「確かにあの時のぼてふりは、どうにも様子が変でしたよ。でも、あれは人です。私たち妖には、人成らぬものは分かります。だからこれまで若だんなを守るのに、人にだけ用心してきたんですよ。相手が妖なら、また別の手を打っています」

本性が妖である手代の、至極尤もな言葉に一太郎と八千重は頷いた。

「私だってずっとそう思っていたさ。初めて人殺しを見たあの暗い夜だって、行き合ったのは確かに人だった。私にも分かるからね。だけど、もしかしたらと思うことがある」
「何です?」
「一連の下手人たちは、一人の妖に次々と憑かれているんじゃないかしら。取り憑いた人が捕まって役に立たなくなると、別の者に乗り移っていく奴がいる。そう思うようになったんだ。だから私たちにも相手が妖だとは分からなかった」
「今までの殺生は、全てその妖のせいだと?」
「そう考えると辻褄があうことが多いんだよ」
「妖には人に取り憑くものもいるんですよね? 本で見ました」
「そりゃぁそういうことが出来るものも居るには居ますがね」

仁吉は困ったように眉を下げる。

「これ……私自身納得のいっていないことを書き出して並べてみたんだ」

一連の事件では分からないことが多すぎるよ、と言って文机の側に手代と八千重を連れて行く。
そこには一太郎が半日考えていたことが書き連ねてあった。

一、聖堂傍の事件。大工の首は何故落とされたのか。
二、何故ぼてふりは、些細なことで大工を殺したのか。
三、盗んだ大工道具をばらばらに細かく分けて売り払ったのは、何故か。
四、以前棟梁は何か盗まれていたという。今回の件と関係はあるか。
五、下手人たちの欲しがっている薬とはどんなものなのか。
六、別々の下手人が同じことを言って薬種屋ばかりを襲うのは何故か。
七、下手人たちが簡単に薬種屋を殺してしまうのはどうしてか。

読んでいった八千重は、自分の知らぬ情報に目が止まった。

「盗んだ大工道具?」
「あれ、知らなかった?」
「うん」

八千重の呟きが聞こえた一太郎が説明するために口を開く。

「大工の棟梁は、殺される前に大工道具を一つ失くしていて、更に、殺された時持っていた筈の大工道具は箱ごと盗まれていたんだ」
「大工道具……鑿や鉋、鋸に金槌とかよね?」

八千重が、以前に患者として来た大工に見せてもらった道具を思い出しながら指折り数える。

「そう、その道具はばらばらに売り払われていたんだよ」
「え……それはまた…ああ、それで若だんなは引っかかっているわけね?」
「そうなんだよ」

売り払うならば、箱ごといっぺんに売ってしまった方が楽だし、高く買い取っても貰える。
何故、ばらばらに売り払ったのか?
足がつくのを恐れでもしたか、箱に棟梁の名が彫られてでもあったか……それにしても奇妙であった。

「……こうやって書き出してみると、奇妙さが浮き彫りになるね」
「うん」
「一つ、気になったのですが」
「「うん?」」

黙っていた仁吉がそう口火を切ったので、八千重と一太郎は視線を向けた。
だが、その仁吉の口から出たのは今の話に全く関係のないことだった。

「お千重さんは、随分と教養がおありですが、どうなさったんです? 旅をしていたのなら習い事も行けなかったのでは?」
「……そういえばそうだね。この前も随分と難しい本もスラスラと読んでいたし……読めるってことは、書けもするんでしょう?」

更に加わった一太郎にも問われ、八千重は苦笑いした。

「全部おとっつぁんから習ったの。他にも、茶道と舞踊はちょっとだけなら出来るよ。立ち寄った先で少し教えてもらったんだ」
「へえ〜、お千重ちゃんの舞踊か……見てみたいな」
「え?」

ぽつりと呟いた一太郎の言葉に八千重は驚いた。
見たいと言われるとは思わなかった。

「私も是非拝見したいです」
「え!?」

仁吉にまで言われ、八千重は更に驚く。

「我も」
「我も」
「お千重踊る?」
「踊って見せて!」
「馬鹿だね、舞踊は舞うって言うんだよ」

きゅわきゅわきゅいきゅいと妖たちまで加わり、八千重は混乱、動揺した。
これは今すぐにでも舞わねばならなくなりそうだ。
どうしたものかと考えていると、低い暖かみのある声が割って入ってきた。

「随分と賑やかですね。―――お千重さん、開次先生がいらっしゃいましたよ」
「佐助さん……おとっつぁんが?」

現れたのは背の高い偉丈夫、手代の佐助。
八千重の問いに頷く。

「はい。貴女をお待ちです」
「こんな時分に……わかりました」

外はもう陽が沈んでいる。
自分の返事を待っている佐助に八千重は頷き、腰を上げる。

「ごめんなさい、ちょっと行ってきます」
「行ってらっしゃい。開次先生によろしく言っておくれ」

一太郎に頷いて返し、佐助と共に母屋へと向かった。
離れから少し離れた頃、八千重は広い背中に声をかける。

「…佐助さん、ありがとうございました。助かりました」
「舞がどうとか仰ってましたが、舞踊を舞いになられるんで?」

佐助は柔和に笑みを浮かべ問う。

「嫌だ、聞いてらしたんですね。少しかじっただけで、お見せできる程ではないんですよ」
「おや残念。お千重さんの舞なら、さぞかし美麗だろうと思ったんですがね」
「……お、おだてても私は舞ませんよっ」

八千重が顔を赤くさせれば、佐助は喉を鳴らして笑う。

「それは残念」

ですが私は嘘は吐いてませんよ、と言って佐助は八千重から視線を前に移した。
佐助の言葉に八千重はまた顔を赤らめるが、背中に目のない佐助にはその姿は見れなかった。

「開次先生はこちらでお待ちです」
「はい」

襖の前でそう言い、八千重の返事を受けると佐助は部屋の中に声をかける。

「開次先生、お連れ致しました」
「ありがとう」

ス、と襖を開けると、数日振りの父、開次がにこにこといつもの朗らかな笑みを浮かべて座っていた。
傍らには温かな湯気立つお茶と菓子の入った菓子鉢が置かれてある。
八千重が部屋の中に入って開次の正面に座ると、「只今お茶をお持ちします」と、佐助が襖を閉めようとしたので、八千重は自分の分は必要ない旨を伝えた。
佐助は頷いて了承すると、静かに襖を閉めて去って行った。

「元気そうだね、お千重。長崎屋の方々は良くして下さっているかい?」
「えぇ、皆優しい方ばかりで、まるで実子のように扱って下さっているわ。それよりも! おとっつぁんたら一体何を考えているの? 私、本当に混乱したんだからね!」
「子を案じる親心故だよ。もう暫くお世話になりなさい。ここに居れば安心だ」
「家に帰ったって別に剣呑なことなんて「許しません」…おとっつぁん!」

八千重は理解出来なかった。
前回のは、たまたま下手人達に鉢合わせてしまったものであって、そう何度も起こり得るものではない。
八千重は一太郎のように体が弱いわけでも、狙われているとされている薬種屋でもない。
こんな、よそ様の家に預けてまで守ろうとする必要はないのだ。

「狙われている訳でもないのに、何故?」
「……………とにかく、お前はもう暫くここに居なさい。それより―――…」
「おとっつぁん!」

開次の様子に、八千重は今まで感じていた違和感を次々思い出した。

(皆して、私に何か隠してる?!)

そう考えに至ると、今までの鬱憤が堰を切ったように溢れでた。

「……おとっつぁん、私に何か隠してるわね?」
「………………」
「それのせいで、私は長崎屋にいることになった……そうなんじゃない?」
「…………お千重」
「私の事を私が知らないなんておかしいわ!」
「お千重」
「教えてくれないならいいわ。私、ここから出て自分で調べ「八千重!! 聞きなさい!」……」

開次の鋭い一喝に、八千重はビクリと肩を揺らした。
今にも立ち上がりそうだった腰もそのまま固まる。

「確かにお前に隠している事はある。だけど、それはお前が知っても栓無い事なんだよ。変に怖がらせたくなくて黙っていたんだ」

先程の声とは一転、優しい声音に八千重の高ぶった感情も落ち着いてくる。

「それでも、それを知って、お前がここで大人しくしてくれているならば言った方が良いのかも知れないね。事前に何も知らないでいざという時身を守れないより、知っていて身を守る術を用意しておく方がずっと良い」

出来れば、知らずに事が治まれば良かったのだが、長期戦になりそうだ、と続けて呟き開次は頭をかく。
それから意を決したように真摯な瞳で八千重を見据えると口を開いた。

「八千重、お前は狙われているんだよ」

開次がそれを知らされたのは、日限の親分からだった。
一度八千重を送り、帰って行った親分が再度家を訪ねたのはその為だったのだ。

「まだ捕まっていない下手人がいるだろう?」
「天城屋さんを殺した?」
「あぁ。その時の二人のやり取りを橋番のじいさんが聞いていたそうでね」

そんな話は初めて聞いた。
八千重は黙って頷く。

「最初、下手人は薬種屋に、薬種屋かと問いた。すると次に、医者の一人娘を知っているかと問いたそうだ」
「え?」

(それって…)

八千重は開次の言葉に怪訝に顔を歪める。