*日向くんSideになります。
愛おしい後ろ姿を眺めながら、俺はさっきまでの出来事を走馬灯のように思い出していた。
……ーー久しぶりにこのドアを開けると思うと、自然と体が緊張した。このドアのむこうには、大好きな彼女がいる。そう考えただけでも俺の心臓はうるさく鳴り響く。だが、その鼓動も今日は胸騒ぎのひとつにも思えた。
「起きてるか?みょうじ」
「おはよう、なまえさん」
ドアを開けると同時に、言葉を投げかける。苗木は多分、俺と同じくみょうじに想いを寄せているんだと思う。苗木はなんだかんだでみょうじと会う時が、1番嬉しそうだ。多分、俺もそう。
コテージへと足を踏み入れると、あり得ない光景が待っていた。
…真っ赤に染まっているみょうじと狛枝。お互いに不機嫌そうにむすっとしているが、嬉しそうな空気を消しきれていない。いいムードであることに、間違いはなかった。
そこで俺は気付いたのだ。
…ーーみょうじは狛枝に好意を寄せているんだと。
その光景に「え?」と声を揃えてしまった。ぽかんとしている俺たちは、一歩も動けずにいた。声を出そうにも出ない。そんな呪縛を解いたのは、意外にも苗木だった。
「…えっと、ひとつだけ聞いていいかな?」
その苗木の質問に、みょうじは慌てて「うん」と頷いた。狛枝はツイと視線を逸らしたが、耳が真っ赤のままだ。
「えっと、なんで赤くなってるのかな、って…」
「…私からは言えません」
「ボクも言わないよ。みょうじさんが言ってよ」
「はぁ!?」
ああ、いつも通りじゃないか。狛枝とみょうじの口喧嘩を眺めて、俺は内心でほっとした。
だが、その喧嘩もいつも通りじゃない事に気付いてしまった。少しの違いだが、俺は分かってしまったのだ。
「喧嘩はダメだよ。
…じゃあ、ボクは狛枝クンの話を聞くよ。日向クンはなまえさんに聞いてくれるかな。話しにくいだろうから、別室でね。ボクたちはこの島のどこかで話し合うから」
「え、」
「ちょ、苗木クン…!?」
苗木は時としてあり得ないほどの力を発揮する。160cmの苗木が180cmで65kgの狛枝を引っ張っていくのだ。いや、むしろ引きずっている。ちなみになぜ狛枝の体重を知っているのか、と言うと通信簿だ。どうやら、あの通信簿はよほどの事がない限り、現実をリンクしていたようなのだ。よほどの事、というのは西園寺のような場合だ。
俺は苗木たちが出て行くと同時に、大きなため息を吐き出した。ずっと溜まっていたようだった。
「で、どうしたんだよ、みょうじ。お前らしくないぞ」
励ますように笑うと、みょうじはなぜか心配そうな表情を浮かべた。なぜだろう、と思っていると先にみょうじが口を開いた。
「…日向くんが寂しそうに笑わないなら、言ってあげる」
「…、」
…衝撃だった。俺は寂しそうに笑っていたのか。だからみょうじが心配そうな表情を浮かべていたのか。そう考えると罪悪感でいっぱいになった。
だが、その罪悪感もみょうじの笑みに薄れてしまっていた。安心させるように大袈裟に笑ってやる。
「分かった」
俺のその答えにみょうじは嬉しそうに笑った。
「良かった。もう一つだけ確認させて?」
「あぁ。もちろん」
そう答えると、みょうじは満足げに「ありがとう」と笑った。次にどんな質問がくるのか、俺には分からなかった。ちゃんと答えよう、と思った。
「…ーー日向くんは私の事、どう思ってくれてるのか、ってさ」
だが、その質問には真っ赤になって固まるしかなかった。気付いて、いたのか。そんな疑問が浮かんだが、ここで俺がみょうじに好きだ、付き合ってくれ、と告白してどうなるのか。みょうじは狛枝に好意を寄せている。狛枝もそうだ。
その事実が改めて俺の中を駆け巡った。心が空っぽになったみたいだった。苦しい。寂しい。そんな負の感情が俺を取り巻く。複雑だった。
ここで狛枝はダメだ、俺にしろ、なんて言ってしまうことも出来る。だが、そんな事はしてはいけない気がした。むしろ彼女の背中を押すべきだと思った。
そう決心した俺は「じゃあ」と質問を質問で返そうとした。その一言にみょうじの眉が寄る。
「…ーーみょうじは狛枝のこと、どう思ってるんだ?」
「え、」
今度はみょうじが赤くなる番だった。それによってみょうじが狛枝に好意を寄せている、ということが事実であることが分かってしまった。「日向くん…ッ!!」と牽制するようにみょうじが俺の名前を呼ぶ。
「…つまり、そういうことだよ」
「なに言ってるのかわからなーー…」
そこでみょうじの言葉は終わった。立ち上がり、みょうじの小さな体を包み込むようにして抱きしめる。多分、俺の鼓動はみょうじにも伝わっているのだろう。後戻りはできない、という怖さから自然と体が震えた。その震えはだんだんと収まったが、鼓動は早いままだった。
「…俺はみょうじのことが好きだ。誰にも負けないくらい好きだ、そう思ってた。
でも、みょうじが好きになるくらい、お前を好きなヤツがいたんだな。俺はソイツに負けたんだな…」
声を絞り出す。後悔する前にみょうじに伝えなければ、という決心が俺の中にあった。ここでみょうじに名前を呼ばれてしまえば、決心が揺らぐ気がした。みょうじには隙を与えないように、また口を開く。
「俺はみょうじのことが好きだ…ーー好きなんだ…ッ!!」
それが俺の心からの叫びだった。自然と目には涙が浮かぶ。
「…でも…ッ」
そこで体を引き離す。みょうじは驚きながらも俺の目をじっと見つめていた。俺もみょうじの澄んだ瞳を見つめ返す。みょうじの目を見ていると、安心できた。俺の決心が揺らぐことはない。
「…ーーみょうじには幸せになって欲しいから」
そう言ってしまえば、気分は楽だった。立ち上がらせたみょうじの背中を、ドアの方へ押してやる。みょうじは泣きそうな顔で俺の方を振り返ったが、俺はみょうじに向かって大袈裟に笑った。爽やかな気分だ。
「行ってこいよ」
「な?」と押し出すように笑うと、みょうじは俺を惹きつけた笑顔でコテージを飛び出した。
…ーーお前を好きになったことに後悔はしてないぞ。
むしろ、それ自体が幸運だった。ありがとうな、みょうじ。
そんな心の声は彼女には届いたのだろうか。
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