は倒れた後だ、どうしようもない。
こうなったらこのまま突っ走ろうと一太郎は腹を括った。

「これはすごい騒ぎで」

慌てて佐助と箪笥を元に戻すように見せて、その実一太郎は、素早く小引き出しを引き抜いて落とした。

「あ…」
「!、お千重ちゃんは危ないから下がっていておくれ」

両手を口から離した八千重がそれを目撃し、思わず声が出た。
一太郎は慌てて言葉を繕い、八千重は頷く。

「俺が転んだ弾みで家具までひっくり返るとは。少し太り過ぎたかな」

驚いた日限の親分は、照れ笑いを浮かべながら落ちた引き出しを戻そうとする。
その時一太郎が、さも驚いたといった顔をした。

「あれ、親分さん。引き出しの奥の少うし開いているところ、あれはなんでしょうね?」
「うん?」

一太郎が指差した先、箪笥の奥の絡繰りを六つの目が見つけることとなった。
いつも寝てばかり、外出の出来ない代わりに、絡繰りものを解くのは上手な一太郎だから、寄せ木を動かすと、あっという間に奥から書き付けを取り出した。

(若だんな、凄い!)

「こりゃぁ……久兵衛の書いたものだよ。若だんな、お千重ちゃん、さっきあるかもしれないと言っていた書き付けかもしれないよ」
「「本当ですか?」」

どこか芝居がかった一太郎と、本気で手を叩いて喜んで言った八千重とで声が合わさった。

「これに子細が書いてあれば、もう栄吉が責められる事はなくなりますね」
「流石、日限の親分さんです!」
「親分さん、お手柄ですね」

上手いこと長崎屋の三人に乗せられて、得意顔になった親分が急ぎ書き付けに目を通す。
褒美のことでも頭を掠めているのか、笑うような顔だった親分が、段々と口を真一文字に結んでいき、その内に、怒りを浮かべた顔を真っ赤にしていた。

「親分さん、どうかしましたか?」
「私達の推測が外れていたんですか?」

親分の様子に心配した一太郎と八千重が聞くと、親分は肩から力を抜いて、傍に近寄っていた一太郎達に笑いを向けた。

「いいや、今回の殺しの訳はさっき聞かせてもらった通りだった。凄いばかりの推察だよ、若だんな、お千重ちゃん」
「それなら、何でそんな顔をなさっているんです?」

佐助の問いに、岡っ引きは顔を歪める。

「久兵衛には、若だんな達が思い付いた以外の思惑があったのさ。あいつめ、墓から掘り出して、石でも抱かせてやりたいよ」
「野辺送りもとうに終わっていて、久兵衛は腐りかけておりましょう。親分さん、そりゃぁぞっとしない話で」

手代の話に親分が怯んだ隙に、一太郎と八千重が身を寄せて書き付けに目を通す。
直ぐに顔一杯に驚きを乗せる事となった。

「驚いたよ。ねえ、お千重ちゃん」
「うん。佐助さん、久兵衛さんはこの一件で、お上に博打を仕掛けていたみたいです」

金食い虫達を罠に掛けることにした久兵衛は、更に事の子細を書いたこの書き付けを残すことで、奉公所の力を試していた。
端から久兵衛の仕掛けを見破れば、お上の勝ち。
金食い虫の誰かを下手人に出来れば、久兵衛の勝ち。
一旦は下手人を捕まえても、お調べまでにこの書き付けを見つけて、金食い虫達の無実に気がつけば、お上の勝ち。
全く何がなんだか分からず仕舞い、久兵衛の自害として誤魔化したのなら、例の四人には生涯胡散臭い噂がつきまとうことになるだろうから、久兵衛の勝ち。
書き付けは最後に、生き残った者に金を分けてくれ、と結んでいた。
それは、勝ち残り、生き残った者への分配金の様であった。

「久兵衛の奴、これから閻魔様の前に行こうって時に、ふざけた真似をしやがって!」

どうにも収まりがつかない様子の日限の親分だったが、心底怒っているわけではないと、一太郎と八千重には見えた。
何と言っても、あの書き付けを八丁堀ね旦那に差し出せば、自分も同心もお手柄は間違いなしだ。
褒美の一つも懐に入る。
心は既にそちらに向かっていると見た。

「栄吉の為に、三春屋には俺からようく説明してやるよ」
「宜しくお願いします」

そう請け負うと、岡っ引きはにやりと笑った。
書き付けを同心に届け、褒美と褒め言葉を受け取るべく、早々に隠居所を引き上げて行った。

「久兵衛は、本当に博打が好きだったんですねぇ」

余人の居なくなった隠居所に、わらわらと妖達かま湧いて出る。
鳴家達が、一太郎の膝の上を特等席と、競って登っては後の者に振り落とされている。
八千重の膝の上にも、同じ様に鳴家が競って登って来る。
その様子に笑みを浮かべながら、一太郎がぽつりと言った。

「久兵衛さんは、己が死ねば喜ばれるだけと思って、それが我慢出来なかったのだろうさ」

八千重は、仲の良い鳴家達を抱き上げ、その頭を撫でながら眉を下げて微笑む。

「───寂しかったんだろうね。自分の死が、望まれていこそすれ、身内の誰にも残念にすら思って貰えないというのは……とても、寂しいよ」

寂しい、寂しい。
このまま死んで喜ばれるだけなのは、耐えられない……。
金食い虫達が、通夜の席で喜んでいる姿を、久兵衛は思い浮かべたのだろうか。
その思いの挙げ句に仕掛けられた罠。

「……でも、栄吉は、久兵衛さんが来なくなって残念だと言っていた。寂しげだったんだよ」

久兵衛は不味いと承知の菓子を、こまめに買って食べ、話のきっかけを作っていた。
三春屋での栄吉との会話は、楽しいものだったに違いない。
そういう事も出来たのだ。
栄吉も来店を待っていたと気が付いていれば、他にも楽しみを見つけられたかもしれない。

(心待ちにする事が多ければ、一生の幕引きをこんな風にはしなかったかも……)

八千重は、鳴家の頭を撫でながら、ほろりと涙を落とした。
雫が鳴家の頭に落ちて驚く鳴家に、ぎこちなく微笑みを向け、大丈夫だと言ってまた雫を落とした。

「───お千重ちゃん……」

気付いた一太郎が、鳴家が膝の上から転げ落ちるのも気にとめず、八千重の傍に寄り添うと、その背を優しく撫でた。

「っ、ごめん、若だんな……」
「良いんだよ、落ち着くまでお泣きよ」
「……ありがとう…」

ほろほろと涙の雫を落とす八千重の背中を優しく撫でながら、一太郎は、庭の草木へと目を移す。

(植えられた草木を美しい花と見るか、人を殺す毒と思うか)

人の勝手な思いなど知らぬげに、緑はあるかなしかの風に柔らかく揺れていた。














(最期の大博打、勝ったのは───…)