嫁がいる。
中学時代からの同級生で、いっつも危なっかしい。

「あ、蔵ちゃん……」

 買い物帰りなのだろう。両手に沢山食料品の入ったビニール袋を抱えていた。片方はネギが突き刺さっている。
ここまではいい。別にこれだけなら俺が両方引ったくって持てばいいのだ。
しかし嫁は、ただでさえ重たい荷物を小さい手に一つにまとめ、あろうことか俺に手を振ってきたのだ。
そりゃかわいい。嫁バカかもしれないが本当にかわいい。
だけどそんな、重たいの一気に持ったら絶対腕折れる。
もう走るしかなかった。そんなわざわざ持たなくていいし待てばいい。別に俺はそのまんまあんな風に吹かれたらどっかふらふらしそうな嫁に、荷物を持たせっきりにしない。スーツで走りづらいのに、だとか、髪型崩れるな、とか、気にする暇もなかった。どうせそれだけのことだ。
嫁のところまで追いつくと、嫁は大きく目を開き、ぱちぱちとさせた。中学の頃よりか大人になったな、と思う。見た目だけなら、メイクも覚えたし、なんというか、垢抜けた。かといって、頼りなさげな空気や、警戒心が薄いところはまったく変わっちゃいないのだが。

「一緒に帰ろ」

 やっぱり学生の頃に比べると、運動する量は確実に減った。体力は落ちたかもしれない。だけど、嫁を守れないぐらいには落ちぶれちゃいない。

「蔵ちゃん、帰んの早いわ」

 嫁はステレオタイプ化された関西人に反して、ゆっくりのんびりと話す。小学校までは京都に住んでいたらしいし、実際、実家の方は京都だった。ご両親は京都に住んでいるので月に何度か会いに行ったり、会いに来てくれたりもする。わりと良い関係だとは思う。少なくとも、俺はあの家が好きだ。

「せっかくはよ帰ってきたんやから嬉しがってや」

「嬉しいのは当然やん。蔵ちゃん走ってきてくれたんやし」


 頭一つ分くらい小さい嫁は真顔で俺を見上げて言った。嫁のこういうところも好きだ。惜しげもなく恥ずかしがらずにかわいいことを言う。同時に心臓に悪くもあるのだが。
嫁の淡い色をした髪を撫でて、勝手に荷物を引ったくる。やっぱりこの量は女性に持たせるわけにはいかない。絶対重い。その証拠に、嫁の手のひらに赤いビニールの痕がついていた。

「そんな二つもええよ。どっちか頂戴」

「駄目。重い。重すぎる」

「一個でええから!蔵ちゃんどっちか!」

嫁は珍しく子どもみたく駄々をこねた。いつものおっとりした様子が崩れている。一体どうしたというのか。嫁が上目遣いにじっとりと俺を見上げる。

「じゃあこっちな」

俺が困ったように笑うと、嫁は花でも咲くように目を輝かせた。もちろん渡した袋は軽い方だ。本当は持たせたくもないが。
―――そんなことを思っていたら、空いた片手に小さなやわっこい温度が絡みついた。付け根の辺りに、金属の感触がする、嫁もまた指輪をつけていると考えたら、嬉しくなった。忘れていたような、毎日が発見。

「今日、夕飯なんやと思う?」

目隠しをするように、嫁はこそばゆそうに笑った。自分から大胆に動くくせに恥ずかしがるから度胸があるのかないのか分からない。

「ネギ入ってたから……鍋?」

「まだ夏やん。ネギは使いませーん。特売やっただけでーす」

くすくすと声をあげて目を細める姿が、なぜだかひどく美しく思えた。ポリエチレンの環境に悪いビニールも、刺さった緑色のネギも、不格好に束ねた良い香りのする髪も、すべてが、愛おしくて、守りたくて、誰にも渡せやしない。大げさかもしれないけれど、俺の世界の軸は、嫁が握っている。喧嘩をしたら悲しいし、それこそ俺の心内環境が破壊されてしまう。
だから、俺の嫁はすごい。こんなに頼りないというのに、いるだけで台風となるのだ。

「じゅう、きゅう、はち、なな、」

嫁はゆっくりと数を数えた。俺がなにを思っているのか、どれだけ心を乱されているかも知らないで。ああずるい。

「ろく、ご、……はい蔵ちゃん脱落ー。試合終了ー」

「え、あと五秒は?」

「あるとは限らんやろ。甘いで蔵ちゃん。もう試合終了。諦めたら試合終了言うし」

なんて勝手なんだ。やれやれ、と肩をすくめてみると、嫁は得意げそうに鼻高々だった。心なしか歩き方が浮いているようにも思える。ふらふらしていて本当危なっかしい。ああもう転ぶぞ。

「……あほっ」

繋いでいた、もう包帯の巻かれていない腕を引っ張ると、華奢な体はあっさりと引き寄せられる。下の方にゆるく結んだ髪がふわり、と揺れて、少しだけ甘さと生活の混ざった匂いがした。磁石みたいだと思った。

「石で転ぶってあほか」

「ご、ごめん」

 申し訳なさそう、というよりかは驚いた様子を嫁は見せた。時間差すぎる。今から足元にある石に気がつくなんてどれだけとろいのだ。だから可愛いのだけれど。それを可愛いですませてしまう自分も大概甘いのだろうなあ、と、思いながら、繋いだ手に力をいれた。
 あいしてるなんて甘ったるい言葉からは程遠い日常なんだろうけど、ふと、なにかを感じてしまう時がある。それがなんなのかははっきりしないのだけれど、きっと、この世界をひっくるめて俺は彼女を好きになってしまった。愛してしまった。
なんとなくこんなことを思ってしまう自分を恥ずかしく思いつつ、嫁の方をちらり、と覗いた。目は合わないだろうと思ったら、嫁はなんと、俺をじいっと、それこそ、凝視していたのだ。少し後ずさると、嫁は不思議そうに唇を開いた。

「蔵ちゃんさあ、最近、え、」

一瞬くちごもったかと思えば、彼女は盛大なくしゃみをした。そんな可愛らしいものではなく、おっさんみたく「ぶえっくしょい」とドスのきいた声でくしゃみをした。くしゃみくらい可愛くしてくれたってええのに、ああ、でもやっぱりかわええな、そう思ってしまう自分の可愛い、の基準は、おかしいかもしれないけれど。
俺はなんだかおかしくなり、つい堪えきれずに笑った。

「そ、そんな笑わなくても……!」

「波平みたいなくしゃみされたら笑うしかないやろ」

目尻が痛くなるのを感じながら、照れたように頬を染めた嫁を見て、思う。幸せなのだと。
- ナノ -