けんかとごはん



 よく煮込んだカレーを、だれかのために温めなおす時間が好きだ。くつくつと音を立てる鍋の中に、じゃがいもと、お肉と、ちいさめに切ったにんじん。だって、あんまり大きく切ると嫌がるから。中辛のルーはみんなの妥協点で、なんだか気持ちが溶けあったみたいですこしうれしい。そんな穏やかさがゆるく流れる、午後七時半のコンロの前。


「いい加減にしてください。ここの家主オレですよ」
「なーあー、なー聞いて瑠璃、千冬がさあー」
「ったく、一虎クンほんとチクってばっかじゃないすか」


 あーでもないこーでもない、そんなけんかをしながら駆けこんできたふたりのせいで、ちいさなキッチンに騒がしさがひろがる。千冬が千冬が、と私に告げ口をしようとする一虎と、大きくため息をついて、呆れたようすを隠せない千冬。やれやれと肩をすくめると、「うわ、カレーうまそう」と一虎の声がきこえた。マイペースなやつめ。


「そのうまそうなカレーだけど、けんかやめないと食べさせないよ」
「えー! だって千冬がさあ」
「元はといえば一虎クンが」
「あーもう、けんかやめないと! ごはん抜きです!」


 ぐっとふたりが揃って口をつぐむ。……まあ、だいたい一虎がわるいんだけど、ここでどちらかの味方をするのは得策じゃない。話を聞いて千冬の味方をしてしまえば、一虎はへそを曲げてどうしようもなくなってしまうから。あとで、一虎がシャワーを浴びているときにでも、千冬にあやまって訳を聞こう。


「……はい、わかればよろしい。ごはんの用意しよ。一虎はスプーンだして、千冬はお茶入れてくれる?」
「へーい」
「はーい」


 一虎はみんなで買いに行ったスプーンを雑につかみとって、それをこれまた雑に敷いたランチマットの上にぽんぽんと置いていく。たぶん、あとで千冬が黙って直すんだろうなあ。そうこうしているうちに麦茶がそそがれる音がして、これはめずらしく一虎がちゃんと沸かしてくれたもの。飲むたびに感謝を求められるのが、すこし面倒で、でもやっぱりかなりかわいいかもしれない。


「瑠璃、オレ大盛りね」
「わかったー。千冬は?」
「んー、ふつうぐらいで」
「はーい、了解」


 カレーをていねいによそうと、白いお皿からほわほわと湯気がたちのぼる。ちいさくお腹が鳴いた。そっと食卓に持っていくと、黙ってランチマットの方向を直す千冬が目に入って、「今日の麦茶もオレがわかしたやつだから、のこさず飲めよ」なんて一虎が得意げに言うから、つい笑いがこぼれる。


「なに笑ってんの」
「ううん、なんでも。一虎、麦茶ありがとうね」


 三人で食卓を囲んで、手をあわせて、ばらばらの声を重ねていられる。こんなあたりまえが続いていることが、とびきりしあわせだと思った。



◇ ◇ ◇




 一虎、千冬、そして私。三人の関係をことばにするのはすこし難しい。けれどあえて言うのならば、私と一虎、そして私と千冬、と重なったかたちで交際をしているような仲だった。これまで何度も揉めてしまったし、でもたくさん話し合って、そうしていまは三人でひとつ屋根のしたに暮らしている。
 

「ちふゆー! かずとらー! おきてー」


 さわやかな休日の朝、寝室のとびらを開けはなって声をかけると、私もさっきまで寝ていた大きなベッドからごそごそと衣ずれの音がきこえてくる。会社員の私はお休みでも、ペットショップ店員のふたりは仕事がある。私も仕事の日はこうはいかないけれど、休みなら時間にゆとりもあってお昼寝だってできるから、朝早くからすこし豪華な朝ごはんを用意するようにしていて。サンドイッチやらコーヒーやらが並んだテーブルを見遣ってからまた声をかければ、「んー」と間の抜けた返事をひびかせながら、まず一虎が起きてきた。


「……はよ」
「おはよ、一虎。……機嫌わるい?」
「わるい」


 失礼ながら一虎は朝によわそうにみえるのに、今までしてきた生活の影響かわりと早起き癖がついているし、だから朝にも強いほうだ。けれど今日はとくべつ機嫌が悪そうで、「どうしたの」と問いかければ、がばりと抱きつかれて体重をかけられる。重たさによろめくと、「なんでおれがあとなの」とちいさなつぶやきが聞こえた。


「え?」
「千冬、一虎、って。オレ先に呼ばれたかったんだけど」


 胸の奥がきゅんと音を立てて、ぱちんとなにかが弾けたみたいにゆっくりあたたかくなる。すねたような声やためいきまで、かわいい。つい笑ってしまえば「なんだよ」と腕の力が強められるから、「やめてよー」と笑いを滲ませて腕を叩いて、笑いがうつった一虎がまたぎゅうと抱きしめてきて──そんなじゃれあいは「なにしてんすか、朝から」なんてもうひとりの声でぴたりと止んだ。


「また瑠璃さんのこと困らせてんですか、一虎くん」
「またってなんだよまたって」
「おはよ、千冬」
「おはようございます」
「いーよなー千冬は。さきに呼んでもらえてんだから」
「なんの話すか」
「は? オマエせっかく瑠璃によばれてんのに聞いてなかったのかよ、ありえねー」
「意味わかんねえ言いがかりつけんのやめてください」
「もー、けんかしないの!」
「いまのは一虎クンが悪いでしょ」
「オレのせいにすんなよなー」


 相変わらずこまごまと言い争いをつづけるふたりを、はやく止めてあげないといけないのはわかっているけれど。なんだかおもしろくて、こんな時間も悪くないかなって、そのにぎやかさを味わうみたいに黙りこむ。
 さわがしく、けれどあたたかく、私たちの毎日は過ぎていく。いびつに見えて、私たちはじょうずな三角形を保っていると思うのだ。一虎と千冬のけんかはなくならないけれど、ふたりだって本当はすごく大切に想いあっているのがわかるから。ほわほわと湯気を立てるスープが視界のはしに映って、これが冷めてしまうまでには、みんなで食卓につけますように、と。こっそり願いながら、だいすきなふたりを眺めていた。




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