そのまなざしは毒にも似ている

 扉の奥から響く歓談や、ああでもないこうでもないと思い悩むような声を聞きながら、ひとつ大きくため息をついた。「男子禁制よ、大人しくここで待ってなさい」なんて釘崎に言われて、“彼女”の着替えが終わるまで部屋の前で待たされている。……どうしてこうなった。


 ――時は数刻前に遡る。

 戦意を喪失したファミリーの一員を捕らえた、連れ帰って重要参考人として聞き取りを行う。そんな名目でパーティー会場から彼女を連れ出して、ファミリーの本拠地に戻って……早速。直属の上司である五条さんは「この子の面倒、恵が見てね」と、さも当たり前のように言い付けてきた。


「なんで俺が」
「恵が拾ってきたんでしょ〜」


 ごもっともだ、と口を噤むしかなかった。そんな俺に構わず、薄汚れたジャケットを肩に掛けたまま俯く彼女を一瞥してから、「で、名前は?」と五条さんはこちらを見る。


「知りません、本人に訊いてください」
「え、ここまで一緒に帰ってきたのに? まあそっか、恵って女の子と話すの慣れてないもんね」
「……殴りますよ」


 必要がないと思っただけだ。本当に。そんな思いも込めて睨むも、五条さんは軽く笑って受け流す。相手にするだけ無駄だろうと溜息をつきながら、「名前、教えてくれる?」と五条さんが彼女に尋ねるのを黙りこくって聞いていた。


「……胡桃です」


 か細い声で紡がれた名前をなんとなく記憶して、それから「見張りって、具体的に何をすれば」と口を開くと、「んー、まぁ言葉通りに監視だね」と五条さんは言う。


「完全に無害だと決まった訳じゃないでしょ。何を仕出かすか定かじゃない胡桃を見張って、必要な情報を引き出しながら、怪しい動きをすれば殺す。それが恵の役目だよ」


 殺す、その言い草に反応するように彼女がびくついたのが分かった。一種の牽制としてわざと出したのであろう言葉に、過剰に反応してみせるのは演技だろうか。――この世界では人を信用してはならなくて、一つの油断で大勢が死ぬ。痛い程に経験してきた事だ。けれど疑心はかたちだけで、膨らましてみてもすぐに萎んでいく。心の底が、彼女が何か仕出かすとは到底思ってはくれない。苛つくが心に嘘はつけなくて、それを五条さんにも見透かされているような気もして居心地が悪かった。


「……でも、なんで俺が。五条さんの手が空かないのは理解出来ますけど、もっと適任がいるでしょ」
「上だよ、上。敵対ファミリーの一員を抱き込むなんて上が黙ってないし、ましてやそれを下っ端に任せてちゃ何言われるか分かったもんじゃない。その点、僕は上層部にも顔が利く。で、恵はそんな僕の腹心」


 ね? なんて茶目っ気たっぷりに言ってみせる五条さんから、わざとらしく視線を外した。言っている事は分かる。ファミリー内部でも緩い対立はあって、情報を持っているかもしれない彼女を手放すのはきっと、五条さんも多少なりとも惜しいと思うはずだ。上手く匿いながらこの部署に置いておくためには、俺という立場の見張りがベストなのだろう。それは分かるし、信頼されているのだって、分かるが。納得出来るかは別問題だ。


「気に入らないって顔してるね」
「……まあ」
「でもそうやって僕たちの庇護下に置かないと、身の安全だって保障出来ないよ。胡桃みたいな人間がどんな目に遭うか、恵だって知らないわけじゃないよね」


 拷問か、と心の中で呟く。このファミリーは穏健派ではあるが、それは他の過激派ファミリーと比べての話だ。マフィアの世界には変わりない。幹部である父親の影響でずっとここに居た俺には、五条さんの言う通り彼女の行く末が簡単に想像できた。


「自分勝手は最後まで通しなよ。他でもない恵が、殺されないようにしてあげればいい。恵のことだから、殺すのは寝覚めが悪いとかそんな理由なんでしょ?」
「……はあ」
「図星?」


 言い返す気も起きず「そんなとこですよ」と適当に返す。……とはいえ、だ。彼女をこうして殺さずに済んでいるのは、ひとえにこの人のお陰だ。俺一人の権限ではどうにもならなかっただろう。それだけ心の中でひっそり感謝して、けれど揶揄われている身としては口に出すのは癪で、何も言わないでおいた。


「それじゃ、恵がお世話係に決定したわけだし。ボディチェックやら着替えやらやっとかないとね」
「は? 世話係じゃないですよ」
「ムキになっちゃってー。あぁ大丈夫、着替えとかその辺は野薔薇あたり呼んで任せるから」
「……わかってます」
「またまたー、ちょっと期待したでしょ?」


 マジで付き合い切れねえ。


 そうして、今に至る。……それにしても、遅え。当然のごとく身支度中に部屋には入れない、かといって見張り役として離れるわけにもいかなくて。暫く廊下に突っ立ったまま、タブレットで報告書を作成していた。それももう終わりそうなのに、なっかなか出て来やがらねえ。
 こういう時に急かすのはタブーだと分かりつつも、痺れを切らして一声掛けてしまおうとした、その時。ドアがガチャリと音を立てた。まず出てきた釘崎が、俺を見るなり意外そうに目を見開く。


「え、伏黒ずっとここにいたわけ?」
「……んだよその言い方、離れるわけにいかねえだろ」
「だってアンタ、長いこと待たされてたら『まだか』『早くしろ』みたいな、無神経〜なこと言ってきそうじゃない」
「言わねえよ」


 危うく声を掛けそうになっていた、そんな事実を胸の奥底に押し込める。この罪悪感に免じて、釘崎の下手クソな物真似には突っ込まないことにしておいた。……そして。「ふぅん、そう」と悪びれもせずに部屋を出てきた釘崎に続くように、身支度を整えた彼女が現れた。


「じゃーん! どうよ!」
「……どうって、別に」


 あの場所で見た彼女とは、見違えるようだと素直に思った。あちこちの煤けた汚れを落として、髪はきちんと整えられて。隠された傷はきっと、手当てが済まされているのだろう。シンプルなワンピースに身を包み、どこか上品な雰囲気までもを纏う彼女と――視線がかち合う。瞬間、ずんと心臓が重くなるような心地がして、居た堪れなくなって目を逸らした。


「は〜アンタねぇ、褒め言葉のひとつもないわけ?」
「うるせえ。必要ねえと思っただけだ」
「うわ……こんな奴と過ごす胡桃さんが可哀想でならないわ」


 眉間に皺を寄せてみせる釘崎に苛立ちはしたが、これ以上話すのもまた無駄だと思った。幸い釘崎もそう思ったのか、「じゃ、私は任務あるから行くわ。アンタが動けない分の埋め合わせの」なんて絶妙に刺さる嫌味を吐いて、「胡桃さん、なんかされたら呼んでくださいよ、すぐ」と彼女にも言い残して。彼女の「ありがとう」に頷いてから、表情を歪ませる俺の方を見もせずに、長い廊下を歩き去っていった。


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