ツカツカと苛立つ感情のまま足を進める。
どこへ向かっているのか分からない。
お腹の底から沸々と込み上げてくる熱い怒りの感情と、それに混ざり、胸を締め付ける痛みに動いていなければ今にも溢れてしまいそうで、ただ足が勝手に動いていた。
その足は段々と早足になり、やがて駆け出す。
廊下を歩いている生徒達が、風のように駆け抜けるアスカに目を丸くさせて驚いているが、そんな事は気にもならなかった。
どこか、誰もいないどこかで、声の限り心の内を叫びたい心境だった。
自然と心に従うように、人気のない方へ足は進む。
ホグワーツはアスカの庭も同然で、気がついた時には地下の薬学教室の前に立っていた。
肩で息をしているアスカは、その扉を自然と開けようと手を伸ばしてふと気付く。

(…ここはダメだ!!)

黒尽めの友人の姿がパッと頭に浮かび、踵を返した次の瞬間、勢い良く何かにぶつかった。
反動で尻餅を着いたアスカの声と、アスカとは別の驚いた声が聞こえ、アスカは尻餅を着いたまま顔を上げる。

「び、吃驚した……大丈夫かい?」

驚いた顔のまま、アスカに手を差し出したのはハッフルパフのセドリック・ディゴリーだった。

「セドリック…」

アスカは茫然とセドリックを見上げる。

「───…ベル? どうかしたかい? もしかして、どこかぶつけた?」

自分を見上げたまま差し出した手を掴もうともせず、茫然とした様子のアスカに、セドリックは不審がり、眉を寄せるとアスカの前に膝を着く。

「あ……違うの…あたし……どこもぶつけてなんか───…大丈夫、だいじょ……」

アスカは途中で言葉に詰まり、堪えていた感情が遂に溢れてポロリと零れた。

「…え?」

セドリックが目を見開く。
一度箍が外れた感情は、次から次へと涙となって零れ落ちる。

「ハ……ハーマイオニーの馬鹿ぁ…っ」

遂にはアスカはそのまま心の声を口に出していた。
セドリックは、そんなアスカに戸惑い、助けを求めるように辺りを見渡したが誰も居らず、止まらない涙をポロポロと零すアスカに頭を抱えた。
膝に顔を埋めて泣き続けるアスカの頭に、散々迷った末にセドリックはソッと手を伸ばした。
優しく頭を撫でるセドリックの掌からじんわりとした熱が伝わる。

「ご…ごめ…なさ……っ」
「いいよ、気が済むまで付き合うから…スネイプ先生も他の生徒も居ないし……無理に止めなくていいよ」
「〜〜〜っ、…ふ…ぅう〜…」

しゃくりあげながら何とか涙を堪えようとした矢先に、セドリックの優しい声音が耳朶に響き、アスカの涙腺はまた決壊した。

散々泣いて、やがて段々と落ち着きを取り戻してきたアスカは、ずっと頭を撫で続けてくれているセドリックの手に、ふと己の失態に気付いた。

(……どうしよう…凄く…物凄く、恥ずかしくて顔を上げられない…!!)

セドリックは、嗚咽が鎮まったアスカに気付くとそれまで黙っていた口をそっと開く。

「…落ち着いた?」
「! ───はい…ごめんなさい、あたし……酷い醜態を晒してしまって…………本当に、ごめんなさい!!」

掛けられた声にビクッと肩を揺らしたアスカは、自分の膝に顔を埋めたまま答えた。

「醜態って……君が人気のない所を探して1人で泣こうとするくらいの事があったんだろう? ───…まぁ、結構驚いたけど…、君が1人で泣かなくて済んで良かったよ」
「 !? 」

アスカはセドリックの言葉に、先程とは別の意味で顔が真っ赤になった。
これでは益々顔が上げられない。

「──さ、落ち着いたなら、どこかに移動しようか。スネイプ先生が戻ってきたら面倒だからね」
「 !! 」

セドリックの言葉に、アスカの顔から一瞬で熱が引いて、真っ青になった。
立ち上がるセドリックの気配を感じ、ポケットからハンカチを取り出して顔を拭くと、恐る恐るそっと顔を上げる。
鼻が垂れて来そうになり、啜ると、セドリックは視線を逸らしながら「それ、良かったら使って」と指差し、アスカが視線を向けると足元にポケットティッシュが置いてあった。

(…なんて事だ!)

アスカは、目を丸くしてティッシュを見て、それからこちらに背中を向けたままのセドリックを見て、頭を抱えたくなった。

(こんな紳士な人、あたしの周りには居なかった! もう、絶滅したのかと思ってたけど…居たよ!!)

アスカはティッシュを手に取ると、一枚取り出して鼻に宛てた。
音を出すのは恥ずかしいので、押さえるようにして拭くと、ローブのポケットに入れて立ち上がる。

(今、あたしの顔はヤバいことになっているんだろうな…)

アスカは今更だが、息を吐く。

「おいで、良いところを知ってるんだ」

付き合ってくれてありがとう、とお礼を言おうとしたアスカより先にそう告げたセドリックは、アスカの返事を待たずに歩き出した。

「え!? い、いや…セドリック…あたしもう大丈夫だから……」
「泣きましたー! って顔で寮に戻れる?」
「…………………」

瞬時に、戻れる訳がない、と頭に浮かび、アスカが口籠もると、セドリックは朗らかに笑って、先を促した。

「ごめん、ちょっと意地悪言った。僕が放っておけないんだ、今度は僕の気が済むまで付き合ってくれないか?」

セドリックの笑顔と言葉に、アスカは目を瞬かせた。

「────セドリックって…モテるでしょ?」
「え? いや…そんな事ないよ?」
「嘘だ。慣れてるもの。紳士だし。そんな風に優しい言葉、誰にでもポンポン言っちゃダメだよ。その内、女の敵になっちゃうんだから」

呪いかけられたり、惚れ薬飲まされたり、ロクな事に成らないよ、と真顔で言ったアスカに、セドリックはキョトンと目を丸くした。
それから吹き出して笑い出す。
笑い出したセドリックに訳が分からず、今度はアスカがキョトンと目を丸くさせる。

「───…君は面白い事を言うね。まるで、本当にそうなった人を知っているみたいだ」
「! ち、違うわ、あたしは…っ」

セドリックに言われて、アスカの脳裏に、ジェームズと楽しそうに笑っている黒髪の青年の姿が浮かび、咄嗟に頭を振る。

「心配してくれてありがとう。大丈夫、誰にでもじゃないさ」

セドリックは頷くと、また先導を始めた。
アスカはその背中に黙って着いていく。

(………誰にでもじゃないなら、まだシリウスよりは大丈夫か…)

セドリックの言葉を脳内で繰り返し、友人と比べてホッと小さく息を吐く。

(一時期のシリウスは、女の子取っ替え引っ替えだったからな……)

友人の1人であるシリウスは、見目も良かったし、クィディッチでも活躍を見せ、更には成績も優秀だった。
愛想はあまり良いとは言えなかったが、よくモテた。
告白してくる女の子をあまり拒まず、コロコロと彼女が変わるようになっていたころは、扱いも手慣れた様子だった。
そんなシリウスに泣かされた女の子達から、シリウスと仲が良かった事もあり、相談されたり、嫉妬されたり、誤解されたり…とばっちりも受けた。
あれはひどかった…と学生時代の記憶に苦笑いを浮かべていると、足を止めたセドリックが振り返った。

「ここだ」
「あ……うん。…トロフィー室?」

アスカが視線を向ければ、磨き込まれた沢山のトロフィーが飾られたトロフィー室の前だった。

「ここ、いつも誰もいないから」
「確かに…」

言いながら扉を開いて室内に入っていくセドリックに、頷いてアスカも入る。
静かに扉を閉めるとセドリックが沢山のトロフィーを眺めていた。
アスカはセドリックの隣に歩み寄り、セドリックの見つめているトロフィーを見ると、そのトロフィーに見覚えがあった。

『見ろ、アスカ!』
『僕達優勝だ!』

嬉しそうな笑顔を2つ、思い出す。

(…ジェームズ…シリウス……)

『グリフィンドールが首位だ!』
『ほら、お前も持ってみろよ』

懐かしい思い出に、思わずアスカの口角が上がる。
そのトロフィーの隣に、ピカピカに磨かれた金色の盾があった。

(ホグワーツ特別功労賞…T・M・リドル? 50年前……って、確かハグリッドの事件があった頃だ……)

思考を巡らせアスカが眉間に皺を寄せていると、その頬に、突然ピタリと冷たい何かがあたり、アスカは短く声を出した。
目を見開いて隣のセドリックを見上げれば、悪戯気に笑っている。
その手には、濡れたハンカチがあった。
頬に触れたのはこれだ、とアスカが気付くとセドリックが口を開く。

「これ、使って。擦ってはなかったみたいだけど、冷やさないと腫れるから…念のために」
「あ…ありがとう」

アスカは濡れたハンカチを受け取り、眼鏡を外し、そっと目を閉じて覆うように宛てる。
ひやりとしたハンカチに、瞼の熱が移っていく。
静かなトロフィー室に、アスカのホッと吐いた息がよく響いた。

「……友達と喧嘩でもしたの?」

暫く無言だったセドリックは、怖ず怖ずと問う。
問い掛けられたアスカは、ハンカチを宛てたまま、苦笑いを浮かべる。

「…そうだよ。喧嘩の原因は話せないけど…酷い事を言った自覚はあるの……逆に、酷い事を言い返されちゃって、逃げるみたいに突っぱねて来ちゃった…子供みたいに」

感情を思いっきり吐き出して、冷静さが戻ってきたアスカは、己の行動が如何に子供じみていたかと苦笑いしか浮かばない。

「後悔、してる?」
「………言い方が悪かったなぁっていう後悔ならしてる…けど、言った内容に関しては後悔してない。危ない事はして欲しくないし、させたくない…3人は、大事な友人だもの。間違った事をしようとするのを正すのも友達の役目だと思うから」
「……その所為で、仲間外れになって一人ぼっちになっても?」
「うん」

はっきりと告げたアスカの声に、セドリックは驚いたように息を呑んだ。

「そりゃあ…寂しいけどね…けど、分かってくれると……思うし、怪我とかして欲しくないから。ハーマイオニーは、賢くて、優しいから……きっと、大丈夫」

アスカは半分は自分に言い聞かせるように、もう半分は本心から、そう告げた。

「………君は、真っ直ぐだね。純粋で、いつも背筋を伸ばして、真っ直ぐ前を見てる…」

セドリックの感心したような声音が響き、それからそっと頬に触れた温もりにアスカはピクリと肩を揺らす。
セドリックが何故自分の頬に手を添えるように触れたのか、どんな表情でアスカを見つめているか、瞼にハンカチを宛てているアスカには分からなかった。
セドリックは、何も言わない。
突然の沈黙と温もりに、アスカは混乱する。

「…セドリック?」
「ベル、僕は君が…」

セドリックの声がすぐ近くで聞こえる。
アスカは、ワケが分からないながらも心臓の音がやけに大きく聞こえ、ハンカチを取ろうと手を伸ばした所で、トロフィー室に2人とは別の声が響いた。

「セド! こんな所に居たのか!」

突然の大きな声に、アスカの身体かびくりと跳ね、反動で乗せていたハンカチが床に落ちた。
そのまま振り向くと、1人の少年がトロフィー室の出入り口に立っていた。
背が高く、スラリと伸びた手足と、セドリックとは別タイプの顔立ちのスッキリとした好青年だった。

(…ハッフルパフカラーのネクタイ……セドリックの友達? …あ、目元に黒子がある)

アスカは、セドリックと自分を交互に見る青年を観察するように見ていた。

『忘れ物とりにいったまま戻ってこないから探しにきてみれば───お邪魔だったみたいだな』
「え?」
「…は? お前、また……なに言ってんのか分かんないよ」

聞こえてきた言葉にアスカは目を丸くさせたが、セドリックは眉間に皺を寄せた。

『すまなかった、先に戻っていよう。どうぞごゆるりと』
「…お前が何か勘違いしていることは分かった…」

セドリックは呆れたように息を吐き、アスカの頬に触れたままだった手を離した。

『勘違い? 見つめ合っていたではないか。破廉恥な』
「僕はお前との付き合いが長い分、少しなら分かるけど…誤解だ」
『誤解って…今にも接吻しようとしてたじゃないか。それとも無理矢理か? いくら幼なじみでも、婦女に対しての暴行は見過ごせないぞ』

目を細めた青年に、セドリックは訳が分からないと言うように眉間の皺を濃くしただけだったが、アスカは青年の言葉に慌てた。

『せ、接吻とか! 婦女暴行とか! 全部誤解です!』
『え』
「え?」
『セドリックは、泣いてたあたしに付き合ってくれていただけで…別に貴方が疑っているような事は何もありませんでしたから!』
『………………』
「………………」

アスカが誤解を解こうと告げるが、セドリックも青年も目を丸くさせたまま何も反応を示さない。

『え、えー…と……わかっていただけました?』

無言の2人に、アスカが首を傾げると、青年は無言のままズカズカと歩み寄り、両肩をガシッと掴まれたアスカは困惑する。

『日本語、話せるのか!?』
『え…そりゃあ、日本で生まれましたから……貴方こそ、日本語話せるんですね。驚きました』
『日本生まれ! そうか、それは素晴らしい! 拙者は、両親が日本マニアで、その影響で拙者も普段から日本語で話す程に日本が好きになった』
『拙者!? ぷ……っ、か、変わってますね。ふ、普段からなんて…不便じゃないですか?』

思わず吹き出しそうになったアスカは慌てて両手で口を覆い、笑い出しそうになるのを堪えながら続けた。

『不便ではない、が……まあ、言葉が通じないから多少変人扱いされている。その所為で組分け帽子にもハッフルパフにされたし……拙者はニコル。ニコル・ブルーム』
『あたしはベル・ダンブルドア。グリフィンドールです』

ニコルと名乗った青年は、煌めくように笑い、アスカの手を握った。

『あ、あの…?』
『今日はなんていう素晴らしい日だろうか! 是非結こ……友達からお付き合いをしていただけないだろうか?』
『……………え……』
『そして! 色々とご教示をお願いしたい!』
「………………………(今、『結婚』って言おうとしなかった?)」

アスカは、これまで色んな者達と関わる事があった。
フィーレン家の関係で、社交場も幾度となく経験している。
だが、そんなアスカでも会って五分程でプロポーズ紛いな事をされたのは初めての経験だった。

『日本のことを教える事位構いませんが……けど、それならその一人称はあたしの腹筋が死んでしまうのでやめてください』
『一人称?』

知らない単語に、ニコルは首を傾げる。

『…あぁ、自分のことを拙者と呼ぶのをやめてください。今は使う人なんてごく僅かですよ』
『そうなの?』
『時代劇やアニメとかでなら聞いたことありますけど、今の日本で使ったら笑われます』
『!! そうなのか! 父上にも伝えよう!』
『親子で使ってたの!?』
『無論。父上は某、母上は妾と…』
『ぶっ!!』

アスカは堪えられなかった。
笑い出したアスカに、ニコルは訳が分からず目を瞬かせ、日本語が片言しか分からずに黙って二人のやりとりを見ていたセドリックも不思議そうな顔で二人は顔を見合わせた。

「ニコ、お前彼女に何を言ったんだ?」
『両親のことを言っただけだ』

両親、の単語にセドリックは首を傾げる。

「…よく分からないけど、こんなに笑う彼女は初めて見た」
『そうか。先程、彼女は泣いていたと言ってたな。何故泣いていたかは知らないが、笑う元気が出たなら良かった』
「……そうだね」

若干どこか複雑そうな顔をしたセドリックと満足気なニコルは、お腹を抱えて笑うアスカが落としたハンカチに気付いて笑い止むまで暫く見守った。
ハーマイオニーと初めて喧嘩したその日、アスカに新しい友人が出来た。










To be Continued.