「ぎゅわっ、お千重具合悪い」
「我、お千重といたい」
「我も!」
「かんびょうする」
「我も!」

一緒に蒲団に潜り込んできた鳴家が交互に話す様子が愛くるしくて、八千重は自然と顔を綻ばせた。

「ありがとう。でも、きっと他の子達や若だんな達が心配してるだろうから、明日にでも長崎屋に帰ろうね」
「きゅわっ」
「きゅんいー」

こくこくと素直に頷く鳴家二匹を見ながら、八千重はふと気付く。

(あれ、今朝起きた時は三匹いなかったっけ?)

蒲団の中には確かに三匹の鳴家が気持ち良さそうに寝ていて、驚いて出した八千重の声にびっくりして起こしてしまったのだ。

「もう一人の子はどうしたの?」

鳴家が答える前に、玄関から声が聞こえた。
どうやら客人のようだ。
または患者か。
男の声にどこか聞き覚えがあった気がしたが、それを考えるより先に体が動いていた。

「もし、どなたかいらっしゃいますか?」
「はい。どちら様でしょうか?」

痛む背中で急げずにゆっくりと玄関に行くと、控え目に戸を叩く音と共に声が聞こえる。
返事を返し、名前を問うと思ってもみなかった名前が返ってきた。

「長崎屋廻船問屋手代、佐助です。それから…」
「長崎屋一太郎です」
「え、若だんな!?」

びっくりして、慌てて玄関の戸を開けた。

「こんにちは、お千重ちゃん」

そこには、にっこり笑う一太郎と、少々不機嫌そうな佐助の姿があった。

「こ…こんにちは」

八千重は、呆然としながら返すのだった。





「突然訪ねて来たりしてごめんよ。お千重ちゃんが熱出して寝付いたと聞いて心配になってね……起き上がっていてもう平気なのかい?」
「熱はすっかり下がったのでもう大丈夫です。でも、そんなことどなたから聞いたんです?」

八千重は客間へと通した一太郎と佐助の前に茶を出しながら、問う。

「お千重ちゃんについて行った鳴家だよ」
「え?」

八千重が隣に腰降ろすのを待って、一太郎は口を開く。
一太郎から返ってきた意外な答えに目をぱちくりさせた。

「鳴家って…どうやって?」

お茶と一緒に連れて来た二匹の鳴家を見ると、菓子鉢から饅頭を取って口いっぱいに頬張っていた。

「鳴家は妖ですから、人とは違う場所で行き来ができるのですよ」
「佐助さん…―――では、もしかして……」

八千重の視線が部屋の隅の影に移る。

(影を使ったんだ。だから今朝より鳴家の数が一匹少なかったんだね)

得心を得て、視線を戻そうとした八千重の視界がフッと暗くなった。

「…あれ?」
「さ、佐助!」

暗くなったのは、佐助が八千重の額にその大きな手をあてたせいだった。

「熱は、本当にもうないようですね」
「え、あ…はい。ないです」
「ですがどこか痛むのでしょう? 足ですか? 腕? 頭? 腹? それとも背中ですか?」
「わ! さ、佐助!」
「さ、佐助さん! 」

佐助が流れるような動きで八千重を押し倒し、体を調べ始めたので一太郎は目を丸くした。
八千重は抵抗するが、性別は元より妖の佐助に敵う筈もなく……白い足が露わになり、一太郎は顔を赤くして咄嗟に目を逸らした。

「昨日と動きが違います。痛みを我慢してますね?」
「佐助さ……やめ………痛っ」

逃げようと身を捻り、走った痛みに思わず声が出た。
それに聡く気付いた佐助が、背中を見ようとした時、八千重の口が勝手に動いた。

「佐助、おやめ!!」

鋭い声に、佐助の動きが止まり、一太郎の肩がビクリと揺れる。

(お千重…ちゃん?)

まるで別人の様な声に一太郎は驚いた。

「あ…すみません、つい―――…」

相手が若だんなではなく女人だとやっと気付いた佐助はさっと体を離した。
気になって視線を戻した一太郎は、涙で潤んだ瞳で佐助を睨みつけ、あがった呼吸に紅潮して上気した頬、着物の裾から見える白い滑らかな足…そんな八千重の様子に今度は耳まで赤くして体ごとあっちを向いた。
ドキドキと早く脈打つ心の臓と赤くほてった顔の熱をなんとか治めようと深呼吸を繰り返した。

「お千重さん、あの能力は病を消し去るものではありませんね?」
「………………」

眉間に皺を寄せ、問うのではなく確認するように言う佐助を身なりを整えつつ、見る。

(ばれてる…)

八千重は取り繕うようににっこりと笑む。
八千重の笑顔に、寸の間虚をつかれた佐助だったが、すぐに眉を顰めた。

「ごまかしても駄目です。…若だんな、若だんなはあの下手人に襲われた時、背中を打ちましたね?」
「え? あぁ、逃げようとして転んで、背中を打ったよ」
「…お千重さん、隠しても駄目ですよ」
「―――――…何故、わかったんですか?」

黙って聞いていた八千重は、観念して口を開いた。

「お千重さんと同じことが出来る方を知っているんです」
「え」
「佐助、そんなこと私は聞いていないよ」

佐助の言葉に驚いたのは八千重だけではなかった。
一太郎の言葉に、しれっと「そりゃぁ言ってませんからね」と言い、八千重を見る。

「その方は、他人の病をご自分に移し変えていました。ですから、鳴家の報告にもしやと思い伺ったのです」
「…私以外にもそんな方がいらっしゃるなんて、知りませんでした…」

感心してぽつりと呟く八千重を見て、一太郎が口を開く。

「―――つまり、私の病をお千重ちゃんが肩代わりしてくれたということかい?」
「そうですよ、若だんな」

佐助が頷くと、一太郎は八千重に向き直る。

「お千重ちゃん、本当にありがとう」
「わ、若だんな! 頭を上げて下さいっ」

八千重が慌てるが一太郎の頭は上がらない。

「それと、本当にごめん」
「な、なんで若だんなが謝るんですか。私が勝手にしたことですから気になんてしないで下さい」
「わかった…それじゃぁ代わりに、もう勝手に私の病を肩代わりなんてしないでおくれ」
「え?」

きょとんとする八千重を一太郎の真摯な瞳が見つめる。

「でも、若だんなは楽になりますよ? きっと、今までより自由に行動出来るようになる筈です」

確かに、八千重が吸い取ってくれれば、一太郎は体のことを考えずに自由に出来る。
仕事だって仁吉に阻止されずに存分に出来るし、外出だって渋い顔されない。
両の親にだって、心配をかけなくてすむ。
奉公人たちだとて、安心するだろう。
だが、それは―――…違う、と一太郎は思うのだ。

「確かにお千重ちゃんの言う通りになると私も思う。だけどそれじゃぁ…それでは…私の体が丈夫になったことにはならない。それに…お千重ちゃんが苦しむ事になる」

一太郎の眉が下がり、自嘲するように笑む。

「私は、自分の苦しみを友達になすりつけてまで我を通すだなんて出来ない。そんなことをするなら、苦しんでいた方がいいよ」
「……若だんな…」

(今、友達って…)

八千重は驚いて目を見開く。

「だから、もう勝手にあの能力を私に使うのはよしておくれ」
「…若だんな……」

微笑む一太郎に、八千重はこっくりと頷いた。

「約束だからね」
「はい」

八千重は顔がニヤニヤとするのを抑えるのに必死だった。
若だんなが、自分を『友達』と言ってくれたことが嬉しくて堪らなかったのだ。

(すごい。友達が出来ちゃった!)

開次と親子二人、今までは決まった家を持たずに旅をしながら立ち寄った先々で医療を施し生活していた。
それ故に、友と呼べる者など出来なかったのだ。
一太郎は、八千重にとって初めての友達となった。
また、一太郎にしても、妖が見ることの出来る友人は八千重が初めてだった。

「お千重さん、こちらをお受け取り下さい」

話が一段落つくと、佐助が来るとき背負っていた風呂敷包に入っていた物を差し出した。

「仁吉より預かった薬です。布に塗布して患部に貼り付けて使って下さいとのことです」
「仁吉さんから?」

仁吉から、と言うのにも驚いたが、その量にも驚いた。

(いくらなんでも、これは多いよ)

優に一月分以上あるようだった。

「兄やたちらしいけど…いくらなんでも、ちょっと多いんじゃないかな」
「…そうですか?」

佐助が不思議そうに首を傾げるので、八千重はおかしくてクスクスと笑った。

「仁吉さんの薬は良く効くと聞いています。ありがとうございます。仁吉さんにも、そうお伝え下さい」
「えぇ」

佐助は笑顔で全部受け取った八千重に満足そうに頷いた。
苦笑いしていた一太郎は、急にハッとして袂から袋を取り出した。

「お千重ちゃん、これも受け取っておくれ。おっかさんから預かって来たんだ」
「長崎屋のおかみさんから?」

一言断ってから袋を開けると、中には上等な鼈甲の櫛と可愛らしい簪が入っていた。
簪の装飾はとても繊細で美しいものだった。

「こ、こんな高価なものいただけません!」

一太郎は八千重が返そうとした手をやんわりと抑える。

「昨日おっかさんがお千重ちゃんに似合いそうなのを見繕って来たんだ。貰っておくれ。おっかさんも喜ぶ」
「おかみさんが、私に?」

八千重が手の中の櫛と簪を驚いてじ、と見る。