「現世に行きたいだと?」

驚いたような顔で私を見上げる隊長に、特段変な事を言っている訳でも無いのに何故か緊張してしまった。任務以外で現世へ赴くなどもう何十年も無かったからこそ、自分の意思で現世へ行きたいと言う私を不思議に思う彼の気持ちは痛い程分かる。

「はい、その通行許可を頂きたくて…で、でも駄目なら良いんです!ただちょっと久しぶりに行ってみたいなあって思いまして」
「別に構わねえが、お前が現世に行きたがるとは珍しいな」

優しい声色の隊長に安堵するも、その後直ぐに聞こえてきた副隊長の茶化すような声に思わず心臓が跳ねた。

「隊長ったら鈍いんだから〜。この子が一人で現世に遊びに行く訳無いじゃないですか。一角とデートしに行くんですよデート!」
「ふ、副隊長なんで知って…!?」
「知らないわよ。でもそれしか無いじゃないの。あんたは分かり易すぎ」

副隊長の言葉に顔に熱が集まるのが分かってしまった。彼女の言う通り、私と一角さんは次の非番を合わせて二人で現世へ出掛ける約束をしていた。行きたい所を考えておけ、という彼の言葉に考えて考え抜いた結果欲張りな自分が顔を出し、久しぶりに現世へ行きたいと言う私の我儘を一角さんはあっさりと承諾してくれた。
確かに分かり易いか、と気恥しさを感じていると隊長の優しい瞳に捕まった。

「久しぶりの現世、斑目と楽しんで来い」

ありがとうございます、と口元を緩めながら言うと隊長はやっぱり優しく笑ってくれた。





現世へ行く当日、久しぶりに入った義骸は意外にも窮屈に感じなかった。技術開発局の技術の進歩に感動しながら先日トミちゃんに着いて来て貰って洋服を取り扱う店で買った花柄のワンピースとカーディガンなるものと睨めっこしていた。

自分でするのもまあまあ様になって来た化粧を施して後はこれを着るだけなのに、どうしても自分に似合う気がしなかった。試着をした際にトミちゃんから絶賛された勢いで買ってしまったが、あまりにも女の子らしさが溢れ出る物を身に纏うのにこんなにも勇気が必要だったとは。

よし、と意気込み袖を通すと柔らかい素材に擽ったさを感じながら姿見に全身を映した。正直似合っているのか自分では分からず、あの人に少しでも可愛いと思って貰える事を祈るばかり。

身支度の最終確認を終えると洋服と一緒に購入したパンプスと言う履物に足を入れて待ち合わせ場所の穿界門へと向かった。





春の色を感じるこの頃は気温も暖かくて、自分で言うのも何だがこの服装は今日の日和にぴったりだった。

「えー!三席めちゃくちゃ可愛い〜!!やっぱりこのワンピースにして正解でしたね!」
「これは一角の奴もっと惚れ込んじゃうわね。本当可愛いわよ名前」

何故か穿界門の前で私を待ち伏せしていた副隊長とトミちゃんは私の身体を頭から足先までまじまじと見やり、これでもかと言う程褒め言葉をくれた。仕事は良いのか、と聞くよりも先にその言葉が嬉しくてありがとうございます、とお礼を口にした。

あ、来た来た、と言う副隊長の声に誘われるように振り返ると洋服に身を包み怪訝な顔をする一角さんと、その横には満足気な顔をしている綾瀬川五席の姿があった。

「…何でテメェらが居んだよ」
「そっちだって弓親連れてるじゃないの」
「僕は名前を見に来たんだよ。へえ、可愛いね。一角はどう思う?」
「俺に振んじゃねえよ」

そう言ってこちらを見る一角さんは全然視線逸らしてくれなくて、恥ずかしさから堪らず私が目を伏せた。やっぱりこんな可愛らし過ぎる洋服は私には似合って無かったかもしれない、と自信の無さから柔らかい素材を握り締めた。

「斑目三席めっちゃ格好良いですね!」
「だろう?僕が選んだんだよ」
「流石です綾瀬川五席!」

トミちゃんと綾瀬川五席の会話に盗み見るように一角さんへ視線を向けると以前着ていた現世の制服というものとは違い、少し余裕のある形なのが見て取れた。
綾瀬川五席の口から出されるスウェット生地やトレーナーと言った横文字ばかりの言葉に頭が追いつかない。それでも一つだけ言えることと言えば。

「格好良い〜」
「えっ?」
「そう思ってるんですよね?」

思ってないと言えば嘘になる。いつもと全然雰囲気が違う一角さんは別人とさえ思えた。正直言うとトミちゃんの言う通り物凄く格好良い。そう思いながら一角さんの全身を改めて見ると、不意に視界に入った彼の腰に在る物に少しだけ固まってしまった。

「え、あんた何で木刀差してるの!?信じられないんだけど」

私が言う前に副隊長が指摘すると一角さんは何が悪い、とでも言うような顔をしていた。隣に居る綾瀬川五席はだよね、と肩を竦めている。

「有り得ないわよね堀池」
「有り得ないです。マジで有り得ないです。何考えてるんですか?」
「何も考えて無いからこんな物持ってくんのよ」
「うるせえな!!こちとら木刀で妥協してやってんだぞ!!」

そう言えば前も一角さんは腰に木刀を差していたような。この口振りからして彼としては本当は斬魄刀を携えたかったのだろう。それを妥協してくれている事に有り難さを感じる私とは打って変わって副隊長とトミちゃんは険しい顔をして一角さんを見ている。

「良いじゃないですか、これで問題無いなら」
「駄目ですよ三席!問題だらけですよ!行きたがってたパフェのお店はこんな木刀差した人入れてくれませんよ!?」
「え、そ、そうなの?」

トミちゃんに現世へ行く、と伝えた際に見せて貰った雑誌に載っていたパフェという果物が沢山乗っている甘味を食べてみたいと思っていた。一角さんが妥協してくれたのなら私も妥協しよう、と彼と目を合わせた瞬間、溜め息をつく姿に緊張感が走った。

「分ァったよ…!!」

それは木刀さえも諦める、と言う意思表示だった。腰に差していた物を綾瀬川五席へ預けてこちらへ歩き出す一角さんに身構えると、行くぞ、と言い横を通り過ぎる彼の後を追った。

「行ってきます…!」

行ってらっしゃい〜、と手を振る三人に頭を下げると二匹の地獄蝶に誘われるまま現世へと繋がる通路を二人で歩いた。





「すみません、木刀まで諦めて貰ってしまって」

あと少しで現世へ着く、という所で沈黙を破ったのは私だった。本当は何からしら手元に武器が無いと落ち着かないのでは、と木刀を手放してくれた一角さんへの申し訳無さが募り自然と謝罪の言葉を口にしていた。私の少し先を歩いていた彼は振り返るなり少し不機嫌そうな顔をしていた。

「すぐ謝んのやめろ」
「だって、」
「持っていかねえって決めたのは俺だ。お前がとやかく言う事じゃ無えだろ」

いつものぶっきらぼうな口調の中の優しさが嬉しかった。それでも私の為に、と思えば思う程に少なからずの罪悪感を感じてしまう。
不意に掬われた手に一角さんを見上げると尚も不機嫌そうな顔の彼の口からは、やっぱり表情と似合っていない言葉が放たれた。

「今日はお前が楽しめさえすりゃそれで良い」

この嬉しさをもっと態度に出せたなら今の可愛らしい格好にも相応しい女性になれただろうに。ありがとうございます、と小さく呟きながら、その大きな手を強く握り返す事しか出来なかった。





久しぶりに降り立った現世は記憶に残っていた物とは大分違って見えた。こんなに高い建物が幾つも建ち並んでいただろうか、と思わずぐるりと空を仰ぐように辺りを見回してしまった。視界に入った落ち着いた様子の一角さんに自分との落差を感じ、恥ずかしさから緩んでいた顔を引き締めた。
更には履きなれないパンプスでは歩くのがぎこち無くなってしまい、いつもならば大股で歩いている一角さんが今は私の速度に合わせて歩いてくれる事に申し訳無さを感じる。

今日はずっとこんな調子で居るつもりなのか、と自分に問い掛けるも私が彼にしてあげられる事など無く。落胆しつつ視線を伏せて足元を見ると、ワンピースの裾が歩く度に波打つさまは何度見ても私には可愛いらし過ぎると感じた。

「おい」

ハッとして視線を上げると眉間の皺がいつもより深い気がする一角さんの顔があった。はい?と返事すると立ち止まる彼につられて足を止めた。

「言いたい事あんなら今の内に言っとけ」
「言いたい事ですか?別に何も、」

そこまで言って考えみると、言いたい事は何も無いけれど聞きたい事は一つだけあった。

「今日の私、どうですか…?」

見送ってくれた三人は褒めてくれたけれど、私が一番感想を聞きたかったのは目の前の恋人からだった。こんな事わざわざ聞くなど野暮だと分かって居るけれど、聞いておかないと後悔する気がした。

「お前は俺に何を期待してんだ」

私の質問に一切表情を変えず、そう言い放つ一角さんに胸が締め付けられた。やっぱりこんな事聞くべきじゃ無かったのだ。彼からしたらこの質問はきっと下らないに違い無い。
堪らず視線を外すと繋いでいた手をぐっと強く引かれ、私の耳元に顔を近付ける彼に一瞬息が止まった。

「可愛いって言って欲しいっつうなら何度でも言ってやるよ。んな当たり前の事、今更言う必要が有るとは思えねえがな」

囁かれた言葉は私を舞い上がらせるには十分過ぎた。一段と低い声に鼓膜を揺らされると鼓動は当たり前に速くなった。ありがとうございます、と消えるような声で言うと、私から顔を離して再び歩き出した一角さんの顔が少しだけ赤くなっている気がした。





「あ、一角さん」

パフェのお店へ向かう道すがら視界に入った建物に足を止めた。トミちゃんから良く話を聞いていたそれは、現世の人間達御用達の物で何でも揃っているらしい。

「見てくださいコンビニですよ!私行ってみたかったんです!」

面倒臭そうな顔の一角さんの手を引いて店内に入るとトミちゃんの言う通り何でも揃っていた。雑誌から日用品から飲食物まで、ずらりと並んだ風景に圧倒された。壁一面に埋め込まれるように並べられた飲み物を見ていると肩を叩かれ、こっち来い、と言う一角さんの後を歩いた。

「どうしたんですか?」
「おい名前、お前知らねえだろ」
「何がですか?」
「この"手にぎりおむすび"の正体だ」
「…………は?」
「こんだけ並べられて、しかも毎日入れ替えてるんだと。信じられるか?弓親とも話してたんだが、やっぱりこいつは裏で得体の知れねえ何か動いてるぜ。お前もそう思うだろ」

何言ってんだろうこの人。偶によく分からない事言うんだよな。
至って真面目な顔で言う一角さんを呆けた顔で見ても、彼は私の意見を聞くまで気が済まない様子だった。

「あー…そうですね。現世にはまだまだ不可解な事が沢山ありますからね。怖いですね」
「何だその何の感情も篭って無えセリフは。馬鹿にしてんのか」
「行きますよー」
「オイ!無視すんな!」

怒った一角さんに苦笑して店を出る時には私の心に曇りは一切無かった。非日常的な今日がまだ終わらない事に心は信じられない程に舞い上がっていた。





目の前に置かれた真っ赤な苺がこれでもかと乗ったパフェは圧巻だった。向かいに座る一角さんは頬杖を付いて顰め面でそれを凝視している。

「何だその凄まじい量の苺は」
「すごいですね…副隊長からカメラ借りてくれば良かった」
「写真なんざに収めねえでも暫く頭から離れねえだろこんなモン」
「そういう問題じゃないですよ」

花が咲いたように盛られた苺が可愛らしくて食べるのが勿体無い。私の伝令神機はカメラ機能が付いてなく、残念な事に画に残す事は出来なかった。

「一角さんは本当にパフェ食べなくて良いんですか?」
「んな量食える気がしねえよ。良いから早く食え」

そう言って紅茶を啜る一角さんがやっぱり普段とは違う人に見えた。死覇装姿でお酒を嗜む彼も好きだけれど、現世の洋服姿で洋食器のカップを手にする一角さんも信じられない位に格好良かった。
見惚れていると不意に視線をこちらへ向けられ、咄嗟に手にしていたフォークで半分に切られた真っ赤な苺を一つ刺して口に入れた。

「一角さん!この苺すっごい甘いですよ!」
「そりゃ良かったな」
「ええ…もっと共感して欲しいんですけど…」
「俺ァ食ってねえんだから共感のしようが無えだろ」
「あ、そうですよね。じゃあ食べてください」

パフェを差し出したのは良いものの、それを食べる術といえば私が手にしているフォークしか無くて。わざわざもう一つ用意して貰うのも気が引けた。

「あ…どうぞ、これ使ってください」

私の使用していた物を使って貰うのに少し躊躇してしまったが仕方無く持ち手を差し出した。それを一瞥して再びこちらを見やる一角さんの姿を不思議に思っていると、その口から発せられる言葉に固まってしまった。

「食わせろ」

え、と間抜けに出た声にそのまま口を半開きにしていると、真っ直ぐ私を射抜く瞳は真剣で冗談では無いのだと分かってしまった。周りにまあまあな人も居て、見られている確信は無いし自意識過剰と分かっているけれど恥ずかしくて堪らなかった。
フォークを強く握り直して震える手で再び苺を刺して腕を伸ばすと一角さんの口元へと運び、大きく開かれた口に収まると安堵して彼の反応を待った。

「どうですか?甘いですよね?」
「分かんねえからもっと寄越せ」
「ええ…」

今の動作をもう一度しなければならない恥ずかしさで消えてしまいそうだった。自分で食べれば良いのに、とは言えずもう一度苺を差し出すとフォークを咥える唇に嫌でも目が行ってしまう。
確かに甘えな、と言う言葉に安堵すると不意にフォークを奪われた事に吃驚してその行く末を目で追う。切られていない一粒の大きな苺を刺してそのまま差し出して来る一角さんに疑問の視線を向けた。

「え、何ですか」
「食え」
「じ、自分で食べます」
「さっさとしろ」

必然的に大きく口を開けないと食べれない事に羞恥を覚え、それでも意を決して大きな苺を咥えると一角さんは満足気な顔をしていた。美味えか、と言う言葉に只頷く事しか出来ず、口角を上げる顔にまた見惚れてしまった。





正直言うと私も最初はこんな量食べ切れるか不安だったが、食べ進めて行くと案外すんなりと胃に収まった。あんなに綺麗に真っ赤な苺や真っ白な生クリームが盛り付けられていた器は空になる寸前で、何だか寂しさを感じてしまう。

「そりゃそうとお前、そんな苺好きだったのか」
「好きですけど特別好きって訳では…」

苺が特別好きかと言われたらそうとは言い切れなかった。それでも数ある種類の中で苺のパフェを選んだのには何となくの理由があるけれど、それは出来れば口にしたく無い。
口篭ってしまった事を誤魔化すように苺って美味しいんですね、と言うと一角さんは怪訝な顔をしていた。

「何か理由があると見た」
「はい?」
「コレを選んだ理由だ。迷わず選んだろお前」

変に鋭いんだよなこの人、と厄介な事になって来た状況に冷や汗が出てきた気がした。視線を一切逸らさず私の言葉を待つ姿に、理由を言わなければ死の果まで問い詰められそうで観念した。

「苺って、赤いじゃないですか」
「あ?それが何だ」
「一角さんの、その、目尻のあか色と重なって…何か、」

食べたくなっちゃったんです。
最後は消えそうな声で、いや実際消えていたかもしれない声量で言うと顔に熱が集まる一方だった。何故こんな事言わなければならないのか、と恥ずかしさから逸らしていた視線を再び一角さんに向けると、彼は少しだけ驚いた顔をしていた。

「お前…んな事ばっか言ってっと襲うぞ」
「な、何言ってんですか!?」

もう、と最後の一口を口にした途端名前、と名前を呼ばれて顔を上げると一角さんの手が伸びて来て、口元を拭われる感触に呆気に取られた。

「お前意外とこういうトコ抜けてるよな」

自身の指先に付いた生クリームを舐める彼の姿に、私の心臓は尸魂界に帰るまで持たない気がした。





太陽が段々と沈んで行くさまに、楽しい時間はあっという間だと改めて知る。
次にこうして一角さんと休みを合わせられるのはいつになるのか、なんてまた欲深い自分が顔を出した。

「もういいのか」

隣を歩く一角さんの問い掛けの意味は他に行きたい場所は無いのか、という物だと推測出来た。行きたい所など挙げればキリが無くて、それでもあと僅かな時間でそれを巡れる筈も無い。瀞霊廷に居る時のように瞬歩も使えないが故に移動時間も掛かってしまう。

「はい、パフェが食べれたので十分です」

私なりに笑顔を作ったつもりだったのに立ち止まった一角さんの顔は晴れなかった。

「もう一度聞くぜ、他に行きてえトコ無えのか」

その顔を見上げると泣きたくなってしまった。本当はもっと一緒に居たくて、色んな所へ出掛けたくて堪らない。
瞼を伏せながら何も言わない私に溜め息をついた一角さんに反応するように再び視線を上げた。

「何で泣きそうなツラすんだお前は」
「…また、来れるのかなって思って。行きたい所沢山ありますけど、一日じゃ足りないなって」

迷惑になると分かっているのに、気が付けば欲望を口にしてしまっていた。

「また来たいです、一角さんと」

そこで視界が完全にぼやけた。ごめんなさい、と言うとふわりと頭に大きな手が乗せられ呆れたような表情の一角さんの顔が近付き、そんな彼の口から発せられる声は優しいものだった。

「お前の為なら休みの一つや二つ作ってやる」

また私は一角さんから欲しい言葉を無条件に貰ってしまった。嬉しくて堪らなくて、それでもやっぱり私はそれを表現する術を知らなかった。
ありがとうございます、と小さく返事すると一角さんはそのまま頭を撫ぜてくれた。

「今日は行けてあと一箇所か。何処が良い」

あと一つ行けるとしたら、とトミちゃんに見せて貰った雑誌を思い返すと、その中で印象的だった物があった。

「観覧車に乗ってみたいです」
「観覧車だァ?」
「箱に乗って空中をぐるーって一周するんです」
「何だそりゃ。もっと分かり易く説明しろ」

確かに我ながら分かり辛い説明にどう補足を加えたら良いのか分からず考えていると、一角さんを名指しで呼ぶ声に二人で振り返った。

「一角さん!?ここで何してんすか!?」

声を掛けて来た少年は明らかに人間だった。そしてその口振りからして一角さんの事を認知しており、彼がここに居る事に驚きを隠せていないようだった。

「テメェこそここで何して、」
「姉ちゃんの買い物に付き合わされてるんすよ!もう連れ回されてしんどいの何の…って、え!?そのお隣に居られる綺麗なお姉さんはどなたですか!?何で仲睦まじく手ェ繋いでるんすか!?」

その言葉に思わず繋いでいた手を離すと、少年は私と一角さんの顔を交互に見ながら尚も驚いた表情をしていた。そんな少年の存在は以前に阿散井君から聞かされた、日番谷先遣隊として一角さんが現世に赴いた時にお世話になった人物と合致する気がした。
一角さんが現世の人間と知り合うなど、それしか考えられなかった。そして少年の口から発せられた"姉ちゃん"という言葉を頭の中で何度も復唱した。

「ももももももしかして一角さんのかかかかか彼女とかじゃ無いですよね…?」

何も言わずに居る私達にどんどん顔が青ざめていく少年は嘘だーー!!と忙しなく感情を顕にし、最終的には何故か涙目になっていた。

「ちくしょう!何でこんなハゲてる人にこんな綺麗な彼女が居るんだよ!はっ!もしかして姉ちゃんと同じハゲフェチですか!?それ以外信じないっすよ俺!」
「テメェ…黙って聞いてりゃ言いたい事言いやがっ、」
「ケイゴーーー!!!」

一角さんの言葉を遮るように聞こえたのは女性の声で、それはこちらへ向けられていた。予想通り少年はそれに反応していて、まずい、と言った表情で振り返っていた。

「あんたこんなか弱い女子に荷物持たせるなんてどういう神経してんだコラ!」
「自分でか弱いって言うなよ!ていうか、どこがか弱いんだよ!か弱いの意味知ってんのかよ!しかもそれ全部オメーの荷物じゃねーか!もう俺の手はキャパオーバーなんだよ!」
「ああん?文句あん…え!?えーー!?」

こちらへ歩いて来る女性は初めこそ少年と話していたのに彼の方へ向けていた視線を不意に一角さんへと移した瞬間、やっぱり驚いた表情をしていた。
私の予想が合っているのなら、この女性はきっと。

「ダーリンじゃない!!!」

怒っていた女性は一角さんを見るなり顔を綻ばせた。その瞳は輝いていて、会いたかった人に会えた喜びに満ちているように見えた。これでもかと言う位に彼の近くまで来た女性に一角さんは距離を取る訳でも無く、只罰が悪そうにしていた。

「えー!なになに!?何でここに居るの!?はっ!もしかして私に会いに来てくれたの!?」

女性の言葉に否定せず何も言わない一角さんに少し苛立つも、彼はきっとこの人に恩を感じているのだと分かった。衣食住お世話になった義理から何も言えないのだろう、と予想した。
そんな女性を凝視していると、やっと私の存在に気が付いた彼女は明から様に顔を歪めた。

「どちら様ですか?」

本当に知りたいのだろうか、と思う位に私への嫌悪感を剥き出しにした彼女は一角さんへ縋るように猫撫で声で問い掛けた。

「ねえダーリンこの人誰?」
「あの!一角さんは、」

恋人を意味する言葉など幾らでもあった。なのに私は何を思ったかこの女性に対抗するように自分でも信じられない言葉を口にしていた。

「私のダーリンです…!」

言った直後に火が吹き出るかと思う位に顔が熱くなった。呼び方が違うだけでこんなにも恥じらいを感じるとは。
それでも顔色一つ変えない女性はふーん、と言い寧ろ自信に溢れた表情をし出した。

「ダーリンと私は一つ屋根の下で生活してましたけど、貴女は一緒に住んでるんですか?」
「住んでは無いですけど、」
「へー、そうなんですか」

同じ人を想う女性と対峙する日が来るとは思わなかった。私は自分に自信など無くて、それでも一角さんはそんな私を愛してるとまで言ってくれたのだ。
退いてはいけない、と自分を奮い立たせた。

「で、でも今この人の隣に居るのは私です!それに一角さんを想う気持ちは、貴女に…誰にも負けません!」

思ったより大きくなった声量に口元を手で押さえた。周りに居る人は多くは無いけれど、どう考えても目立ってしまう私達へ向けられた視線は幾つか感じた。
穴があったら入りたい、と思うも強気な女性の瞳を負けじと見つめ返すと彼女はふう、と息をつき何故か口角を上げた。

「そこまで言われたら退くしか無いわね。引き際を見極めてこそ良い女ってモンよ。行くよケイゴ!この二人の邪魔をしちゃいけないわ!」
「オメーが一番邪魔してたじゃんかよ」
「あ!?何だって!?」

じゃあねー、とあっさり去って行く二人の後ろ姿が視界から消えても尚、私は一角さんへ視線を向けることが出来なかった。それでも私の心は酷く晴れやかだった。因縁の相手に自分の気持ちをちゃんと示せた事への達成感のようなものまで感じていた。
不意に掴まれた手に一角さんを見上げると、そのまま歩き出す彼の顔は良く見えなかった。

「時間無えから行くぞ」

気が付けば辺りはすっかり暗くなっていた。





「すごい…現世の夜景ってこんな綺麗なんだ…」

尸魂界とは違って現世の夜は思っていたよりも幻想的だった。幾つもの眩い光が煌めいていて、その光景に思わず呟いた。そんな私とは違って向かいに座る一角さんは表情を一切変えずに真顔で外へと目を向けていた。

盗み見たその横顔があまりにも格好良くて、二人だけの静かな空間に心臓の音が響いてしまいそうだった。今乗っているこの箱が一周してしまえば今日の逢瀬は終わりを告げるだろう。
時間が止まれば良いのに、なんてまるで恋愛小説の台詞のような事を心の中で呟いた。

「あの、一角さん、」

窓に向けていた身体を正面に戻して一角さんを呼ぶと、彼はちゃんと顔をこちらへ向けてくれた。その鋭い瞳に射抜かれると緊張してしまい目を伏せながらも、心に仕舞っていた感謝を口にした。

「今日は凄く楽しかったです。ありがとうございました」

そう言葉にすると二人きりの時間が本当に終わってしまうのだ、と再認識してしまった。この先も一緒に居られるのだから悲しむ必要など無いのに、この非日常的な一日が終わってしまうのが寂しくて堪らない。

「名前、こっち来い」

伏せていた視線を上げると手を差し出す一角さんに一瞬戸惑うも、その大きな手に自分の手を重ねた。引かれた手にゆっくりと腰を上げ彼の隣に座ると、近くにある顔に恥ずかしさを感じて外を見る振りをした。それでも直ぐに頬に添えられた手に顔の角度を変えられ、見つめ合った後自然と触れた唇はなかなか離れなかった。
やっと離れた唇には熱が宿り、胸を締め付ける切なさから一角さんの洋服を握った。

「こ、これ外から見えないですかね」
「雰囲気ぶち壊すな」

すみません、と笑いながら見つめ返すとその目は至って真面目だった。

「今日の一角さん、凄く格好良いから他の女性(ひと)に取られないか冷や冷やしました」

冗談めいた言葉だけれど紛れも無い本心だった。
一角さんをダーリンと呼ぶあの女性然り、現世の他の人間の女性にも好意を寄せられてしまったらどうしようかと気が気じゃ無かった。

「そりゃこっちのセリフだ」
「え?一角さんも不安になる事あるんですか?」
「揶揄うな」
「揶揄ってません」
「ま、お前は誰よりも俺を想ってるらしいからなァ。そこは安心だ」
「あ!馬鹿にしてますね!?」

してねえよ、と笑う顔がやっぱり好きで堪らなくて、降口に着くまでに、と逸るこの気持ちを今一度言葉にするのは今の私には容易かった。

「そうですよ。私が一番、一角さんの事好きなんですから」

あともう少しだけこの甘い時間を過ごせる幸せを、今は只々ひたすらに噛み締めた。刹那、後頭部を包む手の平に寄せられてした口付けはさっきよりも深かった。




リクエストして下さった憂璢さんへ



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