「お千重さん、一体何をしたんで?」

嫌われちゃったかな、と八千重が眉を下げていると、佐助が不思議そうに問いた。

「あぁ、若だんなの病を吸い込んだんですよ」
「は?」
「なんですって?」

八千重は父譲りの朗らかな笑顔で淡々と述べた。
だが手代たちは眉を顰める。
理解出来なかった。

「私、どういうわけかはわかりませんが、病や怪我を吸い込んで、体から取ることが出来るんです」
「………………」
「………………」

八千重が、つまりと説明しても手代たちはその言葉を信じられなかった。

「信じられませんか? …私も、確かに自分にこんな力がなくて、他のお人が私と同じ事を言ったら信じられないと思います」

そんな人間離れしたこと、出来る筈ないと…。

「でも、今実際に見ましたよね?」

にっこりと笑う八千重に、仁吉と佐助は目を見合わせる。
そしてやがて……確かに、と頷いたのであった。

「この能力のことを知られると、私は大変な事になってしまいます。だから…父にしか話してないんですよ」

様々な地から、自分も治してくれという者が雪崩込むように現れるに違いなかった。
そればかりか要らぬ悲劇を呼び兼ねない。
だがそれよりも、この能力には重大な欠点があるのだ。

「じゃあ私はこれで―――…」

立ち上がろうとした八千重に、佐助が問いを投げる。

「何故…、事が露見する危険性があるのに若だんなを助けてくださったんで?」
「………これまでに、この能力で人を助けたことはありました。けど、やっぱり誰にも話さなかった…」

八千重は首を傾げる。

「私にもわからないんです。若だんなの事を日限の親分さんから聞いたら、何故か胸がざわついて―――…気付いたら、長崎屋主人に頭を下げてました」

八千重は自分の行動に今更ながらに恥ずかしくなり、照れを隠すように笑う。

「ばれたらどうしようとか、そんなこと考えてませんでした」

そう、本当に不思議だ。
今思えば、八千重は、自分は理性が強い方だと自負していたのだ…それなのに、会ったばかりの人のためにあの様な恥ずかしいことまでした。
八千重の脳裏に、藤兵衛の困惑しきった顔が浮かぶ。
かぁあ、と羞恥心に顔が赤く染まった。

「……わ、私帰ります! …あ、熱や打ち身等は全部取りましたが、疲労は残っていると思いますし、体力も回復はしていませんから、暫くは養生して下さいね」
「その点は勿論心得ております」

自信満々な手代二人に八千重はクスリと笑うと、今度こそ立ち上がり退室しようてした。
その背に、手代はどちらからともなく声をかけた。

「はい?」

振り返る八千重に、二人は深々と頭を下げる。

「「ありがとうございました」」
「……若だんなが起きたら、伝えて下さい。友達になって欲しい、と」
「必ずお伝えします」

仁吉の返事に、八千重は笑って帰って行った。

「……………仁吉、お千重さんは本当に『あの方』じゃぁないのか?」

八千重の足音が遠ざかり、聞こえなくなってから佐助が零す。

「お前も見てわかっただろう? お千重さんは人だ。『あの方』なわけがない」

仁吉はふるふると首を振り、真面目な顔で答える。

「だがあれ程までに瓜二つで、おまけに同じ名! 病を吸い取るあの能力だとて、『あの方』がよく使っていたじゃぁないか! それにお前の態度…」
「………………」
「人間になりたいとずっと言ってたんだ。人間に生まれ変わりでもしたんじゃぁないかい?」

黙ってしまった仁吉に代わり、口を開いたのは屏風のぞきだった。
佐助と仁吉は弾かれたように屏風のぞきを見る。
屏風のぞきは、鳴家にまざって茶菓子を食べていた。
鳴家は今まで我慢してたのか、茶菓子に群がっている。
それを尻目に、手代たちは顔を見合わせる。

「……そうかも知れん」
「皮衣様にお窺いをたててみよう」

屏風のぞきの言った言葉だからか、二人はどこか不服そうだったが静かに頷きあった。
その時、一太郎の瞼がぴくぴくと動いた。
そして、ゆっくりと目を覚ましたのであった。





目覚めた若だんなとは反対に、八千重はそれから寝込むこととなった。
それは、あの能力の最大の欠点のせいだった。

「若だんなは、こんなに苦しい思いをしてたんだね…」
「お前は本当にお人好しだよ、お千重」

病や怪我を吸い込んで取り去るあの能力は、病を完全に消すものではない。
『移し替える』能力なのだ。
よって、一太郎の病を吸い込み飲み込んだ八千重は、若だんなの代わりに高熱で寝込むこととなったのであった。
寝込む八千重に呆れたように言った開次に、八千重は熱で虚ろな目を向ける。

「おとっつぁんに似たんだよ」

にへらと笑う娘の額の手ぬぐいを取り替えながら、開次は苦笑する。

「早く元気になっておくれ」
「ん、大丈夫…すぐに治るよ…」

薬が効いてきたのか、徐々にその瞼が重くなり、やがて寝息をたて始めた。
熱のためか、やはり苦しそうではあるが、八千重は母の小夜に似ず、体が丈夫だ。
本人の言うように明日か明後日には治るだろう。
息を吐きながらも、身を犠牲にしてでも他人の命を守ろうとする八千重に、医者として尊敬するし、父として誇らしくも思う。
だがやはり父として、自分の身は大切にして欲しいとも思う。
矛盾する感情を抱えながら、開次は薬の調剤をするのであった。















(不思議なチカラ)