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ハンジは怒号の響く団長室前で立ち止まった。
「この変態上司!!どこ触ってんだ!!帰ってきたら覚えとけよ!!」
「ははは、楽しみにしてるよ」
エルヴィンののんびりとした声と共に、扉が勢い良く開き、中から荒々しい足取りでなまえが飛び出してくる。
彼女はハンジを一瞥すらせず、地鳴りでも聞こえそうな大股で通り過ぎてゆく。
その背中を見送って、上司と向き直ると、想像はつくが一応問うた。
「エルヴィン…なまえに何したのさ」
「支部へ書類の配送を頼んだだけだ」
平然と言い放つ横顔は生き生きしている。
ほんと厄介な男だ。
執務テーブルを眺めれば、傍に置かれた紅茶が湯気を立てていることからして、恐らく茶を出す為近付いた副官にまたしょうもない悪戯を仕掛けたのだろう。
「今までの副官にそんなことしなかったよね。なんでなまえに限ってああなのさ。君に構って貰って喜ぶタイプの女じゃないだろ」
その権力だか地位だか容姿だか英雄然とした佇まいだか知らないが、調査兵団内外問わず彼に憧れる連中は多い。
彼直属の部下でも上司に惚れた素振りを見せる女を何人も見てきた。
私欲か純粋な尊敬からの思いかは興味もない。
だが少なくともなまえも最初は彼を信奉する中の一人だった筈だ。
そんな彼女をわざと失望させるようなことをする彼の意図が読めなかった。
今までだって女達の自分への好意を利用し、欲の捌け口に使ったり、手のひらで転がして来たはずだ。
彼がお堅い顔に似合わず冗談好きなのは知っているが、彼女に対しては些かやり過ぎな気がする。
「だからこそだよ」
ハンジは上司が新たな趣向でも見出したのかと呆れ肩をすくめた。
「なに?若い女と張り合う趣味でもあったの?」
「はは、それも悪くないがね。私が欲しいのは私が死んでも揺らがず、遺された者を引っ張っていける副官だ」
尤もらしい回答にますます眉を顰める。
「だったら別にあんな茶化さなくても良くない?私は別に面白いからいいけどさ」
「その方がよく働くからそうしたまでの事。彼女は負けず嫌いで反骨心や挫折を踏み台にするタイプだからな。大人しい忠犬である必要性はない」
「なるほどね…」
やはり彼はあくまで団長であったことに安堵した。
確かに媚びてくる部下を彼はよしとしないだろう。
人材育成の一環と言うなら度の過ぎたスキンシップも、自分が捕らえた思い通りにならない巨人たちに愛しさの余りちょっかいを掛けてしまう気持ちと同じと思えば納得出来る。
ハンジはすっきりした思いで本来の目的である報告書を提出し、部屋を下がる。
執務机に背を向けた時、何か嫌な予感がし、横目で上司を一瞥した。
にたり、という音が聞こえてきそうな程邪悪な笑みがそこにあった。
「まあ、個人的にはじゃじゃ馬が私に屈する様を想像するとそそられるものがあるが」
扉を閉める前に聞こえた呟きは気のせいではないだろう。
「ごめん余計なこと言ったかも…」
自分の発言が彼を余計に焚き付けたかもしれない。
せめてもの償いとして、ハンジは誰もいない廊下でなまえに小さく謝った。
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