「女中のおたねによると、そういう者ばかりではないらしい。九兵衛は、纏めて金食い虫達と呼んでいたようで」
「へえ……」

一太郎と手代達が目配せをし合う。
どうやら隠居の生活は、安穏としたものではなかったようだ。
次々と戻って来た者達からは他に目新しい話はなく、この辺りで今日の調べは一段落らしかった。

「次の手は、その金食い虫達を調べるんですかね」
「お前達が頼りだよ。明日からも頼むね」

一太郎に優しく言われて、部屋に満ちていた妖達は、目をとびきり輝かせて頷いた。

「若だんな、入るよ」

スラリ、と障子戸が開けられた。

「おや、お千重ちゃん」
「夕餉持ってきたよ」

障子の向こうにある御膳に、仁吉と佐助が動く。

「私達の分まで持ってきて下さったんで?」
「大変だったでしょうに」
「そこまで女中さん達が手伝ってくれたんです」

部屋の中に御膳を運び込みながら八千重は笑う。
部屋の中に居た妖達は、運び込まれる膳に、期待に目を輝かせて八千重と一太郎を見つめていた。

「若だんな、皆今日のお勤めは終わったんでしょう?」
「うん、皆頑張ってくれたよ」

問われて一太郎が頷けば、八千重はにっこりと微笑む。

「口に合わないかも知れないけれど、どうぞ」

そう言って、八千重はまだ運び込まれていなかった膳を妖達の前に置いた。
卵焼きや煮しめ、焼き物、握り飯の良い香りが広がり、妖達は目を輝かせる。
酒もあれば、甘い物もある。

「さすが若だんなの嫁御だ。分かっていなさる」

誰かの呟きに、妖達は皆揃って頷く。

「よ、嫁って……」

一太郎が顔を真っ赤にしているのを尻目に、さあ宴会だと妖一同満足気な顔で畳に座り込んだ時だった。
突然、襖が開いた。
一太郎は凍りついたかのように固まってしまい、火鉢の脇に座ったまま声もない。
八千重も、妖達に酌をしようとちろりに手を伸ばした格好のまま、固まってしまっていた。
二人とも、顔だけが現れた栄吉の方に辛うじて向けられた。

「栄吉、起きたのか。もう具合はいいのかい?」
「うん、落ち着いたよ。ありがとう」

そう応えてから、怪訝な顔を浮かべて栄吉は首を傾げた。

「何だか大層な食べ物が並んでいるね。お前さん、いつからこんなに食が太くなったんだい?」

聞かれても、今の今まで人成らぬ者が大勢、宴会を開きかけていたとは答えられる訳がない。
白い面に大いに引き攣った笑みを浮かべた一太郎に代わり、八千重がスッと立ち上がる。

「え、栄吉さんが来たから、張りきって作ったら作り過ぎちゃって……。栄吉さん、お腹は空いてない?」

襖の前で立ったままの栄吉の手を引いて、火鉢の側に座る一太郎の向かいに座らせると御膳を前に持っていく。

「え、お千重ちゃんが作ったのかい?」
「うん。栄吉さんの好きな凍り豆腐もあるよ」
「それは嬉しいね」

嬉しそうに笑った栄吉に、山盛りにした飯が手代から手渡される。
すると、天井からずん、と腹に響くような大きな音がした。

「おや、鼠がうるさいこと」

仁吉の言葉に栄吉は笑いを浮かべる。

「こんな立派な作りの家にも出るんだ」
「それはもう、色々と」

手代達が素知らぬ顔で栄吉の相手をしている間に、一太郎の手が卵焼きの四角い皿を器用に体の真後ろの畳の上に隠す。
すると、部屋の隅から腕が一本伸びてきて、あっという間に皿を掴んで消えた。
里芋の煮しめを取り分けた小鉢だの、焼いたスルメの一枚だのが、酒のちろりと共に消える。
八千重も、自分の膳を運ぶついでに甘い菓子の皿の一つを栄吉の死角から伸びた手に渡し、栄吉と一太郎の間に空いた場所に座ると、おや、と栄吉が首を傾げた。

「一太郎、何か今日は食が進むようだね」
「これから栄吉を助けていかなくちゃならないんだもの。力を付けておくのさ。それに、お千重ちゃんの料理はどれも美味しいからね」
「あぁ、確かに美味しいよ。お千重ちゃんはなんでも出来るよね、凄いよ」
「ありがとう若だんな、栄吉さん」

八千重は、嬉しそうに頬を赤らめ、照れたように笑う。
だがだからと言って、一太郎が燗をつける容器ごと酒を飲む訳がない。
しかし、今の栄吉には周りの細々としたことは目に入らないようだった。
一太郎と八千重は、互いに目配せをして笑う。

「あのね、一太郎、お千重ちゃん。死んだ九兵衛じいさんだけど、よくうちの店で菓子を買ってくれていたんだ」

栄吉は、ふと思い出したかのように、火鉢の達磨をじっと見ながら喋り始めた。
好物の煮しめにも、今一つ箸が出ていない。

「嫌味なじいさんでさ、俺が餡子を作った翌日には、必ず文句を言いに来たんだよ。あんな不味いもので金を取るなんて許せんと言って」
「態々店にまでそんなことを言いに来たんですか? 暇な野郎で」

佐助の一刀両断な言い様に、栄吉は両の眉を下げた顔で苦笑を浮かべた。

「そう、嫌な奴、暇で鼻に付く隠居さね。俺の作った菓子を買っちゃぁ嫌味を言う。それを楽しんでいるんだとさえ思ったよ。毎回毎回俺が作った菓子を選り出して買っていたからね」
「栄吉の作った方を選んだのかい?」

目を見開いた一太郎と八千重の顔を避けるように、栄吉は下を向いている。
よく見れば、涙が浮かんでいるようであった。

「ありがたかったんだよ。おれ、心の中で手を合わせてたんだ。どんなに文句を言われようが、兎に角俺の作った菓子を続けて買ってくれるんだもの。そんな人、何人も居やしないんだ」

(栄吉さん……)

八千重はそっと涙目の栄吉に眉を下げる。
番屋でのお調べの際、日限の親分にそう告げると、いつも一太郎から栄吉の菓子を振る舞われている岡っ引きは、低く唸り声を上げていたという。

「あの味の饅頭を、毎回ねぇ……」

親分は、栄吉が九兵衛に好意を向けている事が身に染みてよく分かった様子だった。
だが、それを八丁堀の旦那にどう説明したら良いものか、困ったような顔をしていたらしい。

「今回番屋から出てこられたのは、犬の事もあるけれど、親分の口添えのおかげなんだよ。普通怪しいとなったら、ひっ括られたままだからね。俺が捕まっていると、一太郎が心配して寝込む。すると、長崎屋さんが文句を言ってくると、そう定廻りの旦那に言って出してくれたんだ」
「それはまた、手の込んだ話で」

手代達は、日限の親分の言い様に、呆れ顔を作って笑っている。
金の有る無し処遇が違うというのは、珍しい話ではなかった。
長崎屋程の店が絡むと、あちこちに金がばらまかれ、伝手や顔見知りから手を回され、煩わしいことになる。
同心達もそういうややこしい話は関わりを嫌うのだ。
いつの間にやら名前を出されていた一太郎は、栄吉に苦笑を向けた。

「まったく、宵越しの金を持つのは江戸っ子の名折れ…なんて言う割りには、金、金、金の世の中だよ」
「持たない、じゃなくて、持てない、というのが本当の所だろうさ」
「江戸は火事が多いものね」

必死になって小金を貯めたところで、頻発する火事に巻き込まれてしまえば、あっという間に無一文かもしれない。
それこそ、長崎屋のように火を貰い難い土蔵造りの家を構え、家作や船を持ち、あちこちに蔵を建てており、金の心配無しに家事から逃げれば良いという金持ちは、本当に小指の先程しかいないのだ。

「とにかく九兵衛さんの為にも、俺の為にも、早くこの件が片付く事を祈るよ」

そう話を結んだ栄吉が、食事の締めくくりに甘い菓子の皿に手を伸ばす。
すると、一際大きな、どん、という音が上から落ちてきた。

「相当な大鼠がいるみたいだね。石見銀山鼠取り薬、置いた方がいいよ」

天井を見上げて言う栄吉に、そうだねとは口が裂けても言えない一太郎は、力なく笑うしかない。
この調子だと、栄吉が部屋に帰ってからの妖達との話し合いが大変そうで、栄吉にばれないように八千重と一太郎は顔を見合せて苦笑いを溢した。















(食べ物の恨みは怖い)