酒の所為か、行為が終わると私達は二人して裸のまま布団に入ったら直ぐ眠りに就いてしまった。電子書簡が届いたことを報せる短い電子音に目を覚まして働かない頭と身体を起こした。視線の先にあった窓の外はすっかり明るくなっていて、朝を迎えたことを知らせていた。
傍にある筋肉を纏った身体から離れ、布団から這い出して取り敢えず畳に腰を下ろしたまま、死覇装の上着に袖を通した。伝令神機を開くと電子書簡の差出人の名前に目を見張った。もう何十年も登録してあるけれど、この先私からも彼からも連絡を取るようなことは無いと思っていたのに。
元恋人からの書簡はやはり昨晩彼が提案して来た飲みの誘いだった。
【明後日都合どうだ?仕事終わってからでも良いからさ。檜佐木と他の奴らも行けるって】
明後日のことを寝起きの頭で考えてみても予定は仕事以外入っていない。この書面通りならば檜佐木君や他の同期も来るのだろう。今すぐに返事をするのは容易いけれど、少しだけ躊躇ってしまった。
あとで返事しよう、と閉じる前に手中にあった伝令神機は気が付けば取り上げられ、いつの間にか私の横に立つ一角さんの手へと移っていた。
「一角さん、」
私の声に反応せず画面から視線を外さない顔は至って真顔だった。いつものように眉間に皺が寄っている訳でも無く、ただ書簡の内容を読んでいる姿に私の心臓の音は何故か速くなっていた。
「行くのか」
「え、あ、いや…」
行かない、と直ぐに返事が出来なかった。別に行かなくても良いけれど、久しぶりに同期に会えるのは少し嬉しいと思ってしまったから。しかし元恋人の彼が居る席に行くべきでは無いのは十分に分かっていた。
「…行かない方が良いですよね」
行かない方が良いに決まっているのに、一角さんに問いかけてしまった私は馬鹿だった。それでもこの人に行くな、と言われたら直ぐに断りの連絡を入れるつもりだった。
「お前の好きにしろ」
冷めたような目で見下ろす一角さんは、まるで私を突き放すような口振りで言い放った。そう言って私に伝令神機を差し出す彼から力無く受け取ると、分かりました、と小さく返事した。
立ち上がり袴に足を入れ、腰紐を結ぶ間も私の心臓は締め付けられるような感覚に襲われていた。本当は引き止めて欲しかった、などと言えば面倒な女以外の何者でも無くなってしまう。
「あの、」
洗面所から戻ってきた一角さんに声を掛けると、尚も真顔の彼の視線から逃れるように目を合わさず言葉を続けた。
「本当に、行っても良いんですか?」
そう口にした瞬間、私は完全に面倒臭い女になってしまっていた。
私の言葉を聞くと溜め息をつく一角さんに掌を握り締めた。何を言われるのかが怖くて、それでもやっぱり引き止めてくれるのを期待してしまう自分が居た。
「行くなっつったら行かねえのか」
「はい」
「あの元恋人とやらは、どうせお前に会いたがってんだろ」
床に向けていた視線を一角さんへ向けるとその表情は何一つ変わっていなかった。どうしてそんなことを言うのか、なんて責められる立場では無い。私がちゃんと行かない、と口にすれば済んだ話だった。それでもそんな台詞を言われる筋合いは無いと思わざるを得なかった。
「そんなこと書いてないじゃないですか。それに、そうだとしてもただの同期ですよ。他の人も居るんですから」
「だったらわざわざ俺に聞くんじゃねえよ。自分で決めりゃ良いだろ」
「そりゃあ同期には会いたいですし、行きたいと言えば行きたいです。でも一角さんが嫌なら行きません」
どんどん自分の嫌な部分が露呈してくさまに、唇を噛み締めそうになってしまった。それを堪え、こちらへ近付いてくる一角さんを見上げると、その口から放たれた言葉は予想していたものでは無かった。
「過去の男の話が尽きねえなお前は」
"過去の男"とは他に誰を指しているのか、先日まで悩まされていた松平なのか、それとも志波隊長なのか。自分でも心当たりはあったけれど、今話している元恋人の彼は私に好意を向けてる訳でも、私が彼に好意を向けてる訳でも無い。
それなのに、そんなことをわざわざ口にする一角さんへの感情は気が付けば言葉にしてしまっていた。
「最低です」
吐き捨てた言葉を聞いても尚、表情を一切変えない一角さんに遂に唇を噛み締め、そのまま彼の部屋を後にした。
◇◇◇
その日の終業間際、執務室へ赴くとあっけらかんとした顔で瀞霊廷通信を手にしている檜佐木君に勝手に苛立ってしまった。
「檜佐木くんの所為だから」
相も変わらず副隊長と向かい合うように座る彼の横を通り過ぎ、隊長へ報告書を差し出すと後ろから上げられた声は驚いている様子だった。
「何だよいきなり!」
「檜佐木君が余計なこと言うから、」
一角さんと喧嘩になっちゃった、と言いたかったのだが、どう考えても檜佐木君の所為などでは無い。隊長へ向けていた顔を檜佐木君へやると彼はやっぱり驚いた表情をしていた。私があの時きっぱりと行かない、と言えていたらこんな事態はなっていないと自分が一番分かっていた。
「また一角と喧嘩したのね」
「またって何ですか!?そんなにしてないです!」
「元彼のことで喧嘩したの?」
「話聞いてます副隊長!?」
おい、と言う隊長に向き直り、確認印が押された報告書を受け取ると罰が悪くなり、すみませんありがとうございます、と消えそうな声で謝罪とお礼を一遍に口にした。
「良いからちょっと座んなさいよ」
「まだ仕事中なので戻ります」
「駄目よ!仕事なんてあとで良いから!」
「松本…俺が居ること分かってんだろうな…?」
「隊長!これは名前の危機ですよ!?」
「お前みたいなのが副隊長ってことの方が隊の危機だ」
堪らず立ち上がり私の手を引く副隊長の隣に腰を下ろすと、今朝のことを思い出して涙が込み上げそうになってしまった。あんなこと言うつもりじゃ無かったのに、後悔してもし切れなかった。
「口滑らせちまったのは悪かったけどよ、斑目は別に怒ってなかったろ?」
「そうだけど、」
「じゃあ何で喧嘩になるんだよ」
「檜佐木君にも来たでしょ!?同期での飲みの誘いの電子書簡!」
私の問い掛けに何も返事をせず固まってしまった檜佐木君を不審に思い、来たでしょ?と再度問い掛けると彼は眉間に皺を寄せ始めた。
「電子書簡?」
今度は私が固まってしまった。今朝間違い無く届いた書簡は檜佐木君も行けると記されていた。伝令神機を取り出して画面を見せても、やっぱり目の前の彼は険しい顔をして否定の意を示した。
「いや来てねえな」
「あらら〜。あの爽やかボーイずる賢いわね」
「まさか行くって返事したのか?」
「断ったけど…」
今朝、自室に着くなり私は直ぐに行けない旨の返事をした。誘ってくれた彼に申し訳無さを感じるも一角さんのことを考えると、やはり行く気にはなれなかった。
それでも出来れば信じたく無かった。あの人は嘘をつくような人では無いと思っていたから。
そして一角さんの言っていたことは少なからず合っていた。彼は私と二人きりで会おうとしていたのだ。
「最低なのは私だ…!」
「何か珍しいな」
「…何が?」
「あいつと付き合ってた頃とか志波隊長の時と比べたら今のお前は嫌に感情的っつーか、」
感情的になっているつもりは無かった。それこそ志波隊長の時は毎日のように泣いていた訳で、あの時の方が感情的になっていた気もする。しかし檜佐木君の言う通り一角さんとお付き合いを始めてからの私は間違い無く何かある度に一喜一憂していて、それを表に出すことは確実に増えていた。
「そりゃそうよ。この子一角にベタ惚れなんだから」
ね、と言う副隊長はとても嬉しそうで、その言葉を否定するなど今の私には不可能だった。
◇◇◇
仲直りなどしようと思えば出来るのだけれど罰の悪さとあの冷めた瞳を思い出してしまい、あれから二日経った今日も隊舎から真っ直ぐ自室へ戻ってきてしまった。いきなり十一番隊隊舎もしくは彼の部屋に押し掛けて帰れ、などと言われてしまったら、と豊かな想像力が邪魔していた。
そんなの言い訳に過ぎず、取り敢えず電子書簡でも送ってみようかと思い居間に入って懐へ手をやるも、お目当てのものは仕舞われていなかった。
「あれ、詰所に忘れたのかな」
まあまあ大きな独り言を呟いたあと玄関の戸を開けた瞬間、目の前に立ちはだかる人影に吃驚して肩が跳ねた。何故霊圧に気が付かなかったのか、と自分の集中力が如何に散漫しているのが嫌でも分かった。
「い、一角さん」
ただ私を見下ろす一角さんに息を呑み、やっぱり少し冷たい印象の瞳に後退ると腕を掴まれた。
「行くな」
え、と小さく声を出した瞬間腕を引かれ、気が付けば固い胸板と逞しい腕の中に収められていた。抱き締められる力が思ったよりもずっと強くて、それでも一角さんの匂いと温もりに包まれる感覚に酷く愛おしさを感じてしまう。
「一角さん、苦しい、です、」
尚も力を緩めてくれない一角さんの大きな手に後頭部を押さえ付けられ、胸板に強く当てた耳に彼の鼓動なのか私自身の鼓動なのか分からない心臓の音が嫌という程耳に伝わった。
「絶対ェ行かせねえからな」
あまりにも彼らしく無い言葉に目を見開いた。こんなこと言わせるつもりなど無かったのに。身体は強く抱き締められて痛みさえ感じているのに私を元恋人の元へ行かせまい、とする一角さんの言葉に胸が高鳴った。
少し緩んだ腕の力に私も自分の腕を彼の背中に回すと、再び込められた力に瞼を閉じた。
「行きませんよ。とっくに断りました」
そう言って少しの間を置いたあと、ゆっくりと離れた身体に顔を見上げた。一角さんの顔はいつもの眉間に皺を寄せた表情なのに、感情を表に出してくれているような気がして安心してしまった。
「こんな時間にどこ行くんだよ」
「詰所に伝令神機忘れてしまったみたいで、取りに行こうかと」
「紛らわしいことすんな」
「してないですよ…」
頬に添えられた手に自然と近付く唇と唇が触れ合い、身体が浮く感覚に陥った。この人のことが心の底から好きなのだと嫌でも自覚してしまう。
離れた唇に視線を上げると先の檜佐木君とのやり取りを思い出し、申し訳無さで押し潰されそうだった。
「あの、ごめんなさい。あの時行かないってはっきり言えば良かったのに、」
「お前が謝ることじゃ無えだろ。俺が悪かった」
「一角さんは悪くないです。優柔不断な私が悪いんです」
「何ですぐ変な意地張るんだよお前は」
呆れた顔の一角さんが可笑しくて笑うと、今度は優しく抱き締めてくれる彼の腕か逃れようとするも、やっぱりその力には敵わなかった。
「一角さん私詰所に戻りたいんですけど」
「馬鹿野郎、少しは空気読め」
「ええ…」
諦めて広い背中に腕を回すと改めて感じてしまった。これまでもこの先も、この人以上に好きになれる人が現れることなど無いのだろうと。
確かに在る温もりを逃すまい、と今度は私が一角さんを強く抱き締めた。