「沢村ー、いるか?」
「……」
また来やがった。
と、口にするよりはっきりとその童顔に書いて、花屋の店主は俺を迎えた。いつものこととはいえ、色とりどりの美しい花が咲き乱れる店内にはその顔はミスマッチだと思う。
「そんな露骨に嫌な顔しなくても。わかった照れ隠しだな?」
「ポジティブすぎんだろ! なんの用だ」
「なにって一応俺、客だからな? 注文に来たんだよ」
「いちいち社長が来る必要がどこに?」
「どんなささいな業務でも全力を注ぐのが社長としてのあるべき姿勢じゃないかと俺は思う」
「単なるサボりじゃねぇか。息抜きならその辺にいい感じのカフェとかあるだろ。綺麗なお姉さんたちもいるだろうが」
「だってここが一番落ち着くし。あ、お茶くれる?」
「休憩所じゃねえし。あ、こら人の話を聞け、勝手に入んじゃねえ!」
もはや敬語など影も形もない店主の苦情を聞き流しつつ、そのまま足を止めずに奥へと進む。ここに来るようになって3回目に知ったことだが、店の奥の作業場のさらに奥、衝立のむこうに休憩室としてしつらえてある四畳半のスペースは、店の外観にそぐわず和室になっている。単純に店主の趣味らしいが、一度上がってしまえば妙に和むというかくつろげる謎の空間だ。
「で、注文とやらはどれだよ」
畳の上に足を伸ばしてくつろぐ俺の前に音を立てて湯呑みが置かれ、苦虫を百匹ほどまとめて噛み潰した顔で沢村が手を差し出す。それでもちゃんと茶が出てくるあたりが少し可笑しい。
「これな。このリスト全部、明日の午前中に会社名義で花を贈っといて欲しいんだけど」
「全部か? この個人宛のもあんたからじゃなく?」
「だって沢村の花束を贈ったらもらった相手は恋に落ちるんだろ? 恐ろしくて女性相手にはおちおち試せないだろそれ」
「そんな人を悪の魔術師みたいに。噂の独り歩きだっつの」
眉を盛大にしかめ、リストを殆ど睨むようにチェックする沢村から聞こえてくるのは舌打ちだけだ。他の客にはぎこちないながらも営業努力を見せるくせに、俺への態度は初回からまったくブレない。
「くそ、明日の仕入れが大変なことになるじゃねぇか」
「上客だろ?あ、請求書も俺がもらって来いって言われたから、明日も来るわ」
「だからなんで社長がそんな仕事してんだっての」
作業台で見積もりを始めた沢村がかまってくれなくなったので、暇にまかせて店内をぐるりと見回す。開かれたチョコレート色のドアに直接刻まれている文字――『fiore』という店の名前はイタリア語で花を意味する。花屋としては比較的よく見かける店名ではある。店の外観や内装、雰囲気にはぴったりとはまっているその名前に俺がなんとなく違和感を覚えてしまうのは、この仏頂面の店主のせいだ。もちろん似合わないわけじゃないが、らしいらしくないで言えばらしくない。
「なあ、この店の名前は自分でつけたのか?」
「ん? いや、俺は普通に沢村生花店にするつもりだったのに、幼なじみにやる気あんのかって怒られてな。つけたのはそいつだよ」
「やっぱり。女の子?」
「一応な。本当はもっとごちゃごちゃ長かったんだけど、面倒だからその中から適当に一語選んだらこうなった」
「……おまえ女にモテないだろ」
「な、なんだよいきなり!」
いきなりもなにも、その幼なじみが烈火のごとく怒るさまが目に浮かぶようだ。一生懸命考えた名前だったろうに。女心のわからないやつめ。
「その子、沢村の彼女?」
「いや、去年結婚したとこ。で、最初に決まったその店名に沿ってこの店の設計をしたのがそいつの旦那で俺の大学時代の先輩だ。建築士でな」
「へえ。いい腕してるな」
「わかんの?」
「仕事上、それなりにいろんな物件を見てきてるしな。動線や作業のしやすさ、何より隠れ家的なコンセプトに沿ってちゃんと細かいところまで計算されてる。いい店にしてもらったな」
「そっか。なら今度酒でもおごっとくか」
緑茶をすする沢村の頬がわかりやすく緩む。喜んでる喜んでる。その先輩も幼なじみも、きっとこいつにとって大事な人間なんだろう。その十分の一でも俺に優しくしてくれても罰は当たらないと思うけどな?
「ほら、そろそろ配達の時間だ。茶ぁ飲んだら帰れよ」
「なんでこんなに落ち着くんだろうなあ、ここ。狭いし何もないのに」
「つくづく人の神経を逆なでする男だな。俺専用の部屋なんだからいいんだよ」
「な、今度俺も昼寝しに来ていい?」
「お断りだ!」
最後には店を追い出される形で終わったその話が実現する機会は、意外に早く訪れた。
前世でどんな善行を積んだのか、「夕方まで自由にしていい」という秘書からのお達しが翌日の昼前に出たからだ。……まあ恐らくは夕方の会議からの逃亡阻止のための飴だと思われる。
いつも「勝手に入んな!」と怒られるので、今日は控え目に入り口のドアの陰からそっと中をのぞいてみた。なのに店主と目が合ったとたん飛んできたのは舌打ちと「ストーカーかよ」という暴言だった。あんまりだ。
「請求書をもらいに来るって昨日言ったろ?」
「だから! 社長自ら来る必要がどこに!」
「細かいことは気にすんな」
「仕事しろよ、それにもう休憩に入る時間だし」
「だから来たんだよ、親切な客だろ?」
「客? …親切?」
「あ、これもらいものなんだけど。ふたば堂の豆大福な」
「……。茶、淹れるわ」
ちょろい。
辛いものよりは甘いもの、洋菓子よりは和菓子、中でも餅系。何度か差し入れをしてみて、こいつの好みはすぐにわかった。全部顔に出るからだ。
一時までの数分をそわそわしながらも律儀に待った沢村は、時間と同時に表に『休憩中』の札をかけた。その間に靴を脱いで当たり前のように畳の上に上りこめば、呆れた顔はされたもののもう何も言われなかった。勝った。
静かな店内に緑茶の芳香がふわりと広がる。小さなちゃぶ台の上に置かれた湯呑みを取れば、顎をくすぐる湯気に頬が緩んだ。
「あんたほんとに働いてんの? あの眼鏡美女が実は社長なんじゃねえの?」
大ぶりな豆大福に食いつきながら、沢村が自分の台詞にうんうんと頷いている。待て、俺には社長になれそうな眼鏡美女の知り合いは一人しかいない。
「礼ちゃんか。あの人が社長だったら今ごろうちの会社は三倍の規模になってるな」
「礼ちゃん?」
「役職上は俺の秘書だけど実際はお目付け役だ。うちの会社で一番有能で一番慕われてて一番怖いのはあの人だよ。親同士が知り合いでガキの頃から縁があってな、俺にとっては永遠に頭の上がらない、少し歳の離れた姉みたいなもんだ。あの人が来たのか?」
「お目付け役ってよりは放蕩社長のお守りだろ。昨日菓子折り持ってあいさつに来てくれたよ、 『社長がいつもご迷惑をおかけしています』って」
「別に迷惑かけてねぇのに。なあ?」
「……真実はいつも一つ、じゃなくて関わった人の数だけあるんだなあ」
小面憎い台詞をしれっと口にしながら、二個目の大福に伸びる手はわずかなためらいもない。口の周りは白い粉だらけだ。子供か。
「そういやあんた、そもそも仕事って何やってんだ?」
「うーん、まあ一番近いのは錬金術師かね」
「はぁ?」
「道端の何の変哲もない小石を見つけ出して磨いて宝石にする。そんな仕事だ」
「意味わかんね」
怪訝な顔をされるのは最もだが、すべての業種が「花を売る仕事です」みたいに分かりやすく説明できると思うなよ?
「まず前提として、うちはそこそこデカい親会社の百パーセント出資の子会社なわけ。だから俺は社長の肩書はあっても実質、その親会社の一部署の部長みたいなもんなんだ。一国一城の主とは程遠い」
「へえ」
「仕事に関して説明しにくいのは、うちの業務はここからここまでです、と言えるような線引きも枠もないんだ。なんにでも手を出すしどこにでも行くし誰とでも会う」
「……?」
「思いきり簡単に言えば、世の中のあらゆる場所に網を広げて『光りそうな石ころ』を拾いだす。人や店や祭りや行事、なんでもだ。それを『磨く』――つまり企画を提案したりバックアップしたりして世の中に広く発信する仕事、かな。売れるなら何でもありだ。そして『宝石』になったものはシステムや人材ごと親会社にそっくりそのまま移譲する」
「ふんふんなるほど。けどそれって、一つ成功すればいいところは全部持っていかれてまたゼロからってことか?」
「その通り。俺らの仕事は拾って磨くところまでだ。価値をさらに高めて高値で売り出すのはあっちの仕事。だから人も仕事も常に流動的だし、結果が全てってことになる」
「……厳しい仕事だな」
「その分やりがいはあるし人脈作りにはもってこいだけどな。この店、というかおまえもその網に引っ掛かって来たんだ」
「んな人を魚みたいに」
「はっは、けど引っかかってくんなきゃ、こんなに近所なのにこの店を知らずに終わってたはずだからな。そんなのもったいねぇだろ?」
「あんたそんなに花好きだっけ?」
「いや、花より店主のほうかな」
「俺?」
「面白ぇし」
「どこが? 普通のおっさんだろ」
理解できない。
そんな顔で首を傾げる自称おっさんの腹の中に、三つ目の豆大福がたった今きれいに消えた。幸せそうなため息を吐き腹をさするようすは確かに少しおっさんっぽいかもしれない。
(さて、)
そろそろか。
ちゃぶ台の上を片付けつつこっそり見上げた時計の針は、午後一時を十分ほど回った所だ。時間はたっぷりある。
「よし、食ったしそろそろ寝るか。なあ、枕は一つしかねぇの?」
「なんであんたが寝る気満々なんだ、請求書持って会社に帰れよ」
「おまえなに言ってんの、俺がわざわざこの時間に来た意味わかってる?」
「断固としてわかりたくねぇよ、帰れ」
「なあ、昼寝って横になってすぐ寝られるもん? 俺、夜もわりと寝つきが悪いんだよな」
「だから人の話を、」
「俺さあ、今日は夕方から親会社の会議で、夜中まで帰れないんだ。お偉いさんにネチネチ重箱の隅までつつかれる時間がずっと続くわけ。ずっとずーっと」
「……」
「だから、な? 頼む」
正面から目を合わせれば、わずかに下がった眉尻の下で大きな目がしぱしぱと瞬く。困ってる困ってる。つけこむようで申し訳ないが、この花屋は口が悪いわりには人が良い。よくこれで自営業がやってられるなと思うくらいには。
「……毛布、一枚しかねぇし」
「半分でいいよ、我慢する」
「なんでそんな上からなんだよ!?」
盛大にため息をついたものの、やっとあきらめたのか、沢村はぶつぶつ文句を言いながら小さなちゃぶ台を部屋の隅に寄せた。枕元にレトロな目覚まし時計を置き、律儀にも毛布を俺の方にもよこし、逆の端を巻き込むようにしてころんと横になり枕に顔を埋める。さすがに枕は半分譲ってくれないらしい。まあ物理的に無理か。
「お高いシャツが皺になっても知らねぇからな」
相当眠かったのか、なんとなく間延びしたようなその台詞を最後にすぐに寝息が聞こえてくる。早すぎだろ。
負けじと空いたスペースに寝ころべば、目を閉じた沢村の顔が想像以上に近い。寝返りを打てば体ごと巻き込んでしまいそうな近さだ。潰さないように気をつけないと。
……静かだ。
表からふんだんに店に差し込む柔らかな陽射しも、引き戸を閉めてしまえばこの和室まではとどかない。すぐ近くに商店街があるとは思えない静謐の中、隣の毛布の塊が規則正しく穏やかに上下する。
今度来るときは俺用の枕を持ってこよう。会社にもらいもののいい茶葉があったはずだから、それも。
店主が聞いたらものすごく嫌な顔をするだろう心づもりを頭の中に書きとめながら、傍で聞こえる静かな寝息に寄り添うように、俺も眠りに落ちていった。
何故か、とても幸せな気持ちで。