不思議な夢を見た。薄墨の張ったような、もやりとしたフィルターの重ねられた、雪に沈み込む夢。つめたかったのだろうか。雪の中は死にそうなくらいに冷たいのだろうか。夢の中で死ぬのを覚悟して瞼を閉じるなんて、馬鹿馬鹿しいけれど。それでもわたしはそんな馬鹿馬鹿しい夢で汗をかきながら起きた。ベッドは少しだけ跳ねて、ああ、よかった、雪じゃない、と陳腐に安心する。ただでさえ中学の頃から成長のしていない胸が張り裂けるところじゃない、どうしてくれるの、と不満をたらたらにしたかったけれど、夢は本人の願望というはなしを思い出して結局わたしが悪いんじゃない、と落ち込む。
落ち込むのもなんだかなあ、と張り裂けかけた胸の空白を埋めるように隣で眠る彼の緩くウェーブのかかった髪に触れた。ああ、変わらないな、って思いながら単純なわたしは安心して、また、こわいくらいに綺麗だった一面に広がる白銀を思い出して泣きたくなるのだ。わたしは、この人と一緒に死ねないのかしら、なんて。
こころがいたい、学生の頃口癖のようにしていた言葉を思い出す。今の方がこころがいたいわ、畜生。阿保で馬鹿な幼いわたしに届かないけれど吐いてみる。
昔から幸福だな、と思う。けれど心の奥で幸福が信じきれないわたしがいる。中学の頃のせいちゃんの病気がそうだ。ずっとなんていうものはない。せいちゃんはずっと近くに居てくれるわけじゃなかった。他の男子とつきあって別れてを繰り返す馬鹿なわたしを責めることなんてなくただただせいちゃんは隣にいてくれた。そのせいちゃん、という場所が無くなりかけたのだ。その時からわたしは永遠なんて無いことを知った。ずっとなんてありえないのだ。せいちゃんがずっと隣にいてくれるわけじゃない。死んじゃう、死んじゃうのだ。もし生きていたとしても、いままでのような関係が続くとも思えない。他の子とせいちゃんがつきあってしまうかもしれない。そう思うといやだった。自分が色んな男子を取っ替え引っ替えしているのを棚に上げているのも承知だけど、それは嫌だったのだ。それでもなんやかんや紆余曲折あって幼馴染という一見して安全にみえる、ようで地盤が不安定な関係から夫婦という関係になっている。世の中出来すぎてるよなあ、とか、幸せなんだなって思う。
幸福すぎるのは罪なのだろうか。じゃあ不幸せはいいことなのだろうか。わからないなあ。悶々と悩んでみると、もぞり、と華奢なようで逞しい体が布団越しに動く。どうしよう、起こしちゃったかな、無意識に頬が歪む。

「おはよう」

寝ぼけ眼でぼんやりとわたしに朝一番に目を合わせてくれる夫がいるだなんて、わたしは幸せ者だな、と思う、と同時に、夜はまだ、更けて行く途中で、巻き込んじゃったな、と申し訳なくなった。

「起こしちゃった?」

「だいじょうぶ」

「眠そうじゃん」

「おまえがおきてるんだったら、つきあう」

かっこつけてんなあ、口調はおぼつかないのに。本当はせいちゃんが夜更かしが苦手なことをわたしは知っている。朝だって寝起きが悪いのだ。学生時代は朝練ばっかりやっていたのに、こんなにも寝起きが悪いとは思わなかった。なかなか起きれないし起きても機嫌が悪そうにする。なのにこんな時でもつきあうとか、やめときゃいいのに、頑張って瞼を開こうとするせいちゃんの背中を緩やかに叩いた。ねーんねーん、こーろりーよ、おーころーりよー、祖母の家で聴いた子守唄を口元だけで声も出さずに歌ってみる。逆にわたしが眠くなるかな、とも思ったけどそんなでもなかったし、わたしはもう少し起きていたかったので眠りかけるせいちゃんの悪あがきを観察してみる。寝ちゃえ、寝ちゃえばいいじゃん。にやにやしながら見つめていると、突然、生温かい体温を感じる。せいちゃんの長い腕が肩の辺りに回されていて、胸元にまさぐられたごつごつとした手はセクハラと判断すべきなのか。

「すけべ」

「あいかわらずちっちゃいね」

「じゃあ大きくしてくれたらよかったじゃん」

子どもの頃からのくせで唇を尖らせてみせるとへにゃり、とせいちゃんは笑った。
そういえば、せいちゃんのことを「幸村」って呼んでた時期があったな、と思い出す。懐かしい。あの頃のわたしは最低だったな、とちょっとだけ笑ってみせて。

「どうした?」

興味を持ったように尋ねるせいちゃんの声はとても低くなった。中学の頃は女性のように高かったのでまさかこんなおじさんみたいな声になっちゃうなんてあの頃は思いもしなかった。声変わりっておそろしい。それでもせいちゃんの声は他の男性に比べたら高い方だけれど。
もうおっさんなのかなあ、ぼんやりと考えてはみる。わたしもおばさんなのだろうか。まだギリギリお姉さんでもいけると思い込みたいけど年波には勝てそうもない。

「思い出し笑い」

「思い出し笑いするやつってどすけべなんだって」

そろそろ口調がはっきりとしてきてわたしは彼を完全に起こしてしまったようだった。じとり、と睨んだような視線してみると、せいちゃんは素知らぬ顔をして無理矢理わたしをせいちゃんの方へ向けた。

「すっぴんだ」

「そりゃそうだよ寝るんだから」

「そうなの?」

妹がいるくせにせいちゃんはそういうことに疎い。世の中の女性の不思議を彼は千分の一も理解していない。女性のメイクというものはまぼろしの顔にも近くて、それはすっぴんとは別人なのだ。わたしのようで、わたしじゃない。そう考えるとせいちゃんは二人もわたしを手玉にとっているんだろうか。

「すっぴんのがかわいいけどね」

そんな台詞他の女にも吐き出してたら嫌だなあ、なんて思いながら絶望をしてみせる。嬉しさと絶望は紙一重だ。

「わたし、夢見てさ、それで起きたの」

夢なんて知ったこっちゃないであろうせいちゃんに話すのは気が引けたけれど、なんとなく不安なので話してみる。すると、せいちゃんは驚くような言葉を発した。

「俺も変な夢を見たよ。お前が雪に埋まってるの」

わたしは目を丸くして、あっけらかんとしたせいちゃんを見つめる。

「それ、わたしの見た夢だよ」

「……まじで?」

「おおまじ」

「シンクロニシティ」

この世界は不思議で出来ている。女だけじゃなくて男だってよくわからない。酸素だとか二酸化炭素だとかそんなのも意味はなくて、結局は不思議でしかない。

「ねえせいちゃん」

わたしはさあ、ひとりじゃなくてせいちゃんとうまりたかったな。
そろそろ眠たくなってきて瞼が落ち始めるのを感じる。せいちゃんは仕方がなさそうに笑って言うのだ。

「しかたがないからおれもいっしょにうまってあげるよ」

これって心中みたいだね、って呟くとせいちゃんは小さく頷いてくれて嬉しいなあ、と思った。年甲斐もなくわたしは少女にでも返ったように幸せになる。これは狂っているのかもしれない、どこかで警鐘が響くのを感じる。それでも引き返す気にはなれなくて、小指に赤い糸でも巻きつけるように繋いだ。
- ナノ -