狛枝くんの罵りが軽く心に響いた。悪い意味で。
私は「で、願わせてくれる?」と笑うと狛枝くんは「…別に」とだけ言った。ツンデレ、ってことでいいですか。
「退院は何時ぐらいだろうね。日向くん、分かる?」
「ん?あー…俺も伝えられてない。多分、勝手に退院しとけ、って事じゃないか?」
「十神くんらしい。でも、1ヶ月は入院だろうね。早くても」
クスクスと笑い合うと、狛枝くんの「じゃあ」という不機嫌そうな声が重なった。なんで不機嫌そうなのか、なんて分かりっているが。恐らく、凡人である私が日向くんと話していることが嫌なのだろう。
その逆であったら恥ずかしい。だが今更になって、狛枝くんに好意を寄せられても気持ち悪い、と突き放してしまいそうだ。いつもの狛枝くんはどうした、と。
「もう退院するよ、ボク」
「はぁっ!!?」
「な、なに言ってんだよ、狛枝ッ!!?」
あり得ない。冗談だろう、と狛枝くんを見やると狛枝くんは腕の点滴を外そうと格闘していた。左腕がないんじゃ外せない。だが、これで狛枝くんが退院する気満々だという事が分かった。
慌てて狛枝くんをベットに押さえつける。狛枝くんは「ボクの勝手だ」と抵抗したが、日向くんが押さえつけると抵抗は無意味となった。
「…ボクは大丈夫だよ」
「ダ、メ、だ」
日向くんが怒鳴るように諭す。狛枝くんは日向くんの気迫に負けたのか、唸りながらも口を噤んだ。
日向くんはカウンセラーにもなれるだろうけど、保父さんにもなれると思う。イケメンだし、お母様方にも人気が出そうだ。いや、今は関係ないか。
「…もうすぐ点滴は空になるよ。いいと思うんだけど?」
「どうかな?」と問うように付け足す。それには何も言い返せなく、今度は私たちが口を噤む番だった。医療に関してはほとんど分からないため、点滴が空になったら動いていい、という事は分からない。動いてはいけない、という事も分からないのだ。
だが、個人的にも安静にして置かなければいけない、という妙な確信に似たものがあった。
「…ーー点滴は交換に決まってるでしょうっ…絶対安静に決まってるじゃないですかぁっ!!」
叫ぶような大声が耳を劈く。ドアの方を見ると、狛枝くんを射殺すのでは、と思うほどの剣幕で蜜柑ちゃんが睨みつけていた。ズンズンと狛枝くんに近付くと、ポカンとしている狛枝くんの点滴をものすごい速さで取り替えていく。さすが超高校級の保険委員だ。
その間も狛枝くんはポカンとしていて、蜜柑ちゃんが狛枝くんの包帯を変え終わると同時に我に帰ったようだった。
「なッ、ボクは大丈夫ッ、」
「大丈夫じゃありませんッ!!早くても傷が塞がるまでは安静にしていてくださいッ!!」
蜜柑ちゃんは医療に携わる人間なんだ、と改めて思った。それは狛枝くんも感じたのだろう。むっとしながらも黙ってしまった。
「そうだ。蜜柑ちゃん、傷が塞がるまで何週間くらいかな?」
「塞がるまでは3、4週間くらいはかかります…でも完治までは1年半はかかりますぅ…っ」
「そっかぁ…じゃあ退院まではどうなる?」
「…えっとぉ…狛枝さんの才能を含めてみると、早ければ2週間くらいで退院できる、かもしれないですぅ」
「その後のケアは欠かせませんけどぉ」と付け加えと、蜜柑ちゃんはせかせかと部屋を出て行った。霧切さんたちを呼びに行ったのだろう。
「じゃあ傷が塞がるまでのケアは私がやるよ」
「…は?」
「みょうじがやるなら、俺もやるぞ」
「いや、日向くんはいいや」
「何でだ?」と不服そうに日向くんが言った。こちらにも理由がある。
「私がケアとか看病すれば、狛枝くんにとって不運になるでしょ?早く退院するための幸運の布石だよ」
そう自嘲気味に笑うと、日向くんは何か言いたそうに何度か口をパクパクと開いた。狛枝くんも不満そうにこちらを睨んでいる。どちらが先に口を開くのか、と身構えるが、先に口を開いたのは意外にも狛枝くんだった。
「それは嬉しいね。でも、それだと日向くんに悪いから何時間に1度か、それくらいでいいよ」
「なんで日向くんなの。…でもいいわ。分かった。それくらいの頻度で来る」
「…あんまり来なくてもいいけど」
「アンタのためでしょうが。でもまぁ、狛枝くん、」
「なに?」
「苗木くんに怒られてしまえ」
それだけ言うと、狛枝くんは困ったように「あー…」と点滴の管が付いたままの右腕で頬をかいた。少しは素直になれ、狛枝くん。
笑ってやると、狛枝くんに「なにかな。鬱陶しいんだけど」と罵られてしまった。その後すぐに霧切さんたちが来て、狛枝くんに向かって「なに勝手にしようとしてるッ!!?」「絶対安静よ、狛枝くん」と怒鳴っていた。私の仇だ、狛枝くん。
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