「年は十四、五の若い娘で、整った顔立ちをしている、と下手人はスラスラと特徴を言うが、薬種屋は知らないと頭を振った。すると、下手人は逆上したように持っていた出刃らしいもので突き刺した……らしい」
「………………」

八千重は、思わず息を呑んだ。

「それを知った日限の親分さんが、下手人が探しているのは、お千重なんじゃぁないかと案じて知らせてくれたんだ」
「―――――…私、下手人に狙われてるの? どうして?」

ショックを隠しきれていない八千重の声は震えていた。
わけがわからなかった。
人を殺めるような人に心当たりはいないし、知り合いもいない。
ましてや八千重は江戸に来てから半年で、人から恨みを買うようなことをした覚えもなかった。

「それは私にもわからないよ。だけど、狙われているのがお前かも知れないと思ったら、おとっつぁんは怖くなったのさ」

開次の仕事を手伝っている八千重は、一人で行動することが多い。
家に居ても、一人でいることはざらだ。
二人きりの家族。
大事な人を失うなどもう二度と真っ平ごめんだった。

「だから長崎屋さんに頭を下げたんだ。事情を話し、私の思いを聞くと快く引き受けて下さって、私は心底安堵したんだ」
「……おとっつぁん…」
「日限の親分さんが下手人を取っ捕まえてくださる。それまで、ここでお世話になりなさい。―――私のことは気にせずとも、なんとかやっているよ」

苦笑を漏らす開次に、八千重は眉を上げる。

(本当に嘘が下手なんだから…)

華麗に盛大に泳いでいる開次の目に息を吐き、八千重は笑う。

「わかった。でも、たまには顔を見せに来てね」
「あぁ、勿論だよ。毎日でも来たいくらいだ」
「それは長崎屋に迷惑だからやめて」
「わ、わかってるよ」

それから親子はくすくすと笑い合い、開次は少し冷めたお茶で喉を潤す。

「―――それよりも、これをごらん」
「え?」

本題を思い出した開次は、横に置きっぱなしになっていた風呂敷包みをまるごと八千重に渡した。

「何これ」
「いいから開けてごらん」

開次に促され、しゅるしゅると風呂敷包みを解く。

「………着物?」

姿を現したのは、落ち着いた浅縹色の着物。
蝶が悠然と飛んでいる珍しい柄だった。
少し大人っぽいその着物は、自分にはまだ似合わなそうだなと八千重は思った。

「これ、どうしたの?」
「昨日、西村屋のおかみさんと娘さんがいらして、お前に…ってさ」
「え?」

八千重はきょとんと目を瞬かせた。

「ご主人の血でお前の着物が汚れてしまったから、代わりにこれを着て欲しいと言ってくださったんだ」
「そんな―――…いただけないよ。こんな上等な着物」
「お前の為に誂えさせたのだと仰っていたよ。遠慮せずにいただきなさい」
「………………」

着物と開次を交互に何度か見て、やがて八千重はこくりと頷いた。

「色と柄が少し大人っぽいが、お前によく似合うと思うよ」

そう笑って言ってお茶を飲み干し、開次は腰を上げた。

「見送りは必要ないから、お前は離れに戻りなさい。若だんなによろしく伝えておくれ」
「ふふ、若だんなも同じことを言ってた。おとっつぁんによろしく伝えてくれって」

クスクスと笑う八千重に開次は微笑む。

「お千重は若だんなが好きかい?」
「へ!?」

突然の言葉に八千重は今日一番の驚きをみせた。

「な、何? 突然…そりゃぁ好きだよ?」

戸惑いながらも言えば、開次は眉を上げた。

「おやおや、十五になると言ってもお前もまだお子様だね。まぁ、一太郎殿になら嫁にやっても私は構わないがね」
「は? 嫁!?」
「ははは、冗談だ。まだまだお前は嫁になぞやらんよ」
「えぇ? ちょ、おとっつぁん!?」

朗らかに笑いながら、開次は帰って行った。

「意味がわからないんだけど…」

混乱する頭で、八千重は遠くなる開次の笑い声を聞きながら呟いた。





八千重が退出して行った後、騒ぎの治まった部屋で一太郎はまた半紙を見つめていた。
その傍らには仁吉が鎮座している。

「…あとは、何故お千重ちゃんが狙われているのか……だけど、他に思いつくことがあるかい?」

一太郎の問いに、手代は首を振る。

「こんなことを考えていたんですか」
「これは皆、私が納得できないと思っていることだよ」

確かに言われて見てみれば、説明できるものがない。

「私が考えた通り妖が一枚噛んでいるとしたら、いくつかは説明がつく。例えばさ」

言いさした一太郎の言葉を止めるように「若だんな」と、声がかかってかたりと襖の開く音がした。
佐助が夕餉の膳を持って姿を現す。
薄暗くなってきた部屋の中の仁吉を見て、顔を顰める。

「仁吉、まだ行灯もつけていなかったのかい」

後に女中の姿も見える。
一太郎と仁吉はそのまま会話を切った。
火鉢を囲むように、四人分の膳が並べられる。

「さ、若だんな、たんと食べて下さいましね」

離れに押し込まれてから、八千重と手代二人が食事のお相判をすることになっていた。
一太郎が一人だと、とんと食が進まないからだ。
女中が姿を消すや否や、思い付きを話そうとする一太郎を佐助が押し止めた。

「なんぞ話があるのなら、食べ終わってから聞きます。たんと食べないと、お喋りは抜きにしてすぐに寝かしつけてしまいますよ」
「そういうことを言っているから、調べが進まない。本物の下手人が捕まらないんだよ」

上目使いに文句を言う一太郎の目の先に、佐助は大盛りに盛った飯を差し出した。

「捕物の真似事をするおつもりですか。ならば、これくらいは食べなきゃぁね」

一太郎が夕餉相手に奮闘していると、障子戸が軽やかな音を立てて開いた。

「お千重ちゃん、おかえり。開次先生はどうだった?」

一太郎は口の中のなまり節の煮付けを飲み込み、問う。
八千重は障子戸を閉めてどこか力無く微笑んで頷いた。

「ただいま。うん、元気そうだったよ」
「お千重ちゃん?」

(元気が無い?)

一太郎は首を傾げる。
仁吉と佐助も顔を見合わせる。

「お千重さん?」
「どうかしたのかい?」
「おや、その風呂敷包みは?」

仁吉が八千重が大事そうに持っている風呂敷包みに気付いて問う。
その言葉に促されて、皆の視線が風呂敷包みに集まる。

「おとっつぁんが、西村屋のおかみさんと娘さんから私に渡して欲しいと頼まれたと言って……着物をいただきました」

一太郎の隣に座った八千重はそう言って、そっと風呂敷包みを指先で撫でる。

「着物! すごいね、どんな物なんだい? 着て見せておくれよ」
「少し大人っぽい柄で、私にはまだ似合わないよ。似合うような歳になったら着るから」

困ったように眉を下げて笑む八千重に、一太郎は肩を落とす。

「それは………残念だね」

一太郎は、以前の八千重の着せ替え人形事件の際に、八千重の着飾った姿を見ることが出来なかったので、今度こそという思いがでていたのか、顕著な態度に手代たちはおやおやと眉を上げる。

「若だんな、それよりもご飯をちゃんと食べなきゃ」
「う"」

八千重は佐助からご飯の盛った椀を受け取り、からかうように言う。
一太郎はわかっているよ、と言って止めていた箸をまた動かし始める。
手代たちは、その様子におかしそうに、だが満足げに笑った。
一太郎は、後から食べはじめた八千重が食事を終えてもまだ飯との格闘は続行中で、結局膳を片付けられるまでに半時程もかかってしまった。
食べ終わり、やっと先に書いたものを佐助にも見せる。

「あ、それ…」
「仁吉にはさっき話したんだけどね」

八千重は瓦版を持ってきて、妖が一枚噛んでいるのではないかと話す一太郎の言葉を、驚いたように聞いている佐助に渡した。

「六の、別々の下手人が、同じことを言って、薬種屋を襲う訳は、同じ妖に取り憑かれていたとしたらそれで説明がつく」
「―――あ…」

八千重は、ハッとした。

(そうか、だから下手人は私を知ってるんだ!)

「一とニと七、簡単に人を傷つけたり襲ったことについて。ひどく恐ろしげに見えるけど、これが妖の行いとしたら、少しは納得がいかないかい? 妖と人とは物差しが違うのだから」
「大概の妖は、凶暴じゃぁありませんよ」

面白くなさそうな手代の言葉に、一太郎は苦笑した。

「誰も妖全部が粗暴だなんて言ってやしないよ。ただ事の善悪の基準が、人と妖とは違う。感じ方だって、考え方だって、ずれているものだしね」
「そうなんですか?」
「……気がついていなかったの?」

佐助の言葉に、一太郎はやはりと思った。
そして、これから一層気をつけなければならないとも思う。

「さて、あと三と四、大工道具のことだ。これは以前妖達に聞いてもらっていたね。下手人が捕まった格好になってそれきりになったのだけど。仁吉、もう一回妖達に頼んで調べ直してもらえるかな」
「伝えておきましょう」

仁吉はこくりと一つ頷いた。
八千重は、皆にお茶でも淹れようかと茶筒を手にすると、大きな手が伸びてきて茶筒を取られてしまった。

「残りは五だ。妖が欲しがっていた薬とは何か。これが一番の難物だという気がする」