一太郎の気持ちがなんとなくわかった八千重は苦笑いを零す。

「ぼてふりは道具を盗んだんだよ。そのことを人のいるところで言うのは嫌だったんだろうさ。それに、墨壺は凝った細工の上物だった。大きく底が裂けていても、売り物になる品だよ。弁償すると言ったって、ぼてふりの稼ぎでは大変だろう」
「話が……拗れたんだ」

八千重の呟きに一太郎は頷く。
間違いなく、話は拗れたのだ。
だが、はなから大工の首が落とされるような物凄いことになったとは思えない。

「ここで、墨壺が関係してくるんだね?」
「そう……墨壺は古い古い物だった。こうして何人もの人に取り憑いたくらいだ。多分、付喪神に成りかかっていたのじゃないかしら。だが、もう少しというところで、無残に裂かれてしまった。無念だったろうね」

そこで、その“成りそこない”が、暴発するようなことが起こったのだ。

「暴発?」
「狂ったのですか?」
「多分血だよ。血の臭いでとんでもないことをする妖は、時々いるだろう? そいつが壊れた墨壺の上にかかったとしたら?」

八千重は、妖たちについて詳しくない。
血の臭いで、人を殺したり等の凶行をするようになったりするのだろうか?

「推測です。誰もそれは見ちゃぁいない」

佐助の言葉に、若だんなは指摘する。

「大工が殺された夜、私は刃物を血に濡らしたぼてふりに行き合っているんだよ。私が見たときは、ぼてふりはもう、成りそこないに取っ憑かれていたんだろうね」

大工と話すのに、ぼてふりは刃物を持って行ったのだ。
話が拗れて、そいつを使うはめになった。
つけたのは小さな傷だったのかもしれないが、その血で成りそこないが狂った。
ぼてふりに取り憑くと、己の不満を吐き出して、大工を殺してしまったのだろう。

「だから、初めはくっついていた棟梁の首が、後で落とされることになった。通りかかった私を逃がしてしまって、成りそこないの奴、腹が立ってやったのさ」

手代たちがどうかはわからないが、八千重は一太郎の言うことが間違っていないと思えた。
人ならば躊躇するところだが、妖は感覚が違う。
すべて辻褄が合う。

「ここまでの話は、当たっているんじゃないかと思うんだよ。己の名が表に出ないように、墨壺は道具をばらばらに売り払った。だが、ここからが難物なんだ。そいつは人殺しを繰り返している。こうとなったら、大工につける薬欲しさとは、とても思えない。下手人は成りそこないなんだよ。さて、どうして罪を重ねつづけるんだか」

考えが途切れたらしく、若だんなは一息入れた。
佐助がすかさず火鉢の上の鉄瓶を取って、茶を淹れる。
濃い茶に添えられた霰を、一太郎は一つ二つ、口にほうり込み、八千重は湯呑みを両手で包むように持つ。
掌からじんわりと温かさが染みてくる。

「もし若だんなの言うことが正しければ……当たっている気がしますがね……一連の殺しは、程なく止みますよ」
「え?」
「何故だい?」

仁吉の言葉に、八千重と一太郎は大きく目を見開く。
仁吉に代わり、佐助が説明をする。

「成りそこないってものは、要するに付喪神に成れなかった奴ですからね。妖力は強くないし、続かない。暫くすれば、ただの壊れた道具に戻るはずです」
「そうなの?」

妖の世界にも、それなりの定めがあるらしい。
八千重は勿論のことだが、これは一太郎も知らなかったようだ。
だがそれよりも、八千重は思うところがあった。

「では、人殺しの噂がなくなるまで、大人しく家にいてもらいましょうね。屏風のぞき、協力しておくれだね? 私たちが側におれない時は、若だんなとお千重さんを見ていて貰いたい」
「おや、あたしに頼むのかい? 珍しいことで」

派手な付喪神と手代たちは仲が悪い。
居間の隅から聞こえてくる声は、てっきり断るかと思ったのに、承知だとの返事。
一太郎は慌てた。

「あれま、なんで今日に限って、仲良しなのさ!」
「もう暫くの辛抱なら、私たちだけでも黙って大人しくしていられますよ」
「では店に戻りますので、素直に休んでいるんですよ、若だんな」
「お千重さんも、読書に夢中になるのは結構ですが、休み休みにしてくださいね。目を痛めます」
「お待ちよ、聞きたいことが残っているんだよ」

八千重たちの意見はまるっと無視でくるりと踵を返した手代たちを一太郎が引き止める。

「なんです?」
「その成りそこないは、何を欲しがっているのかということさ。大工に使いたいとの考えは違うにしても、人を三人まで殺してでも手に入れようとしているもの。なんだと思う?」
「分かりませんね」
「私らは若だんなが無事なら、それでいいんで」

あっさり言って、手代たちは消えてしまう。

「………………」

八千重は黙って二人を見送り、一太郎は怖い顔で霰の残りをバリバリと噛んだ。

「―――ねえ、若だんな? 私、考えたんだけれど……」
「え?」
「前にも言ったことあるんだけど、覚えてない?」
「あ……もしかして、薬を欲しがっているのは人じゃなくて妖っていう…?」」
「そう。成りそこないは、付喪神に成りたいんだと思うの。“命を購う薬”。きっと、成りそこないが妖になるための薬を欲しがっているんじゃないかと思うんだけれど……そんな薬、あるのかな?」
「……私も分からないけれど、仁吉たちに聞けば知ってると思う」
「………………」
「お千重ちゃん?」

厳しい顔で黙った八千重に、一太郎は不思議そうに眉を顰める。

「……きっと、仁吉さん達は知らないって言うと思う」
「え、どうしてそう思うんだい?」

派手好きな付喪神の様子をチラリと見てから、八千重は一太郎の耳元に唇を寄せて囁く。

「皆、私たちに何か隠してる」

一太郎の目が大きく見開いた。

(どうして、何故、何を隠しているのかは分からないけど、二人は…多分屏風のぞきも…、成りそこないが欲しがっている薬が何か知ってる気がする)

きっとあの時、仁吉が隠していたことと関係があるに違いない。
八千重はそう思いながら、霰を口にほうり込んだ。





「まずい話だ。“成りそこない”は、あの薬を探しているのじゃぁないかね」
「やはりそうかというところだね。薬のことを、いったいどこから聞いたのやら」
「あれがあれば、成りそこないは付喪神になれるのかね」
「多分……あればの話だが」

手代たちは離れから出たものの、店には戻らず、人目につかない三番蔵の傍で話し込んでいた。

「成りそこないにはあまり時間が残ってないだろう。嗅ぎ付けたら、なりふり構わず襲ってくるかもしれないよ」
「人に取り憑いて近寄ってきたら、厄介だ。見張りを増した方がいいね」

軋むような音がして、鳴家が幾人か顔を見せたかと思うと、すぐに消える。
庭木が揺れると、ちょっとの間、幹の上に毛だらけの顔のようなものが浮んで、これもかき消える。

「仁吉、お前本当のところお千重さんのことどう思っているんだ?」
「どうって……なんだい?」

突拍子のない佐助の言葉に、仁吉は端正な顔を怪訝に歪める。

「若だんなが狙われるのは分かる。だが、何故お千重さんまで狙われる?」
「それは私もずっと考えていたことだよ。……癪に障るが、屏風のぞきが正しいのかもしれん」
「じゃあお前は、お千重さんが八千重様の生まれ変わりだと?」
「……あの薬にそんなことが出来るのかはわからないが、そう、なのかもしれない」
「……そうか」
「勘違いするな。まだ皮衣様からお返事をいただいた訳じゃぁない。推測に過ぎん」
「わかっているさ。だが、お前だとてそうあればいいと思っているんだろう?」

佐助の窺うような、見透かすような視線から目を逸らし、仁吉は踵を返す。

「そろそろ店に戻らなくては」

言って歩を進めた仁吉に、佐助は溜め息を零すと後に続き、それぞれの店表に向かった。





結局、下手人が欲しがっている薬が何なのかわからず、ただ漠然とした予想と見解だけで、一太郎と八千重はスッキリしなかった。
一太郎の方は部屋に押し込められっぱなしで機嫌が悪い。
手代たちの頼みをきいた屏風のぞきともふて腐れて、碁を打つことをしないでいる。
八千重は八千重で、気を紛らわすかのように読書に耽っていて、一太郎はずっと薬について考えを巡らせていた。

(ぼてふりは確かに香りがすると言っていた……長崎屋にあるかもしれないんだけどねぇ)

暇にあかせていくら考えても、答えがでない。
“成りそこない”が欲しがる薬と言えば、やはり八千重の言う通り、本物の付喪神になれる…奇跡の一服、というものしかないと思うが、そんな妖用の特効薬なぞ、薬種問屋に置いてあるはずもなかった。

(そういえば、お千重ちゃんも下手人に香りがする、と言われたと言っていたね)

黙々と本を読んでいる八千重に視線をやる。
一太郎がじ、と見つめるが、八千重は気付かない。

(お千重ちゃんが、薬を持ってるのかしら?)

そう考えてから、待てよと思い留まる。