しばらくの間、女の住まいに足を運ぶのをやめた。そろそろ地球に飽きてきた頃だ。次はどこの惑星に行こうか。一緒に来ていた奴らにそう告げるとそれはアンタの決める事だとばっさり切られてしまった。困ったなあ、地球に飽きたっていうのは嘘なのに。汚い部分にも案外心地良い場所はあったよ。しかしいつまでもここに滞在しておくわけにもいかない。そろそろ一緒にやって来た奴らが限界に近いらしい。全くもって血の気の多い連中ばかりで飽きない。しかし俺という存在に到底かないっこないと理解しているおかげで誰1人として逆らう奴はいない。ここで立ち向かって来る奴がいたら本当は楽しいのだけれど。ああ、困った。困ったなあ。


「団長。今日は出かけないのですか?」
「気が乗らないんだ。暇ならそこら辺の雑魚でも殺ってきたら?」
「…」
「あれ?どうしたの?」
「自分の気のせいかもしれませんが…前とは少しだけ、違う顔付きになりましたね」


一緒に地球にやってきたのだけれど生憎こいつの名前は知らないのだ。こんな奴いたっけ・と思うような奴は多い。そしてこいつもその内の1人だった。そんな奴に言われた言葉の意味を考えながらも首を傾げて笑っておいた。どこがどう変わったというのだろう。しかし残念ながら自分でも気付いているようだった。

真っ先に思い浮かべたのはあの女の顔だった。色のない瞳をキラキラと輝かせて微笑む女の顔が忘れられない。1度思い浮かべると脳裏にべったりとくっついて洗い流す事ができないのだ。このままでは自分が自分でなくなってしまう気がして、右手の平を広げて見つめる。いつもこの手に広がる赤い物ならば水で綺麗に流れてしまうのに。

ああ、本当にどうしたものか。


「明日、地球を発とう」


おおっ・と連れて来た奴らがどよめいた。言ったからには後にはもう引けない。引くつもりもない。ただ、ほんの少しだけ名残惜しい気持ちが生まれてしまっただけ。仕方ない。きっとこういう運命なんだろう。

自分の言葉を有言実行するためにあの女に別れを告げる必要なんてない。きっと地球に降り立つ事なんて近い将来にはない事だ。いろんな惑星に降り立つ人生の中のほんの小さな出来事。初めて誰かを殺すのにためらってしまった。それだけの、とても強運な女との出会い。

しかし明日という時間に近付いていくにつれて女の顔がどんどん濃く頭についてしまう。どうしてだろう、なんて。

仕方なく立ち上がると足は自然と女の住まいへと向かっていた。こんな時間に起きているワケないだろうと思いながらも進む足は止まろうとはしない。傘をささなくても平気な時間帯。今日は満月だ。女の住まいにたどり着くと裏庭に回った。すると縁側には女の姿がぽつんとあって、そんな姿を確認するなりほっとしてしまう自分がいて。

何も見えないであろう女の瞳には、綺麗な満月が映っていた。


「夜更かしとは、関心しないなぁ」


言葉を投げかけると女がこちらに顔を向けた。色のない瞳が大きく開かれて、そして細められた。ふわりとした温かい笑顔を浮かべる女はゆっくりと口を動かし、「やっと来てくれた」と一言。

どうやら女は俺の事を待っていてくれたらしい。どうして今まで会いに来てくれなかったのか、もう会えないと思った、等。女は次々に言葉を作り出した。それはそれは楽しそうに喋るもんだから俺は女の前に立ってニコリといつもながらの笑顔を浮かべる事しかできなくて。


「別れを言いに来たんだ」


瞬時、女の表情が曇っていく。


「本当はもっと早くに行くつもりだったんだけどね」


本当は誰よりも自分の事を理解しているはずなのに、そこには気付かないふりをした。どうかこのまま喉から上に上がってこないといいんだけど。女が手を伸ばして宙で俺を探していた。ぎゅっと握られた場所は腹部の服で、座っている女。立って女を見下ろす俺。そこをつかまれるのは必然的だった。


「行かないで下さい。あなたはわたしの命の恩人です。そんなあなたにわたしはまだ何もしていません」


ドクン・と、心臓に送られていく血液のせいで視界が大きく揺れた気がした。

ああ、前にも起きたあの感じだ。俺の服をつかむ女の手首を持つ。びくっと女の肩が大きく揺れた。同時に女の表情が歪んでいく。「痛い」呟いた女の一言は虚しくも夜空に吸い込まれていく。そして俺の顔からも笑顔というものが消えていった。


「旅人さん?」
「あの時、俺はアンタを助けた事になってるけどそれは違う」
「え?」
「本当はアンタの事を殺そうとしたんだよ」


女の目が右往左往と泳ぐ。ギリリッと女の手首にかかる力は増す一方。表情を歪めながら女は何かを考えているようだった。


「そんなはずないわ…だってわたしは生きてるもの」
「そうだね」
「だから旅人さんの言ってる事は嘘です」
「違うさ。アンタは俺の気紛れで生きながらえているだけであってその気さえあればすぐにでも殺せるよ」


女の手首を離して次につかむ場所は喉元。女の表情がみるみる内に恐怖の色に染まっていく。女がごくりと唾を飲み込んだ。喉の動きが親指を通じて伝わってくる。女は抵抗を見せない。その間もその瞳に俺の事は映らなかった。今、目の前にいるのは誰でもない俺なのに。

今、女の命は俺の手の平にある。何も発さない女を見る限り、恐怖に怯えて言葉が詰まっているのだろう。そりゃそうだ。普段誰かに喉元をつかまれる事なんてないに決まってる。女は今まさに死と対面しているのだ。しかし不思議と女を殺してしまいたい衝動にはかられない。何故だろう。不思議だ。


「喉元をつかまれる気分はどう?このままへし折ってしまってもいいんだけどね」


我ながらなんて意地悪な事を。しかしそれが俺なんだから仕方がない。いまだ喋ろうとしない女の頬を、あいてる方の手でひと撫でした。すべすべの白い肌は夜兎の血が流れる俺より白くはないものの綺麗だった。次にほんのり赤い唇に触れ、下唇を少し下にずらして離す。ぷるんと揺れるその唇がなんだが愛しくなった。不思議だ。本来持ち得る事のない気持ちが体中をむしばんでいく。

戦場に立つのは楽しい。しかしそれ以上にこの気持ちも悪くない気がするのだ。この女と出会ってからの俺はおかしい。本当にどうしてしまったのだろう。

女の喉元から手を離して解放する。大きく息を吸い込み喉元に手をやると、静かに俺を見た。やはりその瞳には俺は映らない。


「…いってしまうのね」


殺されそうになったのにも関わらず、女が眉をたらして告げた答えに体中の血液がざわつき出した。ああ、なんて事だ。これはやばい。

戦場に立つ事が好き。殺し合いをするのが好き。強い奴と戦うのが好き。それは渇いた血が潤いに満たされ、相手の死により快感を得る。しかしそれは一時的なものでしかないのだ。だから俺は血という血を流してきた。俺自身のためだけに。体に流れる夜兎の血に感謝した事もあった。こんなにも楽しい事を教えてくれた夜兎の血に。しかしどういう事なのか、この女と出会ってから生まれた新たなこの気持ちはそれを嫌っているようだ。


「さようなら。旅人さん」
「旅人さんじゃないよ。俺の名前は神威」






    律
 メ
      ラ
   ン
          コ
 リ
     ッ
        ク



生まれて初めて夜兎の血を呪わしく思った瞬間だった。




2011 12/17(再録)
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