樹齢何千年の樫の古木の枝が絡み合うその向こうに、開けた平地が見えた。

「!ッ」

地面に純白に光り輝くものを見て、アスカは息を呑んだ。
ハリーとドラコも目を見開く。
駆け寄るアスカを追って、ハリーとドラコも近寄った。
アスカ達は、ユニコーンを見付け出したのだ。
だがアスカはユニコーンの近くに来て、足を止めた。
その長くしなやかな脚は倒れたその場でバラリと投げ出され、その真珠色に輝く鬣は暗い落葉の上に広がっている。
ユニコーンは既に事切れていた。
死してなおその姿は美しく、それが余計に悲しくさせた。
アスカが固まっていた足をまた一歩踏み出した時、ズルズル滑るような音がした。
アスカ達はその場で凍り付いた。
近くで聞こえる音は、つい先程聞いた音だった。
平地の端の闇が揺れる。
だが、闇が揺れたのでは無かった。
闇色のフードでスッポリ包まれた何かが、暗がりの中からそのフードを引きずり、地面を這って来たのだ。
まるで獲物を漁る獣の様な動作に、アスカ達は金縛りにあったかのように立ちすくんだ。
アスカは杖を握る手に力を入れて、杖をしっかりと握り締める。
ユニコーンに近付いていく目の前のフードに包まれた影に注意を置きながら、アスカはハリーの位置を横目で確認した。
影はユニコーンの側まで近付くと、傍らに身を屈め、傷口からその血を飲み始めた。

「!!ッ」
「ぎゃああああアア!」

アスカが息を呑むのと同時に、ドラコが絶叫して逃げ出した。
ファングも一緒に逃げ出す。
影は頭を上げ、逃げそびれたアスカとハリーを真正面から見た。
ユニコーンの血が、フードに隠れた顔から滴り落ちる。
影は立ち上がり、2人に向かってスルスルと近寄って来る。
ハリーは恐ろしさの余り動けなかったが、アスカは違った。
バッとハリーを背に庇うようにして前に立ちはだかる。
アスカの名を呼びたかったが、ハリーが声を出すより先に、今まで感じたことのないほどの激痛が頭を貫いた。
額を押さえ、地面に膝を着く。
そんなハリーの前で、アスカもまた目を手で押さえていた。
いつも急に始まる特殊能力。
アスカの瞳が熱くなり、赤く変わる。
ギュッと眼を瞑ると、暗闇の中にいる筈なのにどこか別の…アスカの知らない部屋が見えてくる。
部屋には、みぞの鏡があり、その部屋でハリーが男と対峙している。
男はハリーに背を向けており、その後頭部には顔があった。
アスカにはその顔が誰のものか難無く解った。
男がハリーに向かって手を伸ばす。
ハリーが危ない!、そう思った次の瞬間、瞳の熱が収まり、アスカは現実へと戻された。
辺りは部屋ではなく暗い闇の森、フードに包まれた影が、目前に迫って来ていた。
アスカが杖を振るより先に、アスカとハリーの真上を何かがヒラリと飛び越え、影に向かって突進した。
影は避けるようにしてスルスルと逃げていく。
アスカは目を見開いた。
影を追い払ってくれたのは、明るい金髪に胴はプラチナブロンド、淡い金茶色のパロミノの若いケンタウルスだった。

(ケンタウルスが…助けてくれた?)

アスカは蹄を鳴らしてこちらへ歩み寄るケンタウルスを信じられないという顔で見上げる。

「怪我はないかい?」

ハリーを引っ張り上げて立たせながら、ケンタウルスが声をかけた。

「うん……、ありがとう…。あれは何だったの?」

ハリーが聞いたが、ケンタウルスは答えずに、ハリーの額の傷をジッと見ていた。
その瞳は信じられないほど青く、まるで淡いサファイアのようだ。

「ポッター家の子だね?」

ハリーにそう言ってからケンタウルスはアスカを見た。
今度はアスカを興味深そうにジッと観察し始める。
青い目が、耳元で揺れるピアスを見、アスカの瞳を見てケンタウルスは軽く目を見張る。
アスカはケンタウルスの視線に不快に顔を顰め、居心地悪そうに身じろぐ。

「君…いえ、貴女はフィーレンの…」

ギクリとアスカの肩が揺れる。

「成程、ダンブルドアの養女というのは貴女でしたか」

ケンタウルスは何か納得したように蹄を一、二度鳴らす。
アスカは内心とても慌てていたが、ケンタウルスがそれ以上何も言わない事にホッとした。

「早くハグリッドの所に戻った方がいい。今、森は安全じゃない……特に君達にはね。私に乗れるかな?」
「え、貴方に?」

アスカは目を丸くする。

「私の名はフィレンツェだ」

前足を曲げ、身体を低くしてアスカ達が乗り易いようにしながらケンタウルス…フィレンツェが名乗った。
ハリーが怖ず怖ずとフィレンツェの背に乗る。

「さぁ、貴女も」

戸惑っているアスカを促すようにフィレンツェが言うが、アスカは眉を寄せる。

「あたし達を背中に乗せたりなんかしたら、貴方は仲間達に叱られてしまうんじゃない?」
「え」
「………………」

アスカの言葉にフィレンツェは押し黙る。
だがすぐに薄く笑い口を開く。

「心配は無用。私は自分で考えた最善と思う事をしているだけ……貴女が気にすることはない。さあ、早く乗って」

アスカはまだ納得出来なかったが、ハリーから手を差し出されたので、拒めなかった。
アスカがフィレンツェの背に乗り終わると、平地の反対側から疾走する蹄の音が聞こえてきた。

「フィレンツェ!」

木の茂みを破るように、2頭…いや、2人のケンタウルスが現れた。
1人は上半身は赤い髪に赤い髭、下半身は栗毛に赤味がかった長い尾で、もう1人は真っ黒な髪と胴体で、どこか荒々しい感じを受けるケンタウルスだった。
フィレンツェの名を呼んだのは黒いケンタウルスだ。
2人とも、フィレンツェより年上に見える。
ハリーはどうやら顔見知りらしく、ポツリと名を呟く声を聞いた。
ロナンとベイン。
どちらがどうとはわからなかったが、すぐに知れた。

「何ということを……人間を背中に乗せるなど、恥ずかしくないのですか? 君はただのロバなのか?」
「ベイン、この子達が誰だかわかってるのですか? ポッター家とあのフィーレン家の子です。一刻も早くこの森を離れる方がいい」

怒り狂ったように怒鳴るベインと呼ばれた黒いケンタウルスはフィーレンと聞いて、驚いたようにアスカを見る。

「例えノルンの子だとしても、例外ではない。いや、ノルンの子ならば尚更だろう。君はこの子達に何を話したんですか? フィレンツェ、忘れてはいけない。我々は天に逆らわないと誓った。惑星の動きから、何が起こるか読みとった筈じゃないかね」

ベインは蹄を鳴らし、唸るように言った。

ノルン…フィーレン一族がそう呼ばれるのにはわけがあった。
それにはフィーレン一族の中で代々受け継がれる能力が関係している。
アスカは未来を見るが、アスカの祖母…先代の当主は、過去を…そして先々代は、現在を見ることが出来た。
過去、現在、未来を見ることのできる能力故に、フィーレンは『ノルン』と呼ばれるようになった。
もっとも、今ではフィーレンをその名で呼ぶのは極一部の者だけなのだが…。

「私はフィレンツェが最善と思うことをしているんだと信じている」

必然的にロナンという名になる、赤いケンタウルスが落ち着かない様子で、チラチラとアスカを見ながらくぐもった声で言った。

「最善! それが我々と何の関わりがあるんです? ケンタウルスは、予言されたことにだけ関心を持てば良い! 森の中で彷徨う人間を追いかけて、ロバの様に走り回るのが我々のすることでしょうか!」

ベインは怒って後ろ脚を蹴り上げた。

「!ッ、」
「きゃあ!」

フィレンツェも怒り、急に後ろ脚で立ち上がったので、ハリーは振り落とされないように彼の肩に捕まり、アスカは前に座るハリーに抱き着くように腰にしがみついた。

「あのユニコーンを見なかったのですか?」

フィレンツェはベインに向かって声を荒げた。

「何故殺されたのか君には分からないのですか? それとも、惑星がその秘密を君には教えていないのですか? ベイン、僕はこの森に忍び寄るものに立ち向かう。そう、必要とあらば人間とも手を組む」

フィレンツェは言い終わるとサッと向きを変え、木立の中に飛び込んだ。
ハリーとアスカは振り落とされないように必死でしがみついたままだった。
駆けるフィレンツェの背の上で、揺れながらハリーは今のは一体どういうことなのか、何が起こっているのか見当がつかなかった。

「どうしてベインはあんなに怒っていたの? 君はいったい何から僕達を救ってくれたの?」

フィレンツェはスピードを落とし、並足になった。
低い枝にぶつからない様に注意をするようにと言ったが、ハリーの問いには答えなかった。
3人は無言で木立を進む。
沈黙が長く続いたので、ハリーはフィレンツェはもう口をききたくないんだなと考えた。
だが、一際木が生い茂った場所を通る途中、フィレンツェが突然立ち止まった。

「ハリー・ポッター、ユニコーンの血が何に使われるか知っていますか?」
「ううん……角とか尾の毛とかを魔法薬の時間に使ったきりだよ。ベルは知ってる?」