教育実習二度目の月曜日は、朝一の教頭先生からの呼び出しで幕を開けた。後半戦の始まりとしては幸先悪いことこの上ない。
気遣いのにじんだ実習生仲間二人の視線に背を押され、職員室の一番上座――広い机の前に直立する。
なんとなく職員室中が固唾をのむ気配が伝わってきて、申し訳ないやらいたたまれないやらだ。
「沢村です、おはようございます!」
「おはようございます沢村先生。実習は順調ですか?」
「はい、おかげさまで」
「それはよかった。ところで」
教頭先生は推定50代の女性で、極道映画などに出ている某大物女優に似ている。つまり目の前に無表情で立たれる迫力というか圧迫感が半端ない。
「1−Aの御幸一也が、あなたと個人的に親しい間柄だというのは本当ですか?」
声を上げずにすんだのは、この質問を一応予測していたおかげだ。
それでもひやりと冷たい汗が背筋を伝う。
落ち着け落ち着け、うろたえるな。全部ばれたわけじゃない。……よな? 誰かそうだと言ってくれ、頼むから。
「昨年の9月から今年の2月まで、家庭教師をしていました」
「そういうことは事前に報告しておいて欲しかったですね」
「申し訳ありません。調査票では、記入が必要なのは血縁関係のある学校関係者の有無ということでしたので」
「実習生とはいえ教師が、個人的なつながりのある生徒のクラスの担当になったのはあまり良いこととは思えませんね」
愁眉はなかなか開かない。
いったいどういうルートでどんな風に教頭先生の耳に入ったのかはわからないけど、これはつまり、俺が御幸を特別扱いするかもしれないと危惧されてるってことでいいんだろうか。
「ですが教頭先生」
「なんです?」
「御幸一也に関してはひいきのしようが無いと思うんですが。入学以来ずっと首席だと聞いていますし、HR代表も立派に務め、生活態度も何も問題ないはずです」
「………まあ確かに申し分のない生徒ではありますね」
しみじみ思う。人生斜めに見てた間も、あいつの成績と素行がよくて本当によかった。普段の行いって大事だなあ。
コホン、と一つ咳払いをして矛先を収めた教頭先生は、最後にしっかりとクギを刺すのを忘れなかった。
「ですが、生徒たちの間で噂になっているようですからね。悪目立ちしないようにしてください。必要以上に親しげな態度を取らないように」
「はい。気をつけます」
幸いにも短いやりとりですんだことで、職員室全体にも心なしかホッとしたような空気が流れた。
周囲の先生達にも頭を下げ、実習生部屋に戻る廊下を歩きながら、思わずついたため息は我ながらヘビー級だ。
(悪目立ちすんな、か)
これはなかなか難しい。あいつはそもそも普通に立ってたり歩いてたりするだけで目立つやつだし、その点普段ならその他大勢に埋没できる俺も、今は教育実習生という、何かにつけて生徒に注目される立場にある。
それはつまり、単に廊下で立ち話してるだけでも人目を引くってことで。
「……まずいよなあ」
あらためて肝に銘じる。
気をつけねぇと。一週目は、なんだかんだいいつつも毎日あいつに会えるのが嬉しくて、ずいぶん気安い態度を取ってしまった気がする。
絶対に人には言えない秘密を抱える身としては、どれだけ用心したってしすぎることはないんだ、きっと。
「沢村先生、おはようございます!」
「ああ、おはような」
すれ違う笑顔の生徒達に挨拶を返しながら、御幸がもう学校に着いているのかどうか少し悩む。下手に連絡して通学の足を止めたくはない。あいつはなにより俺を最優先にしてしまうから。
半年前のことが尾を引いているのか、御幸は俺より自分の方がずっと気持ちが大きいんだと思い込んでいる節がある。んなことねぇのに。
俺だってちゃんと好きだし、我ながら相当だと思うこともよくあるし、絶対あいつに負けてねえ自信はある。
あいつと離れることを考えただけで、自分の中のどこかが冷たくなって死んでいくような気さえする。
それでも。
万が一この関係が公けになってしまったら、俺はその場で教師になるのを諦めるし、二度と御幸に会わない。そう決めている。誰にも、もちろん御幸にも言ったことはないけれど。
全部の責任は俺にあると法律は判断するし、事実その通りだ。俺のせいであいつの未来を閉ざすことを、いくら本人が望んだとしても俺は認めない。
――だからこそ。
「ほんと気をつけねえと、な」
廊下の端でそう呟いたところで、いいタイミングで着信音が鳴った。御幸の『おはよう』だ。ちょうど電車を降りたところらしい。
『……そういうわけで、今日から一生徒としての用事がある時以外は接触禁止な』
ポチポチと苦労して今朝の顛末を送ったら、バカみたいな速さで返事が来た。
『なんで』
『なんでって、なんででもだ。実習生の部屋に来んのもなるべく禁止です』
『異議あり。納得できない。ただでさえ学校でしか会えないのに』
たたみかけるような返信に、文章を打つ指が全然追いつかない。歳か。
『自分がどれだけ目立つか自覚しろよ。万が一にもバレたりこれ以上噂になったりしたら困んだろ? 』
……。返事がないのが逆に怖い。ちょっと言い方がきつかったか?
『あとたった一週間だから。な?』
我ながらご機嫌取りな感じの一文に返信が来たのは、きっかり三分経ってからだった。
『いいよ、わかった』
ふてくされた顔が目の前にいるみたいにはっきり浮かんで、思わず笑っちまう。
ほら、なんだかんだいって御幸は優しいんだ。俺にはもったいないくらいに。
『うん。よろしくな』
『そのかわり終わったら、俺の言うこと全部聞いてもらうから』
「……。ぜ、全部ぅ!?」
思わず叫んだ俺に罪はない。前言撤回だ、優しくない。あいつはやると言ったらやる。
慌てて拒否しようとしたところで、実に見事なタイミングで予鈴が鳴った。くそう、もしや全てが計算済みか。

……どんな顔して教室に行けってんだ、バカ!