久しぶりに御幸の姿を見かけたのは、正門へ向かう途中の並木道だった。
コンビニ帰りらしく手には小さなビニール袋を下げ、並木の一本一本に電飾が飾り付けられていく作業の様子を立ち止まったまま見上げている。当たり前だが今は華やかさのかけらもなく、単調な作業も見ていて楽しいものでもないだろうに、足を止めるほどのなにがあるのか。
と考えかけて、やめた。
理由を一つしか思いつかなかったからだ。
やがて視線に気づいたのか、振り返った御幸が「よお」と手を上げ、もう一度木の上を見上げて眼鏡の奥の目を細めた。
「沢村くん、こういうの好きそうだろ」
ほらやっぱり。御幸一也の世界は沢村栄純を中心に回っている。こいつの身近にいる人間にとっては太陽が毎朝東から昇るのと同じくらいに当たり前のことだ。
「来週からだっけ。いつもより遅くないか?」
「警備の関係らしい。年々人が増えて予算や人手が足りないんだってさ」
「ああ、ゴミの問題とか毎年出るもんなあ」
うちの大学のクリスマスイルミネーションはなかなかの規模で、時期になるとよくデートスポットとして紹介されている。期間中はかなりの人出になるが、学生たちは学年が上がるほど見慣れていくのでわりと冷静だ。
「俺は今年で見納めかもな」
「勤務地、まだわかんねぇの?」
「年が明けてからだってさ。近場だと助かるけどなあ」
俺の春からの就職先は一応全国に支店があるため、二十代のうちはどこに飛ばされるかわからないのがデフォだ。
まあ彼女もいないお気楽な身としてはどこへいってもそれなりに楽しめそうな気もするが、四年間を過ごした土地にはやはり愛着がある。
……なにかとほっとけない後輩もいることだし。 
「そういやこのあいだは沢村くんがお世話さま。教科書類、俺とは殆どかぶらないんだよな」
「そりゃ理学部はな」
次のセリフを一瞬ためらったのは、自分がただの野次馬なんじゃないかという疑念が頭をよぎったからだ。けどすぐに思い直す。それこそ今さらだった。
「余計なお世話だけど、その後進展は?」
「はっは! やっぱ聞いてたか。残念ながらないよ」
「その割には機嫌いいな?」
誰が見てもわかるくらいに上機嫌な御幸一也というのは大変レアだ。沢村と関わってからは喜怒哀楽が前よりストレートに出るようになったものの、あいつがいない場所ではまだまだ無表情だし。
なにがそんなに嬉しいわけ?
「この前、沢村くんに怒られたんだ」
「今度は何したよ」
「研究室の泊まり込みがなくなったのを内緒にしてたのがバレた」
「……それはそれは」
そりゃ怒るだろう。オカン気質の沢村は、研究室に詰めっぱなしの御幸のことを「ちゃんと寝てんすかね」といつも心配していたから。その上理由が自分のためときたら怒らないわけがない。
で、なんでこいつは怒られてそんなに幸せそうなの。マゾなの?
「全部見せろ、ってさ」
「は?」
「余裕のなさもかっこ悪いところも全部見たいって。俺を丸ごと自分によこせ、そういうことだろ?」
「……それ、本人はわかって言ってんの?」
「いや、無自覚。敵わねぇよな?」
蕩けそうな笑みだった。
こいつの顔がいいのは嫌というほど知ってるつもりだった俺でも二度見してしまうほどの。
「俺のこと好きで好きで欲しくてしょうがねぇのに、本人はそんな自分に気づいてなくて戸惑ってんの。かわいすぎて死にそう、毎日」
その目の前の笑顔に、数日前学食で会った後輩の途方に暮れたような顔が重なった。表情は全く違うのに、違和感なくすんなりと。
それを少し不思議に思って、けどすぐにわかった。納得した。
重なるのは目だ。その場にいない相手を見ている熱のこもった目。
『あいつのこと考えると、なんか泣きたくなる』
そう呟いた沢村の目。よこしまな感情など誓って抱いてない俺でさえ胸が騒ぐほど熱っぽく潤んだ瞳は、その場にはいない御幸にまっすぐに向けられていた。
あの時は御幸を超えるのろけっぷりだと思ったけれど、そんなことなかった。
表情も気配も言葉の端々までも、すべてを使ってのろけてくるこの男のほうがよっぽど性質が悪い。沢村と違って自覚たっぷりなあたりが特に。
「でな、そのくせエロいんだよ。ちょっと触っただけでいい声で啼くもんだから、こっちの箍がすぐに外れそうになっちまって、そこはマジで困るんだけどどう思う?」
「いやもう十分だから。胸焼けするから。両方から聞かされる俺の身になってくれ」
「はっはっは!」
爆笑する御幸一也。これも激レア。
行き交う学生たちが足を止めて振り返り、ざわめきが次第に広がっていくのが手に取るようにわかる。本当に人目を集めずにはいられない男だ。
この先もきっとこの二人は周囲を騒がせつつ賑やかに過ごしていくんだろう。自分がもうそれに関わることはなくなるのだと思うとホッとするような、少し寂しいような。
「俺が卒業するまでに落ち着いてくれよ、心置きなく出ていけるように」
「まあ、たぶん?」
文句なく決まったウインクは何気に自信に満ちていた。
100パーセント当たる予言をしよう。
そう遠くないうちに、どれだけ嫌だと言っても死ぬほど甘いのろけを延々と聞かされる日が来るんだろう。独り身には酷なくらいの。
そうしたら俺も、いい笑顔で沢村に赤飯を差し入れてやろうと思う。

きっと今までで一番真っ赤な頬と幸せな笑顔が見られるだろう。