「それとも、気に入らないかい?」
「そんなことっ とても素敵です!」

滑らかな手触りの鼈甲は見ただけで高直なものだとわかる。
簪だとて、細やかな細工に華やかな深紅の玉があしらわれてあり、見ているだけでも美しい。
手練れの職人のものだとわかる。

「うん、私もそう思うよ。それに―――…」

一太郎は八千重の手から簪を取ると、そっと髪にさす。

「若だんな?」
「ほら、お千重ちゃんに良く似合ってる。とってもきれいだよ」

ふんわりと笑い、恥ずかしいことを真顔で言う一太郎に、八千重の顔が真っ赤に染まった。
一太郎に赤くなった顔を気付かれないように俯く。

「あ、ありがとうございます。おかみさんにも、八千重が心から礼を述べていたとお伝え下さい」
「勿論」

にっこり笑顔のまま頷く一太郎をちらりと見て、八千重もはにかんで笑んだ。

「それでは若だんな、そろそろ…」
「あぁ、そうだね。あまり長居はできないんだった。お暇させてもらうよ」

佐助の進言に、一太郎は残念そうに頷く。
すると、佐助があっという間に駕籠を呼びに行ってしまった。

「あ、そういえば―――…」

佐助を見送っていると、ふと、寝付いている最中に見た夢のことを思い出した。

「不思議な夢を見たんだ」
「夢を?」

八千重が反芻すれば、一太郎は頷きまた口を開いた。

「夢の中で私は赤子になってるんだけど…きれいな女の人に抱かれて眠っているんだ。女の人は、澄んだ声で、子守唄を歌ってくれているんだよ。…風景が今の長崎屋と微妙に違っているから、もしかしたら私が赤子の時の記憶なのかもしれない」

八千重は黙って聞いていたが、一太郎の話に不思議な点などないように思えた。

「それのどこが不思議なんです?」

八千重の問いに一太郎は照れたように笑う。

「その女の人が、お千重ちゃんにそっくりだったんだよ」
「……私に…?」
「でも、今のお千重ちゃんよりずっと年上みたいだった…。不思議だと思わないかい?」
「……………」

びっくりして寸の間言葉が出なかった八千重だったが、その脳裏に開次の声が甦った。

「その人、きっと『八千重さん』だ」
「え?」

今度は一太郎がびっくりする番だった。
だが、すぐに意味がわからず首を傾げる。

「私のおっかさんは私を身篭っていた時、流しそうになったことがあって……それを助けてくださった方が『八千重さん』なんです。私は、その方の名前を貰ったんです」

きっとそう、若だんなの夢に出てきたのは八千重さんです! と嬉しそうに話す八千重。
何故かはわからないが、八千重には核心があった。

(長崎屋と親交がある方だったんだ!)

「で、でもね、お千重ちゃん。私が見たのはただの夢だよ」
「!」

とても言いづらそうに控え目に言った一太郎の言葉に八千重の動きが止まる。

「記憶だとしても、赤子の私がそんな昔のこと覚えている筈ないし…」

夢の中の一太郎は、精々一つか二つであった。

「………そう…ですね、若だんなのおっしゃる通りです。私ったら、変に勘違いして早とちりして…すみません。…あ、佐助さんが戻ってきたようですよ」

しゅんと項垂れる八千重に、一太郎は眉を下げるがかける言葉が見つからずに、迎えに来た佐助に促され腰を上げた。
今まで菓子を夢中で食べていた二匹の鳴家が、突然様子が変わった八千重の肩に乗り、どうしたのか聞いている。

「それじゃぁ私は帰るよ。お茶ご馳走様でした」
「若だんな…気を付けて帰ってくださいね」
「私は駕籠に乗っているだけなんだけどね、…気をつけるよ」

一太郎は苦笑して、八千重の家の玄関まで迎えに来た駕籠に乗り込む。

「体調が良くなったら、離れに来ておくれよ。おっかさんが会いたがっていてね」
「わかりました。必ず伺います」

笑顔で頷く八千重に、一太郎も笑顔も返す。

「では、お邪魔致しました。充分に休養してくださいね」
「ありがとうございます」

佐助の合図で駕籠が動き出した。

「あ、お千重ちゃん!」
「はい?」

ふと思い出したかの様に籠の中で若だんなが振り返る。

「これからは、私に敬語は使わないでおくれ。友達なんだから!」
「…………うん、わかった」

八千重ははにかむように笑い、駕籠が見えなくなるまで見送った。

「あ、貴方たち。若だんなと一緒に帰らなかったのね?」

二匹の鳴家が、八千重の肩にちょこんと乗っかったままだった。

(てっきり一緒に帰ったんだと思ったのに)

「かんびょうする」
「きゅんいー」

可愛らしい手が挙がり、八千重は破顔した。

「ふふふ、ありがとう」
「それに、若だんながお千重が心配だからいるようにって」
「え、若だんなが?」

八千重は、はりきった鳴家たちに布団に入れとせっつかれ、横になるのであった。
背中の打ち身が治ったら、貰った簪をさして若だんなに会いに行こう。
そんなことを考えて、八千重はクスクスと笑った。















(はじめての友達)