(拍手ログ)みゆき視点




「じいちゃん」

孫の呼びかけにうっすらと目を開いたその人は、ベッドに横たわったままでふわりと口許を緩めた。

「……わざわざ来んでええのに」

そう呟いた声は掠れて細く、けれど柔らかい明るさに満ちている。小さく息を吐いた栄純の手が、俺の指先をコートの下でギュッと握った。

入居していた施設から、この人――栄純の祖父が入院した、と連絡が入ったのは昨夜遅くだった。
風邪をこじらせ肺炎をおこしたこと、命に別状はないこと、病院の場所や面会時間など細々としたことを聞いたあと、すぐに飛び出しそうな栄純を宥めるのはかなり骨の折れる仕事だった。
抱きしめあやしなんとか眠りにつかせたものの、今もその目の下にはくっきりとクマが浮いている。
それも仕方のない話だ。だってこの人は栄純にとって、たった一人残された家族だから。

「熱は?」
「もう平気じゃ。ったく、よってたかって人を老人扱いしよって」
「いや老人だし」

半歩引いた場所で祖父と孫のやり取りを聞いていると、一緒に暮らしていた年月がぼんやり見えてくるようでなんだか嬉しい。
栄純の横顔に明るさが戻ってくるのが見てとれ、密かに胸をなでおろす。その瞬間を測ったかのように祖父と孫のコンビが揃って俺を見上げた。
誰が活けたのか、窓辺のガラスの小瓶に挿した黄色い花が日射しの中で揺れている。
ほんのわずかな沈黙のあと、栄純がこくりと喉を鳴らしてベッドの方に向き直る。つないだ手はそのままに。

「あのさ、じいちゃん」
「うん?」
「こいつ、みゆきっての。今一緒に暮らしてんだ」
「……ほぉ」
「俺、もう一人じゃねえから。じいちゃんもいるし、こいつがいる。大丈夫だから」

だから心配すんなよ。
言外の思いをしっかりと受け止めて、栄純をまっすぐに見つめていたシワの奥の目がゆっくりと俺に向いた。
静かな目だ。真っ黒で深い、栄純とよく似た目。

本当は、もっと早くこの人に会いに来ることもできた。
二人で契約を交わしたあと、栄純は何度もこの人のところに俺を連れてこようとしていた。
二の足を踏んでいたのは俺で、理由は単純だ。栄純の大事な家族に認めてもらえないのが怖かったから。
けど、今はわかる。この人は俺と同じだ。
愛情の種類こそ違えど、俺と同じ側に立つ人。栄純をずっと育ててくれた、一人ぼっちにしないでいてくれた人。

「じいちゃん」

少し悩んで、栄純と同じ呼び方をした。この人は怒らない気がした。

「俺、栄純のこと大好きなんだ」

今の外見からしたら違和感を感じる物言いかもしれない。
けど、これが俺だ。見かけみたいな大人じゃない、栄純に救われた一匹の猫。
さすがにこの場で猫になるわけにはいかないけれど、せめてこの人に嘘はつきたくないと思った。

「一生傍にいる。一人にしないって約束する。だから栄純を俺にください」

俺に言えることはそれだけだ。
栄純の手がもう一度俺の手を握る。はげますように。同時にすがるように。
落ちた沈黙の長さにそろそろ耐えられなくなった頃、ふひゃ、と息が抜ける音みたいな笑い声が聞こえた。
……笑い声、だよな? 今の。

「面食いは血筋かの」
「は? じいちゃん何言って、」
「おまえの父親もそりゃ美形好きでなあ。かくいうわしもじゃが。遺伝とは恐ろしいのぉ栄純」

ひゃひゃひゃ、と笑い続けるじいちゃんを前に栄純と顔を見合わせる。
どう反応していいのかわからずにいると、ようやく笑いの発作がおさまったらしいじいちゃんの手がゆっくりと伸びてきて、俺の右手を握った。
二十歳を過ぎた孫がいるとは思えないくらいの力で。


「たのむ」


低く強い声だった。
隣の栄純の目から透明なしずくが転がり落ちるのが視界の端に見えて、不覚にも胸が詰まって言葉が出てこない。
だからその骨ばった手を返事のかわりに強く握り返す。
かさかさに乾いた手のひらは、栄純の手に負けないくらい温かかった。