道中ハーマイオニーに気付かれないように礼を述べてきたロンに、アスカは1つ頷きつつも、そっと諭すように言えば、複雑そうな顔をしながらもロンは素直に頷いた。
それに柔らかく微笑んでポンポンと背中を叩くと、ロンも笑顔を見せた。
魔法史は時間割の中で1番退屈な科目だった。
担当教授のビンズは、ホグワーツ内でただ1人のゴーストの先生で、毎回黒板を通り抜けてクラスに現れる。
アスカは、ハリー達が言うほど魔法史の授業は退屈ではなかった。
それは、主に悪戯書きが思う存分出来る科目であったし、隠れて本を読むことも出来たからだ。
勿論、ハーマイオニーには良い顔をされないし、呆れられ、怒られたが、アスカは、2度目のホグワーツであることを十分に利用し、宿題も試験も難無くこなしたので、最近では何も言われなくなっていた。
今日も一本調子の低い声で教科書を読み上げるビンズの声を聞きながら、アスカが嬉々としてスケッチブックにペンを走らせていると、隣に座っていたハーマイオニーが、真っ直ぐに手を挙げた。

「───…ハ、ハーマイオニー?」

アスカは驚いてハーマイオニーを見るが、ハーマイオニーはビンズ先生をしっかりと見据えたままだ。
先生が何か質問でもしたのだろうかと周りを見回してみたが、周りの生徒達が何人か驚いたようにハーマイオニーを見ていることから、どうやら違うらしい。
一体どうしたのだろうか。
ビンズ先生がハーマイオニーの挙げている手に気付いて、驚いたようにこちらを見つめているのに気付き、訳が解らないまま動向を見守る事にした。

「Ms,あ───…?」
「グレンジャーです。先生、『秘密の部屋』について何か教えていただけませんか?」
「!?」

はっきりとしたハーマイオニーの声が教室内に響いた。
ハーマイオニーの隣でアスカはあんぐりと口を開けた。
教室内の生徒達の顔が一気にビンズの催眠術から解けたかのように覚醒し、集まる視線の数が急激に増えた。

「私がお教えしとるのは『魔法史』です。事実を教えとるのであり、Ms,グレンジャー、神話や民話ではないんであります」

干からびた声でビンズが不機嫌そうに応え、授業を再開しようと教科書を読み上げ始めたのだが、すぐに止まった。
ハーマイオニーの手が、また真っ直ぐに挙がり、揺れていたのだ。

「Ms,グラント?」
「先生、お願いです。伝説と言うのは、必ず事実に基づいているのではありませんか?」

ハーマイオニーの言葉に、アスカはなんて事だと目を見開いた。
ハーマイオニーは、図書館でアスカが言った事に感化されてしまったのだ。
これでは、アスカがハーマイオニーを焚きつけたことと同じだ。

(ハーマイオニーがビンズ先生に叱られて、減点でもされてしまったら全てあたしの責任だ!)

アスカは、ビンズから叱責の言葉が出ようものなら、すぐに庇えるようにと身構えながらビンズの出方を待った。
ビンズは、ハーマイオニーをじっと見つめていたが、やがて「ふむ」と考えながら1つ頷く。

「然り、そんな風にも言えましょう。多分。しかしながらです。貴女が仰る所の伝説はと言えば、これは誠に人騒がせなものであり、荒唐無稽な話とさえ言えるものであり……」
「先生」

ス、と今度はハーマイオニーの隣で手が挙がった。
ビンズがぎょっと目を見開いた。

「あ──…Ms,…」
「ダンブルドアです。先生の仰るとおり、荒唐無稽な話なのかもしれません。ですが、あたし達はそんなことも知
らないのです。先生がお話して下さらなければ、あたし達は何も分からないまま、暗闇を恐れるようにしてホグワーツで生活していかねばなりません」

アスカの言葉に、生徒達は頷く。
その様子に、ビンズは驚いたようだった。
やがて、仕方ないとばかりに口を開いた。

「あー、よろしい。───さて……『秘密の部屋』とは……」

ビンズの言葉に、アスカとハーマイオニーは笑顔で顔を見合わした。

「皆さんも知っての通り、ホグワーツは一千年以上も前──正確な年号は不明でありますが、その当時の最も偉大なる4人の魔女と魔法使い達によって創設されたのであります。創設者の名前に因み、その4つの学寮を次のように名付けたのであります。すなわち、ゴドリック・グリフィンドール、ヘルガ・ハッフルパフ、ロウェナ・レイブンクロー、そしてサラザール・スリザリン。彼らはマグルの詮索好きな目から遠く離れたこの地に、ともにこの城を築いたのであります。何故ならば、その時代には魔法は一般の人々の恐れるところであり、魔女や魔法使いは多大なる迫害を受けたからであります」

ビンズは一息いれると教室を見渡し、生徒全員の目が自分にしっかりと向いている事を確かめてから続きを話しだした。

「数年の間、創設者達は和気藹々で、魔法力を示した若者達を探し出してはこの城に誘って教育したのであります。しかしながら、4人の間に意見の相違が出てきた。スリザリンと他の3人との亀裂は広がっていった。スリザリンは、ホグワーツには選別された生徒のみが入学を許されるべきだと考えた。魔法教育は、純粋に魔法族の家系にのみ与えられるべきだという信念を持ち、マグルの親を持つ生徒は学ぶ資格がないと考えて、入学させることを嫌ったのであります。しばらくしてこの問題をめぐり、スリザリンとグリフィンドールが激しく言い争い、スリザリンが学校を去ったのであります」

(なるほど、スリザリンは初代純血主義者だったわけか)

アスカはビンズの話に、その時からスリザリンとグリフィンドールの不仲が始まったのだと思った。

「信頼出来る歴史的資料はここまでしか語ってくれないのであります。しかしこうした真摯な事実が、『秘密の部屋』という空想の伝説により、曖昧なものになっておる。スリザリンがこの城に、他の創設者にはまったく知られていない、
隠された部屋を作ったという話がある。その伝説によれば、スリザリンは『秘密の部屋』を密封し、この学校に彼の真の継承者が現れる時まで、何人もその部屋を開けることが出来ないようにしたという。その継承者のみが『秘密の部屋』の封印を解き、その中の恐怖を解き放ち、それを用いてこの学校から魔法を学ぶに相応しからざる者を追放するという」

ビンズが語り終えると、沈黙が部屋を満たした。
アスカは、眉間に皺を寄せ、ビンズを見つめる。
生徒達のもっと話して欲しいという熱意の籠もった目と雰囲気に、ビンズは微かに困惑した様子を見せた。

「勿論、全ては戯言であります。当然ながら、そのような部屋の証を求め、最高の学識ある魔女や魔法使いが何度もこの学校を探索したのでありますが、そのようなものは存在しなかったのであります。騙されやすい者を怖がらせる作り話であります 」

ハーマイオニーの手が、またスッと真っ直ぐ挙がった。

「先生、『部屋の中の恐怖』というのは具体的にどういう事ですか?」
「何らかの怪物だと信じられており、スリザリンの継承者のみがそれを操る事ができるという」

生徒達が恐々と互いに顔を見合わせた。
ハーマイオニーも隣のアスカを見たが、アスカは眉間に皺を寄せたまま、真っ直ぐにビンズを見つめていた。

「言っておきましょう。そんなものは存在しない。『部屋』などない。従って、怪物はおらん」
「でも、先生」

声をあげたのは、シェーマス・フィネガンだ。

「もし『部屋』がスリザリンの継承者によってのみ開けられるなら、他の誰もそれを見つけることは出来ない。そうでしょう?」
「ナンセンス、オッフルハーティ君」

ビンズの声に険しさが増した。
ビンズは名前を覚えるのが苦手なのか、それとも覚える気が無いのか。
恐らく後者なのだろうなとアスカは思った。

「歴代のホグワーツ校長、女校長先生方が何も発見しなかったのだからして──」
「でも、ビンズ先生」

次にパーバティ・パチルが高い声を上げた。

「そこを開けるのには、闇の魔術を使わないといけないのでは?」
「Ms,ペニーフェザー、闇の魔術を使わないからといって、使えないということにはならない。繰り返しではありますが、もしダンブルドアのような方が──」
「でも、スリザリンと血が繋がっていないといけないのでは。ですから、ダンブルドアは──」

今度はディーン・シェーマスがビンズの言葉を遮った。
ハーマイオニーとアスカの発言で、皆の好奇心の箍が外れたようだった。
ビンズはディーンの言葉が終わる前に、もうたくさんだとばかりにピシリと打ち切った。

「以上、おしまい。これは神話であります! 部屋は存在しない! スリザリンが、部屋どころか箒置き場さえ作った形跡はないのであります! こんな馬鹿馬鹿しい作り話をお聞かせしたことを悔やんでおる。宜しければ、歴代に戻ることとする。実態のある、信ずるに足る、検証出来る事実であるところの歴史に!」

歴史の授業に戻ると、5分もしない内に皆は催眠状態に戻ってしまった。
アスカは、スケッチブックを広げたままだったが、続きを描く気になどなれなかった。

(もし、『秘密の部屋』が本当にあるのだとしたら、ハリーが聞いたという…ハリーにしか聞こえない声は、継承者、もしくは『部屋の怪物』の声だったんじゃないだろうか。知能ある怪物…その正体が何か予想出来ないけれど、もし怪物の声だったのだとしたら……ハリーが継承者?)

アスカは、そこまで考えてから否、何を考えているんだ、と打ち消す。

(ハリーは、純血主義じゃない。だとしたら、継承者の敵だ。ハリーが継承者の筈はない……でも、そうだとしたら、何故ハリーにだけ『声』が聞こえるのか?)

いくら考えても、答えは出ない。
ハリーにだけ聞こえるその理由がわかれば、怪物や部屋、そして継承者に繋がる糸口になるであろうに、アスカにはお手上げだった。

(真夜中のお茶会…に、押しかけるかな)

誰かの意見を聞きたいと思ったアスカは、1番に頭に浮かんだ友人の元へ行ってみようと決めた。

(──あ、ハリーに聞こえる声のこと、どうやってセブルスに気付かれないように話そう?)

それは実に難しい問題だった。
アスカは、今度は別の事で頭を悩ますのだった。
魔法史の授業中、アスカはずっと思考に耽って終わった。
ビンズは現れた時と同じように黒板を通り抜けて戻って行った。
アスカはハーマイオニーと、夕食前に寮に鞄を置きに行こうかと話しながら、同じように考えた生徒達でごった返している廊下へ向かっていると、人混みをかき分けながらロンとハリーが近付いて来た。

「サラザール・スリザリンって、狂った変人だって事、それは知ってたさ。でも知らなかったなぁ、例の純血主義のなんのってスリザリンが言い出したなんて。僕ならお金貰ったってそんな奴の寮に入るもんか。はっきり言って、組分け帽子がもし僕をスリザリンに入れてたら、僕、汽車に飛び乗って真っ直ぐ家に帰ってたな…」

ハーマイオニーが「そう、そう」と頷いたが、アスカは、頷かなかったし、ハリーは黙ったままだった。

「そう? 例えスリザリンに入ったとしても、あたしは純血主義にはならないし、寮なんてあんまり気にしなくても良いと思うけど……まぁ、スリザリンに入ってたらハーマイオニー達と友達になれてなかったかもしれないから、それは嫌だな」

肩を竦めたアスカの言葉に、3人は顔を見合わす。

「ベルらしいわ」
「ベルがスリザリンに入ってたら、きっとマルフォイはベルの金魚の糞になってたに違いないよ」
「──ロン、それはどういう意味?」

アスカがロンをジトリと睨みつけると、冗談だよ!、と慌てて言い繕ったロンの姿がおかしくて、4人は笑った。
ハリーは、組分け帽子にスリザリンに入れられそうになったことを誰にも話していなかった。
言った後の友人達の反応が怖かったのだ。
だが、アスカの言葉に少しだけ心が軽くなった気がした。
そう、組分け帽子がスリザリンをすすめてもハリー本人が断った。