そこで、ひとつ間が空けられた。
佐助が淹れてくれたお茶を受け取り、今まで黙っていた八千重は、怖ず怖ずと口を開く。

「あのね、私も気付いた事があるんだけど…いい?」
「なんだい?」
「皆、私が下手人から狙われているって話は知ってるんでしょう?」
「「「!」」」

三人の目が驚きに見開かれる。
その反応で、八千重には充分だった。

「お千重ちゃん、黙っていたのには…」
「いいの。責めてるんじゃないよ、ただの確認」

八千重は気にしていない、とふんわり笑う。

「さっきの若だんなの言葉で分かったの。下手人が私を狙う理由」
「え?」

八千重はス、と晒の取れた腕を差し出す。

「取り憑いている妖が私を探しているんだよ。何故かは分からないけど、私が薬を持ってると思ってるんだ…きっと」

あの時、八千重は自分を医者の娘だと言った。
父が医者をしていると。
さらに、捕まった左官職人は、番屋につながれている間、命を請うでもなく薬を欲しがっていた。
どういうわけか、女が…お千重さんが持っているっと言っていたと白壁の親分は言っていた。

「でも、お千重ちゃんはそんな薬持ってないよね?」
「うん。でも、私が知らないだけで、妖にとっては妙薬になる物を持っているのかもしれない。だって、薬を欲しがっているのは、人じゃなくて妖ということになるでしょう?」
「あぁ、そうか。そうだよね」

一太郎は八千重の言葉に手を打つ。

「でも、人を殺してまで欲しいという。どんな薬のためなら、そんな風に思えるんだい?」
「あたしらには分かりませんよ。大体、そんな薬が本当にあるものかどうかも定かではない。夢の産物かもしれませんからね」
「……確か、命を購う薬、下手人がそう言ってたと話してくださいましたよね、仁吉さん」

ふと思い出して八千重が問うが、仁吉は火鉢と睨めっこをしていた。

「仁吉?」

一太郎が呼ぶと、ハッとこちらを見た。

「はい? ああ、あの時は店に木乃伊がありましたからね」
「でも木乃伊は欲しがった薬ではなかった。それで騙したな、と言われて、お前、木乃伊で殴られたんだろう?」
「そうでしたね」
「そういえばあの日、ぼてふりは香りがするって言ってなかったかい? 店表で……」
「香り?」

すっかり忘れていた。
あの時は、襲われて殺されそうになるわ、寝込むわ、八千重の秘密を知るわで、それどころではなかったのだ。
だが思い返してみれば、ぼてふりは店にいるときは目当ての薬があることを疑っていない様子だった。

「いったいどの薬の香に引かれたのやら……」

聞いてみたくとも、ぼてふりはしょっぴかれてしまって今更確かめようもない。
考え込む一太郎の隣で、八千重もまた考え込んでいた。
二人の様子に、仁吉がその推察を否定するように、顔を顰めている。

「店には数多の生薬があって、臭いも混じっています。あの中でただ一つの香りを嗅ぎ分けたとは思えませんけどね」
「まあ……それはそうだけど」

言葉が途切れた所へ、八千重が顔を上げる。

「思い出した! あの職人も言ったの、私に。香りがする、間違いない、お前持っているなって」
「本当かい?」

驚く一太郎の向かいで、仁吉が目を見開かせていた。

「若だんな、お千重さん、お話は有り難く拝聴していますよ。でもそろそろ五つになります。風呂がまだでしょう、入って下さらないと」

佐助の言葉に、若だんなと八千重は現実に突然引き戻された。

「え、もうそんな時分ですか?」
「おや、いけない」

抱える水夫が多いからと、長崎屋には内風呂があった。
金も誼みも大いに活用して、やっと作る許しをいただいたのだ。
長崎屋が火元になれば、店が潰れる。
故に、庭の土蔵脇に離れて作られていたし、火の管理はことに厳しかった。
若だんなの一太郎といえども、五つ半までには風呂から出ておかないと、火を落とされてしまう。

「お千重ちゃん、先に入っておいで」
「……では、お先にいただきます。すぐに戻りますから支度していてくださいね」

慌てて部屋を飛び出した八千重の後を、八千重と仲の良い二匹の鳴家が追いかけていく。

「あ、これお前たち」

一太郎が止めようとしたが間に合わず、鳴家は行ってしまった。

「我もお千重と風呂行きたかった」
「我も」
「我も」

わいわい名残惜しそうに騒ぎ出した鳴家たちに、一太郎はそろそろと声をかける。

「お、お前たちお千重ちゃんと風呂に入ったのかい?」
「お千重、柔らかくて良い匂いがするんですよう」
「え?」
「肌も、白くてスベスベツルツルで気持ち良いんですよう」
「えぇ!?」

一太郎の顔はみるみる真っ赤になり、今にも湯気を出さんばかりになった。
そんな一太郎を尻目に、佐助は一太郎の風呂の支度を整えだし、仁吉は夜具を整える。

「佐助、私はもう済ませてあるから、若だんなを頼むよ」
「そうかい、分かったよ」

頷き、自分の支度をしに部屋に向かう佐助の背中と、鳴家と顔を赤くさせて談議している一太郎を見て、仁吉は隠れてそっと息を吐いた。
それから暫くして、湯上がりの八千重が戻ってきた。
顔の赤い一太郎と微笑ましいように笑う佐助を風呂へと送り出した八千重は、仁吉を見る。

「仁吉さん」
「はい、何でしょう?」

仁吉は涼しげな顔で返事を返す。

「仁吉さん、何か私たちに隠している事がありますね」
「何故、そのように思われるんで?」

質問に質問で返され、八千重は笑う。

「だって顔に書いてありますよ」
「!」

『だって白、顔に書いてあるわよ』

仁吉の脳裏に、声が響いた。

「?、仁吉さん?」
「お千重さん、貴女はやはり、あのお方の―――っ………いえ、何でもありません」
「仁吉さん?」

不思議そうに首を傾げる八千重に仁吉は薄く笑い、首を振る。

「もうお休み下さい。せっかく温まった体が冷えてしまいますよ」
「…はい。じゃぁ、お休みなさい」
「お休みなさい」

八千重を見送り、深く息を吐くと屏風から声がかけられる。
仁吉が振り向くと、派手好きの妖は中から出てくるつもりはないらしく、絵の中で扇子を扇いでいた。

「お嬢ちゃんは誰か様みたいに、手代の表情を読むのがうまいねぇ」

仁吉の黒目は針の様に細くなる。

「まだお千重さんがあのお方となにか関係あるのか決まった訳ではないよ、お黙り」
「でも、隠し事があるのは本当じゃぁないか」
「何を言い出す気だい?」

仁吉の声が低い。
屏風のぞきは絵の中で身を引いた。

「怖い顔をおしでないよ。あのことに関してはあたしは何も言う気はないよ。頼まれたってごめんさね」

屏風のぞきの声が、憚るように小さくなる。

「さっきの話が聞こえたから言うんだよ。若だんなと嬢ちゃんの言う通り、妖が一枚噛んでいるとしたら、何も言わなくて大丈夫なのかい? 多分、狙いは若だんなじゃないのかい? 」
「お前がどうこう言うことじゃぁないよ」

手代の言葉は不機嫌なものだったが、今日はそれに怯えることなく屏風のぞきが言葉を続けてくる。

「お前さんたちのことなら放っておくけどね。あたしはね、これでも若だんなのことは気に入っているんだよ。あの子が離れに来てから、菓子はたんと食べられるし、一緒に碁で遊ぶのもいいもんだ。若だんなの事が心配なのは、お前さんたちだけじゃないんだよ」

つけつけと言われたにもかかわらず、それを聞いた手代の顔が和む。

「そういえばお前さん、なんだかんだと言いながら、若だんなのために留守番したり暇潰しの相手をしたり。ご苦労なことだよね」

いつもとは180度違う優しい言葉をかけられて、かえって不安が募る。
きょろきょろと目が泳ぎ、落ち着かなげなのに何を言ったらよいかわからない様子の付喪神に、仁吉が請け合った。

「大丈夫、私たちは若だんなを守ると約束申し上げた。必ずそうする」

だがまだ何か言いたそうな屏風のぞきに、仁吉はやれやれと口を開く。

「できるなら、若だんなにいらぬことは言いたくないんだよ。優しい子だからね。妙に…己の事で悩むことになったら、たまらない」
「……うん……」

珍しく意見が合って、屏風のぞきは素直に頷く。

「でも、なんで嬢ちゃんは狙われているんだろうねぇ? ―――…まさかあの娘も……?」

屏風のぞきの言葉に仁吉は答えなかった。

「………八千重様…」

仁吉がそっと呟いた言葉は、誰にも聞き取られることなくとけて消えた。















(解ったような、解らないような)