「せめて何の毒か分かればな、と思ったんだけど…毒の種類って、結構多くて……道に生えてる野草にも毒草はあるし」
「そうなの? 詳しいね」
「毒草の中には薬草にもなるものもあるからね」
「へぇー」

一太郎は感心して声を出した。

「でも、これからどうしよう……妖達は今、何を調べてくれているの?」
「一人きりの下手人さね」
「え??」

先程の妖達と一太郎の会話を知らない八千重は、わけが分からずに一人首を傾げる。
一太郎と手代達がおかしそうに笑うが、何が面白いのか一人理解できない八千重は混乱するのだった。

(…しかし、九兵衛が殺されたと決まったからには、早くに下手人を捕まえないと栄吉が安らげないね)

一太郎は、ソッと息を吐いた。




日限の親分が一太郎を訪ねてきたのはそれから半刻程してからだった。長崎屋に来れば、茶菓子はたっぷりと出るし熱心な聴き手もいる。
しかも帰るときには袂に幾ばくかの金子の包みが落とし込まれると決まっている。
親分の足は、自然と一太郎の元に向かうのだ。
だが、親分から聞けた事は、既に妖達と八千重が調べて来たものだけで、真新しい情報はなかった。
たった一つの収穫といえば、容疑者から栄吉が外れている、といったものだけだった。
八丁堀の親分は、四人の金食い虫達を怪しんでいるようで、虫達は、九兵衛が死んだ理由もまだはっきりとしていないというのに、己が九兵衛の家、金を継ぐのだと言い張っているらしい。

(いくら容疑者から外れたといっても…栄吉が不憫で堪らないさね)

先程久し振りに家に帰った栄吉は、思った通りに親戚連中に責め立てられて、半泣きで長崎屋に逃げ帰って来たのだ。

「それじゃぁ、今日はここら辺で」

笹饅頭を四つも平らげた日限の親分は、良い機嫌で立ち上がる。
すると、どうしたことか、急に頭が右に大きく傾き、一太郎が目を見張るほどの地響きを立てて大の字にひっくり返ってしまった。

「親分さん、大丈夫ですか?」
「あいたた……なんぞ踏んづけた」

言われて畳の上を見回すと、部屋の真ん中にまん丸い小石が一つ、転がっていた。
栄吉目当てに妖達が持ち込んだ嫌がらせの罠の一つに違いなかった。

「すみません、何でこんなものが部屋の中に……」

ひたすら謝る一太郎相手に怒る訳にもいかない親分が、腰をさすりながら離れから帰っていく。
その前屈みの格好が離れから消えるとすぐに、嬉しそうに笑っている顔が幾つも部屋の隅に現れた。

「これはいい気味で。親分は、いつも我らが若だんなの為に探ったことを、先に喋ってしまうんだもの」
「鳴家! こういう事はしちゃぁ駄目だと言ったのに」

一太郎が渋い顔を浮かべた。
反省の色を見せない鳴家達に、何事が起こったのかと店表から飛んできた仁吉が厳しい目を向ける。
石ころをひょいと拾うと、それで鳴家の頭を小突いた。
仁吉と同じく何事かと駆けて来た八千重に、鳴家達は助けを求めるかのようにへばり付く。

「親分さんだから良かったものの、若だんなやお千重さんが転んだらどうする気だったんだ! え?」
「仁吉、その言い様じゃぁ、日限の親分が気の毒だよ、ねぇ」

苦笑いの一太郎と、しがみついてくる小鬼達、ちょろちょろと逃げ惑う小鬼達を手に小石を握っている仁吉が追いかけ回している…そんな様子に、八千重は、事の次第が何となく分かって一太郎と同じ様に苦笑いを浮かべた。

「仁吉さん、もうその辺でやめてあげてください」

一太郎も、八千重の言葉に続こうとした時、不意にそんな一太郎の目の前に横から一本の緑の枝が差し出された。

「これは何だい、屏風のぞきや」

一太郎の声に、八千重が振り返る。
そして、屏風のぞきが手にしているものを見て、あれは…、と一太郎と屏風のぞきの傍に歩み寄った。

「これは、しき「しきみね。どうしたの、それ」…………」

屏風のぞきの言葉を遮るようになってしまったが、八千重は悪びれた様子もなく純粋に問う。

「しきみ?」
「よく仏壇なんかに供えてあるんだけど、若だんなは見たことない?」

一太郎は、八千重に言われて、屏風のぞきの持つ枝を見つめる。
屏風のぞきは、八千重を睨む様な目で見つめていたが、コホン、としきり直すように咳を一つすると、口を開いた。

「こいつは九兵衛の隠居所に植わっていたものだよ。知ってるかい、若だんな。しきみには大層な「毒があるわ」………………」

またしても、屏風のぞきの言葉は八千重に遮られてしまった。

「え? じゃ、じゃぁ九兵衛さんはこいつで殺されたって言うのかい?」

目を見張る一太郎に、屏風のぞきは悔しそうだ。
良いところを八千重にかっさらわれているた為なのだが、奪った八千重はもとより一太郎すら気にしていない。
手柄を横取りされているのに気付いているのは、八千重にへばり付いている小鬼達のみだ。
しかも、ニヤニヤとおかしそうに笑っている小鬼達に、すっかり屏風のぞきは機嫌を悪くした。

「──盛られた毒が、石見銀山鼠取り薬だったら、あの左京って医者だってすぐにそれと分かるんじゃぁないかい? 未だに毒の見当が付かないってことは、きっとこういうものが使われたのさ」

不機嫌そうに話し出した屏風のぞきを不思議に思いながらも、一太郎と八千重は顔を見合わせる。
いつの間にか部屋の中は静まり返って、屏風のぞきの声に皆が聞き入っていた。
それに気が付くと、現金なもので、屏風のぞきの気分は浮上していく。

「毒と言うなら、九兵衛の庭にはこんなものがありましたよ」

庭先から姿を現したのは蛇骨婆で、一見白髪頭の老婆のように見えるが、よく見ると凡そ老人とは思えないような肌艶をしている。
蛇骨婆が差し出したのは、やや幅広の葉の鉢植え。
それはよく庭先で見る植物だった。

「これは万年青じゃないか」

一太郎が不思議そうに差し出された葉に触る。

「…万年青には、毒があるわ」
「え?」
「そう。こいつは一部を摺り下ろして飲ませると、人にはよぅく効く毒となるんですよ」
「へぇ……」

馴染み深い草で人殺しが行われたかもとの言葉に、一太郎は感心した声を出した。
すると、どこで聞いてきたのか、我も褒めて欲しいとばかりに妖達が次々と現れて、怪しげな草木の話を離れに持ち込んできた。

「毒草が入り用なら、九兵衛の家には桔梗が植わっていたぞ。あれなぞ花は綺麗だがなかなかに恐ろしい毒草で」
「それならば水仙だとて結構怖い。韮と間違えて葉を食べてしまい、医者に担ぎ込まれたという話を聞きました」

野寺坊が言えば、次いで獺が話す。

「馬酔木も庭に生えていました。あれも毒があるという話ですよ」

鈴の付喪神である鈴彦姫まで話に加わる。
八千重は、眉根を寄せた。
妖達の話を纏めると、九兵衛の家は毒草だらけのようだ。
一太郎も眉間に皺を寄せ、うん、と唸る。

「一つの庭に植わっていた草木が、たまたまこんなに毒を含んでいたものばかりだったっていう偶然が、あると思うかい?」

達磨柄の火鉢を抱えるようにしながら、隣にいる八千重と手代達に話を振る。
八千重は勿論、手代達も首を横に振った。

「田舎の話ならともかく、お江戸のど真ん中、九兵衛の隠居所は庭と言っても猫の額程でしょう。こんなに幾つも毒草ばかり集まるもんじゃぁありません」
「この内、一体どの毒で殺されたものやら」
「そこいらにある毒草を使ったとすると、まずいね」

頬杖をついた一太郎は、渋い顔を作る。

「──そうか、だから左京先生も毒の種類までは分からなかったのね。毒草の話までしたのに……そこまで全然行き着かなかった…」
「仕方ありませんよ、死に様も遺体も直接見ちゃぁいないのですから」
「扱い慣れた薬でもない毒草の見極めなどつくものではありません」

手代達が八千重を慰めるように言うが、八千重の表情は晴れない。

「……若だんな? どうかしましたか?」

こんなとき、平素なら優しく声をかける一太郎が、何も言わないことに気付いた佐助が、具合が悪くなったのかとその顔を覗き込んだ。
だが佐助が聞いても返事もしないものだから、やれ薬の支度だ、頭を冷やす手拭いだと、騒ぎが起こる。

「若だんな、大丈夫?」

八千重も一太郎の肩にソッと手を置き、心配気に声をかけた。

「お千重ちゃん、博打、という言葉が何だか引っかかるんだよ」
「え?」

一太郎の一言に、手代達の足がぴたりと止まった。

「…確かに、九兵衛さんは根っからの博徒だって話だけど……」

それがどうかしたのかと手代達の言葉に、一太郎はしきみの枝を手に取ると、それを確かめるように振った。

「毒を含んでいると言ったって、こういう生の草は扱いは難しい。都合良く死ぬほど食べさせるのは大変じゃないかな?」
「それは──…、確かにそうだね。草に寄って致死量も違うし、それを九兵衛さんに気付かれない様に摂取させるというのは、難しいね」
「最近、九兵衛は具合を悪くする事が多かったという話だろう? 欲の皮の突っ張った、素人連中に何度か毒を盛られては死に損なってたんじゃぁないかい?」

八千重と一太郎の会話に、屏風のぞきが口を挟むと、一太郎はそこだとばかりに頷く。

「富籤を茶屋に化けさせたんだ。九兵衛は目端が効く。臥煙だったんだから、気が弱いわけでもないだろう? どうして何回も黙って毒を盛られていたんだろう?」
「それは───…」

一太郎に言われて、思考を広げた八千重は、やがてハッと息を呑んだ。

「誰ぞの土産を食べて具合が悪くなれば、用心して食べ物には気を使いそうなものですよね」

佐助が頷いている横で、八千重の表情は険しくなっていく。

「大体、何故毒草が九兵衛の庭に集まっているんですかね? 庭から摘んだ毒わそのまま食べてくれるわけでもなし、食べ物に混ぜて九兵衛の所へ持って行くなら、あんな所に植えておく必要もないのに」

手代達の言葉に、八千重と一太郎は、目を大きく見開いた。

(分かったわ。あぁ、きっとそうに違いない!)

八千重は、纏まった思考を飲み込んで、一太郎を見る。
一太郎も八千重に視線を移すと、一つ、静かに頷いた。
その時。
背後で出し抜けに襖が開いた。
驚いて一太郎は飛び上がった。

「一太郎…あ、お千重ちゃんも居たんだ。ちょうど良かった……これ、家から保たされた菓子だ。さっき帰って来たとき、渡しそびれていたよ。食べておくれ」

突然の声の主は、やはり例によって栄吉で、甘餅を折に入れて持ってきた。
揃って形の良い美しい餅は明らかに父親の作ったもので、息子が居候している事への礼に違いなかった。

「わぁ、美味しそうな甘餅」
「こんなに気を使ってくれなくても良いのに」

八千重は早鐘を打つ心の臓を落ち着かせるように胸に手をあて、一太郎は引きつった笑みを浮かべて甘餅を押しいただいた。
鳴家は不思議と人目に付かない妖だし、仁吉たち手代は一太郎の部屋にいても怪しくはない。
他の妖達は素早く隅の暗がりの中にその姿を隠したので大事にはならなかった。
だが、どうにも格好がつかなかったのが屏風のぞきだった。
人型をとっているから余所では目についても何とかなるが、屏風を見慣れている栄吉の前に出るのは不味い。
空になっている屏風を見付けられるのはもっと不都合だと言うわけで、死に物狂いで屏風へ戻ったらしく、絵の中で後ろ向きにひっくり返っていた。

(っ、笑っちゃだめ…笑っちゃだめ……っ)

八千重は必死で栄吉の目から屏風を背で隠しながら、さらに必死で笑いを堪えていた。
手代達は落ち着いたもので、甘餅に茶を添えて三人の前に出していたし、一太郎も早速一つ摘まんで頬張っている。
八千重が必死に隠したおかげか、栄吉は屏風の異変に気付かずに情けなさそうな声を出した。

「一太郎、済まないがもう少しの間ここに居てもいいかい?」