恋人が救護詰所にて数日間療養しなくてはならない事態になったというのに、私は少し喜んでしまった。これを本人に言えば怒鳴られそうで絶対に口にはしなかったが、四番隊隊士の私としては彼と顔を合わす頻度が格段に上がることが嬉しかったのだ。
「あれまあ、大変でしたねえ」
「大変と思ってねえだろお前」
寝台の上の斑目三席は物凄く不機嫌そうだった。きっとここに泊まらなくてはならない、ということだけでも不服だろうに大好きな戦いに出れないことが何よりの不満なのだろう。
虚討伐に出向いた斑目三席はその毒により右足が一時的に麻痺してしまったらしく、それを聞いた時は物凄く心配したというのに彼は私に疑念を抱いてるようだ。
「思ってますよ。凄く心配したんですから」
「じゃあもっと俺を労れ」
「何して欲しいんですか?」
「酒でも持って来い」
「駄目でーす。そんな物ここには持ち込めませーん。ワガママ言わないでくださーい」
私の言葉に青筋を立てる斑目三席は上半身を起こし、こちらに睨みを効かせた視線を送ってきた。そんなのに屈する程小心者ではないし、酒なんて持ってきたら卯ノ花隊長にどんなお叱りを受けるか、そっちの方が想像するだけで恐ろしい。
彼には同情するが、ここを出るまで我慢して貰わねば。
「失礼しまーす。名前さーん、伊江村三席が呼んでますよ」
病室の入り口から顔を出す荻堂君の口から伊江村三席の名前が出たことに驚き、勢い良く振り返る。あの人が私を呼ぶ時は大抵怒っているから。
「えっ、やべ、サボってることバレた?」
「いやサボってることはとっくにバレてます。用があるから呼んでるんですよ」
「バレてるの!?誤魔化しておいてよ!」
「嫌ですよォ、僕が怒られるじゃないですか」
しまったやらかした、と斑目三席に向き直り、また来ますね!と言い残して荻堂君と共に伊江村三席の元へと向かうべく廊下を歩くと、隣の彼は私に何か言いたげな顔をしていた。
「名前さんって、斑目三席と付き合ってるんですか?」
「えっ!?何いきなり!?今聞くこと!?」
「そんな反応されたら答え聞くまでも無いですね」
「いやいや、ちょっと待ちたまえよ荻堂君。私はまだ何も言ってないでしょ」
「いつから付き合ってるんですか?」
「ちょっと!?話聞いてる!?」
そんな話をしていたらいつの間にか伊江村三席の元に着いていたらしく、案の定うるさい!と怒られてしまった。そしてサボっていたことも咎められ、私への用という名の薬品保管室の薬品の補充を命じられた。
面倒臭さを感じつつも仰せつかった仕事を真面目に全うする中で、斑目三席の顔が浮かんだ。傷の手当てぐらいなら、いつものように私に任せて貰えただろうが今の彼のお世話を任せて貰える程の技量も地位も持ち合わせていない。
ふう、と息をつきながらがら終業後またお見舞いに行こう、と気持ちを切り替えて仕事に取り組んだ。
◇◇◇
「凄いですね!右足動かないのにその虚倒しちゃうなんて」
斑目三席の居る病室から聞こえてきたのは何とも可愛らしい声だった。この声の主は確かこの間席官入りをしたばかりの女の子だった気がする。
美人でスタイルも良く優秀な為、何故四番隊に居るのかと皆不思議がっていたような。斑目三席のことは彼女に任されたのか、と胸の辺りが締め付けるられる感覚に陥る。
私は彼女が羨ましくて、それでいて嫉妬してるんだ、と嫌でも自覚した。
今入るのは気が進まず、彼女が出てくる気配も感じられないことから今日はこのまま帰ろう、と少し悲しい気持ちになりながら詰所を後にした。
◇◇◇
「何で昨日来なかったんだよ」
翌朝、始業前に詰所に着くように行き、斑目三席の病室に入ると昨日と変わらず不機嫌そうな顔の彼に文句を言われてしまった。
「えっと、タイミングが…」
「仕事終えりゃタイミングも何も無えだろ」
「分かってないですねえ斑目三席。私にだって色々事情があるんですよ」
何の事情だ、と聞く斑目三席に何と返せば良いのか分からず言葉が詰まる。あの子が居たから、なんて言えば、だから何だ、と更に聞き返されそうだ。別に気にせず入れば良かったのかもしれないが、見た目も中身も優れている彼女の隣に立つのが嫌だった、という私のエゴだ。
「もう、そんなに私に会いたかったんですか?」
誤魔化す為に茶化した言葉を投げかけると斑目三席は眉間の皺を深くし、予想外の反応を示した。
「そりゃ顔ぐらい見てえと思うだろ」
揶揄ったつもりなのに至って真面目な顔と声で言う彼に心臓は当然の如く高鳴った。嬉しくて堪らず、それでいて恥ずかしくなってしまう。
感情を隠すように変顔をするとアホ面すんな、と呆れられてしまった。
不意に耳に響いた戸を叩く音に振り返ると入り口が開き、そこから綺麗な顔が覗き込んだ。
「失礼しまーす。斑目三席、おはようございます!」
昨日病室の外から聞いていた声の主だった。
彼女は私と目が合うなり動きを止め、一瞬真顔になるも直ぐに再び笑顔を浮かべた。
「名字さんじゃないですか。おはようございます」
「お、おはようございます…!」
「斑目三席のお見舞いですか?噂通り、二人って仲良いんですね」
いやいや、と笑いながら自分でも顔が引き攣っているのが分かった。全身を見せた彼女はやっぱり死覇装の上からでも分かるぐらいスタイル抜群で、同じ空間に居ることさえいたたまれない。
「あっ、私お邪魔になっちゃうので失礼します。じゃあ斑目三席また」
出来るだけ笑顔を作り斑目三席を振り返るも、彼はやっぱり不機嫌そうだった。そそくさと病室を出ると、苦しくなる胸に気付かないようにするのが今の私には精一杯だった。
◇◇◇
その日の終業後、時間を置いてタイミングを見計らい、斑目三席の病室へ向かいながら今度こそちゃんと笑って話せるように、と顔の筋肉を解すように頬を揉みながら廊下を歩くと聞こえてきた声に立ち止まった。
「斑目三席って彼女居ると思う?私狙えるかなって思ってるんだけど」
彼を任されている彼女の声だった。聞いてはいけない話だと直感で気付き、それでも聞き耳を立ててしまう。
「えー?なんで斑目三席?ああいうのが好みなの?」
「いや、全然好みじゃないけどさ。三席の彼女って肩書きが欲しいだけ」
「うわ怖いわ〜。でもあんたならすぐ落とせるんじゃない?」
もう一人の声は彼女の友達だろうか、と考えると同時に耳を塞ぎたくなった。そりゃあ女性は地位の高い人に憧れるものだが、その願望を叶える為に彼に近付いて欲しく無かった。
今日は随分と気持ちが辛くなる日だ。これ以上聞きたく無いのに、尚も話す彼女達の声が鼓膜を揺らし続けた。
「そうかな?でもあの人、名字さんと仲良いじゃん?付き合ってるって噂もあるし」
「いや無いでしょ。あの人綺麗系が好きそうじゃん。スタイルも良い子が好みだよ絶対」
確かに、と笑う声に悲しくなるも、それは私も以前思っていたことだった。それでも斑目三席が私を好きになってくれた事実に変わりは無い。
彼の言葉だけを信じ、他人に何を言われようが構わない、と心構えようとしたけど、やっぱり悲しさは拭えそうに無かった。
「…確かに綺麗な人の方が良いよなあ」
「良いワケ無えだろ」
消えそうな声で呟いた台詞に返すような言葉が聞こえ、驚きながら振り向くと、朝と変わらず不機嫌そうな顔をしてながら松葉杖を脇に挟んでいる斑目三席の姿があった。
「斑目三席…!何でここに、」
「便所行って戻ろうとしたらお前が突っ立ってっからよ 」
「こ、声掛けてくださいよ」
私の声に反応せず松葉杖を使って歩き出す斑目三席を慌てて引き止めようとするも、彼の歩く速度は思ったよりも速く、まずい、と思った時には曲がり角で話し込んでいた彼女達に気付かれてしまった。
「あっ、斑目三席!大丈夫ですか?お手伝いしましょうか?」
彼女は幸い私の存在には気付いていないようで胸を撫で下ろす。それも束の間、首だけを振り返る斑目三席に身構えた。
「テメェの気遣いは無用だ。おい名前!さっさとこっち来い!」
何故事を荒立てるのか、と頭を抱えつつ彼の元まで早足で行くと、彼女達の顔を見れないまま再び歩き出した斑目三席の後ろを追った。
◇◇◇
松葉杖で歩くというのは結構な労力を使うというのに斑目三席は息ひとつ上げていなかった。
寧ろ早足で後ろを付いて歩いていた私のほうが少し息が乱れている。
寝台に腰掛ける斑目三席を眺めながら松葉杖を受け取ると、尚も不機嫌そうな彼に頑張って笑顔を向けた。
「松葉杖使うのお上手ですね」
「何だそりゃ。他にもっと振る話題あんだろ」
「えー?そう言われましても…」
私の言葉に溜め息をつく斑目三席にムッとしながら松葉杖を立て掛けると、先の二人の会話が頭を巡った。そして怖い顔をする彼に段々と不安が募っていく。
「ごめんなさい」
「何で謝んだよ」
「だって斑目三席、怖い顔してるから」
きっと先の彼女達の会話を聞いていたのだろう。矛先が私に向いてないと分かっていたけど、怒った所で何か解決する訳でも無し。久しぶりに二人きりになれた空間をあんな人達の所為で無駄にしたくなった。
不意に手を引かれ斑目三席の隣に腰掛けると、久しぶりに距離が縮まった顔に心臓が跳ねた。
「お前、腹立てることあんのか?」
「そりゃありますよ。でもそれは意味がある時だけです。あんな人達に腹立てても仕方無いじゃないですか」
そう言うとやっと柔らかい表情をする斑目三席に嬉しさが込み上げた。二人だけなのを良いことに彼の肩へ頭を預けると、私の肩へ逞しい腕が回った。
「早く隊に戻れると良いですね」
「まあ、ここに居ても退屈だしな」
「でしょうね」
ふふ、と笑うと斑目三席は私を覗き込むように顔を近付け、それに応えるように顔を傾けて自然と瞼を閉じた。久しぶりに触れた唇の感触に身体が浮くような感覚になる。
惜しむように離れた唇に瞼を開けると、すぐ目の前にある斑目三席の瞳を見つめ返した。
「お前に毎日会えんのは悪かねえがよ」
「そうですよねえ。斑目三席は寂しがり屋さんですからねえ」
「調子乗ってんじゃねえぞオイ」
思わず笑うと再び触れた唇に驚くも、すぐにまた瞼を閉じた。愛おしさが募るこの瞬間に、もう少し彼がこの隊に居てくれても良いな、と思わざるを得なかった。