俺が17歳の頃に出会った1人の女がいる。相手はまだ10歳にも満たないガキで、何事にも挙動不審な奴だった。今まで誰かに守られてきた人生ではなかったのだろう。どんな些細な物音にも体をビクつかせていた。そんなアイツを俺は最初めんどくさいとしか思えなくて。和穂は妹ができたみたいだと喜んで世話をしていたが俺は正直喜ぶ事ができなかった。だけど首領に世話をしてくれと頼まれたのだ。断る事はできず、だからと言って進んで世話をするわけでもなく、アイツのお守りは和穂に任せっきりだった。

そんなアイツや俺の時間はあっという間に10年という歳月が流れた。ガキだと思っていたアイツはもう大人で、出会った頃の俺の年齢を越していた。だからなのか。アイツと話す機会が以前と比べて増えた気がする。


「おまっ…いったいどこから入ってきやがった」
「玄関。普通に宵風が出迎えてくれたよ」
「その宵風はどこに消えた」
「知らない。あたしを招き入れてくれたら出て行っちゃった」


表の仕事から帰って来るとベッドの上で膝を抱える女の姿があった。いつもそこにいるのは宵風の野郎で、視界の隅に映った時はなんとも思わなかった。またあんなところにいやがる。そう思いながら時計を見て、そろそろ晩飯の時間だという事を知り、宵風に何か食べたいものはあるかとたずねようとしてベッドに座る人物、宵風に視線を向けたはずだった。しかしそこにいたのは頭の中に浮かべていた人物ではなく、見慣れた栗色の髪の持ち主だった。

くるんと跳ねた毛先は寝癖だろう。短い栗色はカーテンの隙間から入ってきた明かりによりキラリと光る。瞼が重くなるのを感じた。ほんの少しやる気が下がったような、そんな感じだ。


「今更だけど、おかえりなさい」
「…おう」
「相変わらずごちゃごちゃした部屋だね」
「うるせェ」
「だけど好きだよ、ここ。あたしの育った部屋だもん」


ボフンという音と一緒に目を閉じてベッドに寝ころんだ。そこには俺の上着やズボンが置いてあるのにも関わらずその上に倒れ込む。上着のファーが顔に当たったのだろう。「くすぐったい」と笑うアイツはどう見ても大人で、だけど俺から見たらまだまだ子供のままだった。

ここでの生活は俺が17歳の時から始まった。そんな始まりからいたのは和穂とコイツで。和穂は結婚して旦那ができたもんだからもうここにはいない。ベッドの上で寝ころぶアイツももうここでは生活していない。だからこそ時々こうして帰って来る。その行為には特に意味はないとアイツは言うが、俺にはわかる。何年一緒にいると思ってるんだ。


「また難関度の高い任務を言い渡されたのか?」
「大丈夫だよ。分刀の2人も一緒に来てくれるみたいだし」
「へェ、そりゃよかったな」
「雪見」
「あ?」
「久しぶりに雪見の作るオムライスが食べたいな」


俺の上着に顔をうずめて喋るアイツの表情は伺えない。何を考えているのか、とか。何がしたいのか、とか。アイツに聞かなきゃわかんねェ事とか。


「任務から帰って来たら作ってやんねェ事もない」
「わかった。それじゃあいってきます」
「もう行くのか?」
「寂しい?」
「アホ抜かせ」


適当にあしらうとアイツはくすりと小さく笑った。昔は笑う事よりも泣く事の方が多くて。見慣れた泣き顔はいつの間にか薄れていき、見慣れないはずの笑い顔ばかりがはっきりと濃く鮮明に映し出されるようになった。時間というもの程恐ろしいものはない。

ベッドから立ち上がるとアイツは部屋をぐるりと見渡し始め、机の上にカメラの入ったカバンを置いてアイツと同じように部屋中を見渡してみた。あの時と比べて部屋は汚くなったな。メモ用紙だらけのこの部屋は俺が表の世界で仕事を始めてからで、アイツや和穂がいる間はいらないと判断されたメモ用紙は即ゴミ箱行きだった。脱ぎっぱなしな服も、流し場にためたままの食器類も。2人のいなくなったこの部屋は荒れる一方。


「また来てもいい?」
「んな事いちいち聞いてくんな。ダメだって言ってもどうせ来るんだろ?」
「雪見がダメでも宵風が招き入れてくれるしね」
「今日のはアイツとたまたま入れ違っただけだろうが」
「そんな事ないもん」


下敷きにしていた上着をはおって言う。「これ借りてもいい?」ぶかぶかなそれは俺専用のサイズでアイツにはちとデカすぎる。だけどどこか嬉しそうに聞いてくるもんだからダメだとは言えず。「返り血とかで汚すなよ」「俄雨くんの近くにいるから大丈夫」こんな会話の後にそそくさと玄関に向かう背中はなんだか小さくて。ここに来たばかりのコイツを思い浮かべた。昔と比べて大きくなった背中は今でも小さくて、だけど大きくて。成長したその姿はなんとも言えない。


「…大きく、なったな」


ポツリと出ていった言葉は静寂した空間を通じてアイツの耳まで運び込まれた。ゆっくりと振り向いて瞬きを数回したアイツは黙ったまま俺を見ていて。真っ黒なその瞳を覗くと俺がいた。ふと、そこで我に返りなんてバカバカしい事を口にしてしまったんだと後悔しながら頭をかいた。


「…なんでもねェよ。早く行け」


ぶっきらぼうに伝えたそれにアイツは特に何かを言い返してくるわけでもなく、前を向き扉に手を伸ばした。
ガチャリという音に風の音が少し混じる。開いたそこに一歩、また一歩。アイツは飲み込まれていく。


「雪見はあたしにとってお兄ちゃんのような存在だった」
「なんだよ。いきなり」
「和穂はお姉ちゃんっていうよりもお母さんかなぁ」
「…」
「あたしはもう、雪見たちと出会った頃の泣き虫な子供じゃないんだよ」


ひゅうひゅうと、扉の隙間から入ってくる風の音がアイツの言葉を運んでくる。何も言い返す事ができない俺はアイツの考えがいまいち理解できないからで、扉の隙間から顔を覗かせるアイツの表情を見ても、その考えを読み取る事はできなかった


「あれだけごちゃごちゃした部屋にメモ用紙がひとつ増えても雪見は気付かないだろうね」


そう言い残すと扉は完全に閉められた。いったい何が言いたかったのだろうか。アイツの考えが読み取れない今、とりあえずアイツの口から出てきたメモ用紙を見に足を運ぶ。が、部屋中メモ用紙だらけなために何がどう増えたのかがわからない。レモネードでも飲むか、と。考えを切り替え台所へと足を向けた。宵風の野郎はいつ帰って来るんだ、とか。どこに行きやがったんだ、とか。考えを宵風に向けてみるものの、最後の言葉たちが邪魔をする。


「…ったく。わかんねェな」


これだからガキは嫌いだ。なんて、アイツはもうガキじゃないが。

レモネードの入ったマグカップを仕事用の机に置く。ゆらゆらと揺れる湯気を視界の端におさめつつ、パソコンを開く。と。ディスプレイに一枚のメモ用紙が貼られてあった。そこにはウサギだかネコだかわからない未確認生命体がいて、思わず笑みがこぼれる。その未確認生命体の横には吹き出しのような物が書かれていて、そこの書かれていた文字の目を落とす。


”冷蔵庫。”


言われるがままに冷蔵庫を開けると、そこにあるはずのないものが。誕生日カードのような物が分かりやすいよう貼られていて、それを手に取り中身を確認。その瞬間、心臓が大きく脈をうち、頬に集まってくる熱を隠すように手で覆う。

くそう、してやられた。






目の前にいたアイツはいつまでたってもガキのままで、だけどちゃんと成長していて、

“I love you.”

俺の知らないところでアイツはガキから女へと成長を遂げていた。


2011 12/17(再録)
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