将来の忍者を教育、育成する忍術学園では、委員会活動というものがある。
作法、用具、図書、会計、体育に生物や火薬等と別けられている中で、保健委員会があった。
保健委員会の主な活動は、主に生徒達の怪我の治療であるが、保健委員に選ばれる素質故か、生徒以外の怪我人も治療する事がある。
怪我人は、例え敵忍者であろうと放ってはおけないのだ。
心根の優しい保健委員達だが、忍者としては如何なものか。
保健委員会委員長である善法寺伊作は、度々忍者に向いていないと言われていた。
だが、伊作は思うのだ。
忍者らしくない忍者がいても、別に良いのではないかと。
今は亡き先輩に、相談した際にそう諭された。

『確かに伊作は優しすぎる故に忍には不向きかもしれない。でも、命の尊さを知らない忍も、また、忍には不向きだと私は思う』
『何故ですか?』
『忍とは、命を奪う事が本来の仕事ではない。生き残ることが仕事なんだよ』

確かに、人を殺す仕事もあるだろう。
だが、それよりも、情報を持ち帰り届ける事こそが本分なのだ。

『伊作は、伊作らしい忍者になれば良いんだよ。忍者だからといって、自分を…心を殺す必要はない』
『先輩……』
『この先その優しさ故に、危機に陥る事もあるだろう。だけど、それも越えられるよう強くあればいい。甘い戯言なのかもしれないけれどね。伊作の優しさに助けられている者もいるようだし、君はそのままで良いと思うんだけど……どうかな?』
『はい。ありがとう、ございます…』
『はは、だけど不運は治した方がいいな』
『な、治せるものなら治したいですよっ』
『それもそうだね』

穏やかに微笑む先輩が、伊作は好きだった。
夏休み前に交わした約束は反古されてしまったが、それでも先輩の言葉は今でも伊作の中に根付いている。
ふと甦ったまだ自分が下級生だった頃の記憶に、伊作は止まっていた調剤の作業を再開した。
そうして幾何かした時、何やら外が騒がしくなった。
どうしたのだろうかと首を傾げた次の瞬間、医務室の戸が勢いよく開けられた。

「新野先生!」
「わっ、り、利吉さん!? 新野先生なら職員会議で……!! 怪我人!?」

伊作の目に飛び込んできたのは、慌てた様子の利吉と利吉が抱き抱えている人。
ダラリと垂れ下がっている腕は血の気が失せているのか青白く、伊作は思わず顔付きを変えて駆け寄る。
知らない人だったが何故か懐かしい気がした。
だが、そんな事を考えながらも、体は勝手に動き出していた。

「利吉さん、そこに寝かせて下さい。数馬は新野先生を呼んで来てくれ、早く!」
「はい!」

伊作の隣で薬草を選り分けていた三年生の三反田数馬は、大急ぎで医務室から駆け出して行き、利吉も素早く千里を寝かせた。
伊作はその容態を見て、顔を顰める。

「利吉さん、すみませんが、外でお待ち下さい」

真剣な表情の伊作に言われるがままに、利吉は医務室から出た。
そうして所在無さ気に立ち尽くしていた利吉は、暫くして駆けて来た医務教員の姿に、頭を下げた。

「大丈夫だよ、絶対に助けてみせる」

すれ違い様にかけられた言葉に、少しだけ気分が浮上した。

「宜しくお願い致します…ッ」

自分でも驚いた程、震えた声だった。
微かに指先も震えており、利吉は掌に着いた千里の血液に顔を歪める。
医務教員の新野が入った医務室からは、指示の言葉が飛び、数馬が収集を掛けたのだろう保健委員会の面々が次々と医務室へ入って行く。
利吉は、ぎゅっと手を握り締め、祈るようにして立ち尽くしていた。

「…利吉っ」
「! 父上……」

そんな利吉は、耳に馴染んだ声に名を呼ばれ、俯いていた顔をあげる。
険しい表情の父の姿を見て肩の力が抜けたように感じた。

「三反田が新野先生を呼びに来て驚いたぞ。お前が重症人を連れて来たと……本当なのか?」

利吉の父、山田伝蔵の背後には伝蔵と同じ組の教科を受け持つ土井半助の姿があった。
彼もまた、伝蔵と同じように顔を険しくしている。

「本当です。前にお話した例の忍…覚えていらっしゃいますか?」
「――あぁ、確か千里殿といったか?」
「はい。彼が、今…中に……」
「!? どういう事だ?」
「それが―――…」

眉を寄せる伝蔵と土井に、利吉は苦い顔で事情を話し出した。
千里と利吉で受けた双忍の仕事の内容の事。
それが原因でその依頼をした城が落城した事。
その落城させた城が千里を始末しようと狙っていると情報を得た事。
そして、助けに行ったが間に合わず、千里は重症を負い、意識を失っていた事。
そして、助けを求めて忍術学園の門を叩いた事まで、全て話した。
本来、忍は何があろうとも自分の担った任務内容を家族と言えど話すことは御法度である。
だが、先に述べたように依頼人であった城主は既に殺されているし、城の関係者も皆殺しにされている。
更には、騒ぎを持ち込んだ者の責任として、事情を話さない訳にはいかないのだ。

利吉の話を聞いた伝蔵と土井は、やはり難しい顔のままだ。
徐に、伝蔵が顎髭を撫でながら口を開いた。

「…では、千里殿は刺客にと差し向けられた忍者を返り討ちにしたが、まだその城に狙われている可能性があるわけだな?」
「――はい、可能性は十二分にあるかと思われます。すみません、父上……折角平素の忍術学園へ戻りつつある最中に、この様な面倒事を持ち込んでしまいました…」

この利吉の言葉に、ギクリと肩を揺らしたのは土井だ。

「耳に痛い言葉だよ…」
「あ! すみません、土井先生。私はそういう意味で言ったのでは――…」

胃を押さえながらも引き攣った笑みで溢した土井の言葉に、利吉ははっと己の失言に気付いた。
先の天女の件で、土井はあろうことか天女の色に惑わされ、教師の本分を疎かにしていたのだ。
泣いている自分の生徒や下級生にも、学生の本分を見失った上級生にも気付かない程、天女に心酔していた。
伝蔵に会いに来た利吉は、そんな忍術学園と土井の姿に、ただただ驚いた。
だが、数日の間に天女が天へと帰り、正気に戻った皆の姿に、利吉はホッとしたのがつい先日の話である。
未だに上級生や土井等の天女に心酔していた者達と下級生達の間には、微妙な溝が出来ており、関係の修復にはまだ幾何かの時間が必要だった。
そんな中、利吉が連れて来たという女人の話は、門で出会った事務員やすれ違った生徒達から話が徐々に広まっていると伝蔵は眉を寄せて話す。

「女人の姿をしていましたが、千里さんが本当に女人なのか、私は分かりません。天女ではないかと疑っているのなら、それはあり得ません」
「そうだろうが、やはり学園長には報告せねばなるまい」
「…はい」

利吉は静かに頷く。

「では、ここは私が引き受けます」

利吉は、千里の容態が心配であったが、面倒を持ち込んだのは自分である、とぎゅっと口を引き結び、手を挙げた土井に頭を下げる。

「宜しくお願い致します」
「大丈夫だよ。新野先生は名医だし、利吉君が言うような優秀な忍者なら、絶対に死なない」

力強く頷く土井に、利吉はクシャリと表情を歪めた。

「ありがとうございます」
「何かがあれば、すぐに知らせるよ」

利吉は頷き、学園長の居なさる庵へ、父の伝蔵と向かった。












(二度と戻らないと切り捨てた、優しい箱庭)

← →