「一々そんな事言わなくっても、好きなだけ居ればいいさ。でも、どうしたんだい? もう親分さん達からの疑いは消えたんだろう?」

一太郎の言葉に、栄吉の顔が歪む。

「表向きはそうなっているが、九兵衛さんは毒で死んだからね。やっぱり原因は俺の作った饅頭にあるのでは、と思っている親戚が一人ではなくいるのさね。まるで絽の着物を透かして見るように、縁戚達の考えが分かるのさ。長い付き合いだもの。声に出さずとも腹の内は見えてしまう」

(親分さん達が違うと言ってるから、真正面から責めては来ないけど、ただ栄吉には言って来ないだけってことか…)
(そんな状態の家に帰るなんて…とても居た堪らなくて出来ないよね。栄吉さん──…)

そういう手合いの者に、変に慰めの言葉をかけられると、相手の心の底と違うと承知しているだけにかえって辛くなる、と栄吉は溜め息を吐いた。

「そうかい、そんなにはっきりと分かるものか……」

長崎屋では、阿波の上等な砂糖よりも甘く甘く一太郎に接する者ばかりだ。
栄吉の話は、一太郎に何やら考えさせるものがあった。
それは父と娘の二人だけの生活をしていた八千重も同じで、親戚との付き合いなどしたことがなく、やはり一太郎と同じように何かを感じ、考えていた。
それから一太郎と栄吉は、家に帰ると言って退出した八千重を見送り、そのまま夕餉を一緒に食べて、やがて部屋に引っ込むために立ち上がった栄吉に一太郎は声をかけた。

「九兵衛さんが店に来なくなって寂しいかい?」

栄吉は、素直に頷いた。

「菓子を買いに来ちゃぁ、長々と話をしていったからね。それが急になくなったんだもの」

老人の思い出を語る声も、しんみりとした調子だ。
やり手でがめつい博打打ちの老人が、栄吉の口から姿を現すと、別人のように感じられた。

「そうか……」

栄吉が部屋から消えると、張り合うようにまたぞろぞろと妖達が部屋の中に現れる。
妖達に顰め面の一太郎が声をかけた。

「もう少しで栄吉も家に帰れるよ」
「では、下手人が分かったんで?」

寝間に布団を敷いていた手代達、鳴家や屏風のぞき達が一斉に手を止めて一太郎を見る。

「だから……」
「はいっ」
「お前達、ちょいと植木屋わ調べておくれでないか」
「はぁっ?」

時々噛み合わなくなる会話で、妖達の方が困ることは珍しい。
皆のきょとんとした顔を見て、一太郎は少し顔を明るくして笑った。

「多分、お千重ちゃんも同じ見解に行き着いたと思うんだけれど……話す暇がなかったからね…明日、話すとしよう」



翌朝、薬種問屋に出勤した八千重は、仁吉から昨日の一太郎の言葉を聞いて、表情を曇らせた。

「もう直ぐ植木職人が来ますから、お千重さんもご一緒に、とのことです」
「……分かりました。では、それまでに薬を幾ばくか作っておきますね」

頷いて、早速作業に入ろうとした八千重の背に、仁吉が声をかける。

「お千重さん」
「? はい、まだ何か?」

振り返った八千重に、仁吉は口を開いたが言葉が出ず、ソッと頭を振った。

「いえ、手伝いが必要でしたら仰ってください」
「え……はい、ありがとうございます」

平素から八千重は手伝いなど必要ないと知っている仁吉の言葉に八千重は面食らったように寸の間瞬きし、それからやんわりと微笑んだ。
どこか憂いを帯びたその微笑みは、仁吉の記憶の中の想い人と重なり、心の臓が軋んだ。

「…………………」

仁吉は、一つ息を吐くとやがて自分の仕事を再開した。




植木職人が来た、と聞き、八千重は離れへと足を進めた。
一太郎の部屋の襖の前で一呼吸し、そっと声をかければ、一太郎の返事がある。
襖を開けて中へ入ると、達磨柄の火鉢の前の定位置に座る一太郎と、それを挟んだ向かいに座る半纏股引に三尺帯というなりの齢五十過ぎの体格の良い男が座っていた。
足袋を履いていないその男は、八千重の姿に目を瞬かせている。
一太郎に促された八千重が一太郎と庄三郎の間に座ると、一太郎が口を開く。

「お千重ちゃん、此方植木職人の庄三郎さん。庄三郎さん、此方は長崎屋で雇っている薬師のお千重ちゃんです」
「初めまして、八千重と申します。どうぞお千重とお呼びください」
「あ、あぁ…これはご丁寧に……」

一太郎から紹介を受けて頭を下げる八千重に、面食らった様子の庄三郎は、どこか落ち着かなそうに応え釣られるように頭を下げた。

「お千重ちゃんは、種を蒔く秋草の事をおっかさんのの代わりに聞いておいて欲しいと頼まれているから呼んだんです。何か不都合はありますか?」
「あ───…あぁ、そう言うことならなんも問題ありませんや。いやぁ、しかし、別嬪さんなんで、驚きました…若だんなの嫁御さんで?」
「なっ…しょ、庄三郎さん、違いますよ!」

顔を真っ赤にした一太郎が否定するも、その顔色を見るや庄三郎は成る程と一つ頷いた。
無言でいる八千重も、一太郎に負けず劣らずに顔が真っ赤に染まっていた。
佐助が淹れてくれたお茶を誤魔化すようにして二人が飲めば、庄三郎は秋草の事を話し出す。
一頻り話し終えたらしい庄三郎が、お茶で喉を潤すのを見た一太郎が、そう言えば、と口を開く。

「この間亡くなられた久兵衛さんの隠居所の庭も庄三郎さんが作られたと聞きましたが、本当ですか?」

ピクリと肩を震わせた八千重に気付かず、庄三郎は頷く。

「そうです。久兵衛さんに注文されまして、拵えたんですが…植えるものに拘りがあったらしく、細かく指示がありましたよ」

思い出しながら話す庄三郎の傍らで視線を交わす八千重と一太郎。

「拘って作られたということは、さぞかし立派なお庭なんでしょうね。庄三郎さんは腕が良いと評判の職人ですし…───何を植えられたんですか?」

八千重の言葉に、庄三郎は、すらすらと草木の名をあげていく。

「馬酔木、桔梗、水仙、しきみ、曼珠沙華、蓮華躑躅…そうそう、万年青の鉢植えも置きましたね」
「へぇー」

(全部、毒がある)

感心したような声をあげながら、視線を寄越した一太郎に八千重は真剣な表情で一つ頷く。

「それはすごいですね」

八千重は、微笑みながらも胸中は穏やかではなかった。
八千重がお茶で喉を潤すと、離れに来客があった。

「これは親分さん、丁度良いところに。今、来てくださらぬかと使いをやるところでした」

現れた日限の親分は、珍しい先客に驚いている様子で、一太郎が歓迎して八千重の向かいに座り込んでも、庄三郎を怪訝な顔で見ている。

「親分さん、此方は駒込から来ていただいた植木職人の庄三郎さんで」
「おや、長崎屋さんでは新しく庭を作り直すんですかい」

紹介されて合点がいったとばかりに親分は問い、大店は違うねとお愛想で続けた。

「おかみさんの所用でお越しくださったんですよ、私が代理で聞きました」
「そうなのかい。おかみさんはお千重ちゃんを本当に娘みたいに思っているんだねぇ」
「ふふ、有り難い事です」

手代が親分に茶と甘餅を出すのを待ってから、一太郎が口火を切った。

「ところで、さっき聞いたんですがね、庄三郎さんは亡くなった久兵衛さんの隠居所の庭を作ったそうなんです」

話が先の殺しの方に向かうと分かった岡っ引きは、ぐっと表情を引き締める。
珍しく、差し出された甘餅にすぐに手を出すこともない。

「庄三郎さん、日限の親分の前で、もう一度隠居所に植えたものの名を言ってくれませんか?」

庄三郎は、頷くと先程と同じように草木の名をあげる。

「親分さん、これらの草には全て毒があります」
「なんと……」

医者を親に持っていた八千重が言うと、親分は驚いた。
自分にも馴染みがあるような花まで毒だと聞かされ、目を丸くしている。

「久兵衛に一服盛るために庭に毒草を植えた奴がいるのか」
「いいえ。毒草を注文したのは久兵衛さん御本人ですよ…ねぇ、庄三郎さん」
「はい、そうです。あたしは久兵衛さん御本人に注文されました」
「は? 久兵衛さん自身が毒草を植えさせた?」

これは親分にしてみれば意外な話の展開だったと見え、言葉が続かない。
植木職人が知っていることはそれが全てで、一太郎は庄三郎に礼を言って退出させた。

「親分さん、今日は食が進みませんね」

先に甘餅を摘まむ一太郎に、日限の親分が火鉢の向こうから渋い顔を向けた。

「つまりなんですかい。この一件は殺しではなく、自害だ。下手人なぞ居ないと言うのが、若だんなの考えなんですか?」

何とも納得のいかない顔の岡っ引きに、一太郎は持っていた甘餅を小皿に置いて口を開く。

「違いますよ、親分さん。これは列記とした人殺し。ようく考えられた怖い話なんです」

親分は、今度こそ言葉を失ったようで、離れの風雅な部屋には暫しの間静まり返っていた。

「親分さん、私達を久兵衛さんの隠居所に連れて行ってください」

その静寂を破ったのは、八千重のそんな一言だった。
そして、場所は離れから久兵衛の隠居所に移る。
呆れた顔の日限の親分と一太郎、八千重…それからいつ何時も傍を離れたりしない手代の佐助が、久兵衛の隠居にいた。

「つまり、こういう訳ですかい? 久兵衛は本当に体を壊していて、もう長くなかった。そこで、この家に金の無心に来る薄情者の一人を下手人に仕立て上げる気で、己が殺されるという筋書きを立てたのだと」

久兵衛の一軒家は、さして広くもなかったが、庭も部屋の中もそれなりに気を遣った作りをしてあって、悪くない。