その日以降、都合のつく限り花屋に通い、店主の昼寝に便乗するようになった。
なぜこんなに足しげく通っているのかというと、なんの魔法か知らないが、毎晩布団に入ってから一時間は眠れない俺が、あの部屋の畳の上ではものの5分ですとんと意識を失うことに気づいたからだ。
最初は「狭い、邪魔だ」と散々文句を言っていた沢村も三日目あたりからあきらめたらしく、最近では店に行くのが少し遅れたときにも俺のスペースはちゃんと開けてある。律儀だ。

必然的に店に行く時間が昼過ぎにほぼ固定されてきた俺が、その日、その場に居合わせたのは本当に偶然だった。
昼食会を兼ねた取引先との打ち合わせが終わったのがもう夕方で、駐車場に車を入れ、そこから帰社する途中に通りかかった花屋の前に、色鮮やかな赤いランドセルが二つ並んでいるのが目を引いた。
オフィス街とはいえここで生活している人もいるし、もちろん学校もある。それはわかってはいるが、やはり子供の姿を見ること自体が少ないから小さい子はよく目立つ。
花屋のウエルカムボードの足元に置かれた黄色い花の鉢植えの前にしゃがみこみ、額を寄せ合うようにして内緒話をしている女の子二人。三年生か四年生くらいだろうか、と眺めるともなく眺めていたら、他に客がいなかったらしく、小さなじょうろを手にした店主が扉からひょこりと顔を出した。
「おまえら学校帰りか? 早く帰らねぇと家の人が心配するぞ」
そう声をかけた沢村を見上げ、もう一度顔を見合わせた二人がお互いの手をギュッと握りあうのが見えた。やがておさげの子が意を決したように口を開く。
「今日、なっちゃんのお母さんの誕生日なの」
「そっか。そりゃめでたいな」
「なっちゃんのお母さん、お花が大好きなんだ」
つまり一言もしゃべってない子のほうがなっちゃんらしい。手を取り合ったままうつむく二人の少女は、なにも知らない通行人からはそれは可愛らしくみえるだろう。
なんともいえない苦々しさが口の中に広がる。明らかに沢村に『おねだり』をしているくせに言葉にしないところがあざとい。俺なら「財布を持ってきてから言いな、ガキ」ですませるところだが、人がいいこの花屋はきっとこの子達を無視できないだろう。
……という俺の予想はあっさりと裏切られた。
「悪いな小学生、俺は花を売ることでお金をもらって暮らしてるんだ。おまえらのお父さんが会社で働いて給料をもらうのと同じだ。だからタダでやったら生活できなくなんだよ。わかるか?」
かがみこんで合わせた目線に、女の子たちがそれぞれこくりと頷く。それにふわりと微笑んだ花屋がエプロンのポケットから取り出したのは、紺色のリボンだった。夕日を浴びてキラキラ光ってみえるのはラメが入ってるんだろうか、まるで夜空の星みたいだ。
「これはもう長さが足りないから店では使わないやつだ。二人で摘んだ花をこれで束ねてプレゼントしたら、お母さんはすげぇ喜んでくれると思うけどな。どうだ?」
「……うん!」
「あ、くれぐれも川の土手とか道端の花だからな? 公園とか人の家の庭は育ててる人がいるんだから駄目だぞ?」
「はい。おじさんありがとう!」
もらったリボンをひらひら振りながら、女の子たちはランドセルの重さなど存在しないように駆けていく。その背を見送っていた沢村からやがてポロリと漏れた弱々しい一言が、俺の腹筋を直撃した。
「……おじさん?」
駄目だ、我慢できない。
「っ、はは!」
「……御幸!? なんでこんなとこに、てか笑ってんじゃねえ、あんたも同い年だろうが!」
「っは、悪い。でもだっておまえ、この前自分で言ってただろ。人に言われたらショックなんだ? ……っく、」
「……あんた笑い上戸なのか?」
「いや、あれくらいの子供から見たら俺らも四十代も等しくおっさんなんだよ、しかたねぇって。……は、はっはっは!」
「帰れ」
「嫌だね。けどちょっと意外だったな」
「なにが」
「断るとは思わなかった。沢村、子供に甘そうだし」
「見てたのかよ。だって『ちょうだい』『どうぞ』でもらえちまったら教育上よくないだろ。店は買い物をするところだ」
「……へえ」
思わずまじまじと見下ろすと、視線に気づいた沢村がばつが悪そうに目を逸らして「なんだよ」と唇を尖らせる。別にバカにしてるわけじゃない、逆だ。
「いや、俺も全くの同意見だ」
「ケチって言われることもあるけどな」
「そんなの、どうせ通りすがりの無責任な部外者だろ? ほっとけほっとけ」
子供というのは存外に小賢しい。自分たちのかわいさの利用法をよく知っている。そして今みたいな場面では、優しく花を差し出す方が圧倒的に楽だ。花一本の原価なんてしれているし、子供には感謝され、うまくいけば親を通して店の宣伝にもなる。
けど、それが当たり前なんだと思うようになれば、将来的に決してその子供のためにはならない。
「おまえのそういうとこ好きだわ」
不器用で愛想なしで、そしてやっぱり人が好い。
さっきの子たちはきっともうあんな『おねだり』はしないだろうし、自分が摘んだ花を心から喜んでくれる母親の顔を見られるだろう。その花と笑顔はきっと、何の苦労もなく手に入れた美しい薔薇よりも深く心に残るだろう。
魔法使い。
こいつがそう呼ばれる所以は、もしかしたら花屋としての腕のせいだけじゃないのかもしれない。
「……ほめたってなんも出ねぇぞ」
そっけなく呟いて店に入っていく男の背中を、隣のビルに反射した夕日が鮮やかに照らし出す。耳や首筋が赤いのはきっとそのせいだ。
ということにしておいてやろうと思う。