ロンの顔が怪訝に顰められたが、ハリーはそんなの気にせず焦ったように言う。

「トロールのこと知らないよ!」

ロンは唇を噛んだ。
そして一つ頷くと、パーシーに気付かれないように、そっと列から抜け出した。





コンコン。
もう何度目になるだろう。
アスカは閉じこもってしまったハーマイオニーの個室のドアをノックする。
中からは啜り泣く声が聞こえて、アスカは眉を下げる。

「ハーマイオニー、出ておいでよ。今日はハロウィーンでご馳走が出るんだよ? ねえ、お腹空いてない?」
「………………」

返事はなかったが、お腹が鳴る音が聞こえた。

(お昼ご飯も食べてないんだもん。当たり前だよ)

「ね、一緒に広間に行こうよ」
「―――――…でも…」

逡巡するハーマイオニーの声。
アスカは、ハーマイオニーが何に躊躇っているのかすぐにわかった。

「ロンのことなら気にする必要ないよ。一発ひっぱたいてやったし!」
「え?」
「友達が多ければ良くて、少なければ駄目だなんて決まってないよ。数だけの上辺だけの友達なんていらない。心から信頼できる友達が一人いれば、それでいいとあたしは思うんだ。ハーマイオニーは、そうは思わない?」

返事の代わりに、カチャリ、と鍵が開いた。
そこから目元を少し赤く腫らせたハーマイオニーが出て来る。

「…ベル、ありがとう。私も……そう思うわ」
「ん、じゃあ行こっか。あたしもうお腹ペッコペコだよ!」
「実は私も。さっきお腹鳴っちゃったし…」
「ふふふ、バッチリ聞こえたよ。―――…それよりなんか臭わない?」

キュ、と握ってきたハーマイオニーの手をギュッと握り返し、出入口を見て、アスカは目を見開いた。

(嘘…)

アスカは固まったまま動けなかった。
臭う筈だ。
冷や汗が流れる。
女子トイレのドアの所に、4メートルの巨体の悪臭の元がぬ〜と立っていた。

(なんで、ホグワーツにトロールなんか…)

墓石のような鈍い灰色の肌、岩石のようにゴツゴツのずんぐりした巨体、禿げた頭は小さく、ココナッツがちょこんと載っているようだ。
短い脚の木の幹ほど太く、コブだらけの平たい足がついている。
腕が異常に長く、手にした巨大な棍棒は床を引きずっている。
幸い、背が高いので、下にいるアスカとハーマイオニーには気付いていないようだ。

(何とかしなくちゃ…っ)

アスカがグ、とハーマイオニーの手を強く握り、杖を手にしようとした時だった。

「きゃああああああ!!」

アスカの背後に立つハーマイオニーが、甲高い悲鳴を上げた。

(しまった!)

悲鳴に驚いたトロールが、煩いとばかりに凶器を振り下ろした。

「っ、ハーマイオニー!」

アスカは咄嗟にハーマイオニーを庇った。
棍棒は、アスカ達の真上を空振りし、トイレのドアをぶち壊した。
砕けた破片が、降りかかる。
ハーマイオニーは恐怖で足が竦んで動けないので、アスカがなんとか補助して逃げる。

「杖…、杖……っ」

ポケットをまさぐったが、そこにあった杖がない。
アスカはトロールの攻撃からハーマイオニーを庇いつつ、辺りを見渡す。
杖は、トロールの足元に転がっていた。

「ちっ」

アスカとハーマイオニーは、奥の壁に追いやられた。

(ば、万事休す!!)

トロールは洗面台を次々と薙ぎ倒しながら、こちらに近付いて来る。

「こっちに引き付けろ!」

響いた声にハーマイオニーを抱きしめたままアスカが見ると、ハリーとロンがいた。
ハリーは蛇口を拾って力いっぱい壁に投げつけている。
注意を引き付けてくれようとしているのがわかった。
トロールがアスカ達の手前で立ち止まる。

「ハリー、ロン…どうして……っ」

アスカが驚いて呟く声に、ハーマイオニーもアスカの視線の先の二人に驚く。
トロールは、標的をハリーとロンに移し、棍棒を振り上げて近付いていく。

「やーい、ウスノロ!」

ロンがハリーの反対側から叫んで、金属パイプを投げつける。
トロールは、パイプが肩に当たっても、何も感じないようだったが、それでも声は聞こえたらしく立ち止まる。
醜い鼻面を今度はロンに向けたので、ハリーがトロールの後ろに回り込む余裕ができた。

「ベル! ハーマイオニー! 早く、走れ、走るんだ!」

ハリーがアスカとハーマイオニーに向かって叫び、ハーマイオニーの手をドアの方に引っ張ろうとしたが、ハーマイオニーは動けなかった。
恐怖で壁にピッタリと張り付いてしまったようだ。
アスカもハーマイオニーを動かそうとしたが、少ししか動かない。

「ハーマイオニー!」
「だ、駄目…。腰が抜けて、力が入らないの…」
「……………二人とも、ジッとしてるのよ?」

アスカは、杖の位置を確認すると、バッと飛び出した。

(杖さえあれば、こんな独活の大木ッ)

はし、と杖を掴んだアスカは、杖先をトロールに向ける。
失神させてやろうと思っていたが、ハリーがトロールに飛びつき、腕をトロールの首ねっこに巻き付けたのだ。

(は、ハリー!?)

「何してるのっ 危ないわ!!」

アスカは杖を構えたまま、顔が青ざめた。
だが、トロールがこちらを見た時固まってしまった。
どうやらハリーは杖を持ったまま飛びついたらしく、その拍子に杖が鼻に刺さってしまったようだ。

「―――――…ぷっ」

間抜けな光景に、アスカは思わず吹き出した。
奥まで突っ込まれたのか、鼻に走る痛みに、トロールは唸り声を上げて棍棒をめちゃめちゃに振り回した。
アスカは身軽に躱しながら、ハリーの身を案じる。
ハリーは振り落とされないように必死にトロールの頭にしがみついている。
トロールはハリーを振り払おうともがき、今にも棍棒で強烈な一撃を食らわしそうだった。

「ハリー!! このっ、ステューピ…きゃああっ」

アスカは、杖を振ったが途中でトロールが振るった手に振り払われ吹き飛び、壁に叩きつけられた。
そのまま気を失い、床に崩れる。

「「「ベル!!」」」

三人の叫びが部屋に響く。
ロンは自分の杖を取り出した。
自分でも何をしようとしているのかわからずに、最初に頭に浮かんだ呪文を唱えた。

「ウィンガーディアム・レビオーサ!」

すると、突然棍棒がトロールの手から飛び出し、空中を高く高く上がって、ゆっくり一回転してからボクッという嫌な音を立てて持ち主の頭の上に落ちた。
トロールはフラフラしたかと思うと、ドサッと音を立ててその場に俯せに伸びてしまった。
倒れた衝撃が、部屋中を揺すぶった。
その衝撃に、アスカは目を覚ます。

「…うわ!」

目の前にトロールの醜い顔があって、飛び起きた。
背中にズキンと痛みが走り、顔を歪める。

「すごい…誰がやったの?」
「ベル! 良かった」

フラつきながらも立ち上がったアスカに、ハリーとロン、ハーマイオニーがハッと気付いて駆け寄る。

「大丈夫? どこか怪我してるんじゃ…」
「背中がちょっと痛いけど、大したことないよ。それより―――…」

アスカの視線につられるようにトロールを見るハリー達。

「これ……死んだの?」
「いや、ノックアウトされただけだと思う」

ハリーは屈み込んで、トロールの鼻から杖を抜き取る。
灰色の糊の塊のようなものがベットリと付いていた。

「ウエー、トロールの鼻糞だ」

ハリーはそれをトロールのズボンで拭き取った。
それから急にバタンという音がして、アスカは顔を上げる。
続くバタバタという幾つもの足音に、ハリー達の顔も上がる。

(うわ、やっばい!)

アスカが、誰かが物音を聞き付けたに違いないと顔を引き攣らせる。

「皆っ早くトンズラしないと――――…………遅かった」

言葉の途中で、マクゴナガル先生が飛び込んで来た。
そのすぐ後にセブルス、最後にクィレル…先生方はトイレの惨状に目を見張る。
クィレルはトロールを見た途端、ヒーヒーと弱々しい声を上げ、胸を押さえてトイレに座り込んでしまった。
セブルスはトロールを覗き込み、マクゴナガルはハリーとロン、アスカとハーマイオニーを見据えた。
アスカはこんなに怒った先生を見るのは久しぶりだった。
そして、怒りのその矛先が自分に向けられているというのは初めてだった。

(ジェームズとシリウスも、先生のこんな顔なんて見たことそうそう無かったんじゃないかな)

いつも何かしら怒られていた悪戯仕掛人の筆頭の二人ですら無かったのではないかとアスカは口を引き攣らせる。
マクゴナガルの唇は蒼白だった。
肩がワナワナと震えている。

「一体全体あなた方はどういうつもりなんですか」

声は冷静だが、その表情は怒りに満ちていた。

「殺されなかったのは運が良かった。寮にいるべきあなた方がどうしてここにいるんですか?」

セブルスはハリーに素早く、鋭い視線を投げかける。
次いでアスカと目が合うと、片眉を上げた。
アスカはさっと視線を逸らし俯く。
ハリーも俯き、杖を出しっぱなしのロンに、早くしまえば良いのにと思った。

「マクゴナガル先生、聞いてください」
「Ms,グレンジャー!」

ス、とハーマイオニーが三人を押しのけ前に歩み出た。
マクゴナガルの目が、まさか…と見開かれる。