長編 | ナノ

 3

任務の中でもなまえが特に苦手で嫌悪しているのがパーティーだ。

常に資金不足の調査兵団は支援者の出資が命綱と言っても過言ではない。

だからこそ社交場に幹部が顔を出し挨拶することも重要な仕事には変わりないのだが、表面だけ上等な服で着飾り自分の立場の保身だけの安っぽい世辞を吐く人間たちにはいい加減うんざりしていた。






ドアを恭しく開けた御者に軽く礼を言い馬車を降りたエルヴィンはその手をパートナーに伸ばした。

御者の手前、なまえは渋々手を重ねる。
長身に屈強な肉体、そして兵士らしくない端正な容貌もあいまって、上司はそこらの貴族よりよっぽど正装を着こなしていた。

既に門の前に立つ娘たちの目を惹いているのに辟易しながら、上司の隣に並ぶよう気を付ける。
普段は後ろを随行するばかりだが、こういう場で兵士くささを出すと野暮だと思われるからだ。

「ドレス、似合っているよ」

彫刻のような微笑みで見下ろされても最早嫌味か皮肉である。
参加者に聞こえない程度の声で憎まれ口を叩く。

「お世辞は結構。私はこんな格好大嫌いですし」

「パーティーの後でよければ脱がす手伝いならいくらでもしよう」

「遠慮、し、ま、す!!!」

磨かれた革靴をヒールで踏んでやろうとして、上手く避けられる。
早くも消化不良の苛立ちが蓄積し始めた。

「なまえ、今日は私から離れるなよ」

「そういう台詞は貴族のご令嬢に言ってください」

なまえはエルヴィンがエスコートしようとした手を振り払うと、さっさと会場へ足を進めた。







最初の方こそ不本意ながら二人で支援者達に挨拶回りをしていたものの、エルヴィンがご令嬢に囲まれ始めるとなまえは彼から離れ壁の花と化した。

絹のドレスに身を包んだ花盛りの娘達の中心で上司は営業用の朗らかな笑みを振りまいている。
この光景は最早毎度のことなので気にしない。
溶ける様な甘い台詞を吐いているであろう会話術もさることながら、手や腰にべたべた触れようとする令嬢をさりげなく引き剥がすのがやたら上手い。

垂らしめと心の中で吐き捨てる。
私の事は頼んでもいないのにべたべた触ってくる癖に、何を考えているのかよくわからない人だ。
彼のそういうところが嫌いな一因でもあった。

会場の中でも異彩を放つ上司達を目の端で監視しつつ、全体を眺める。
ホールには優雅な曲が響き始めた。

普段より参加者は多いものの、とりわけ今日は昔から親しくしている支援者が主催ということもあり、彼女も幾分か気が抜け、場は和やかに移ろっていた。

「お嬢さん、私と一曲いかがですか」

ふいに声がした方を見れば、好青年が自分に掌を差し出していた。
なんとか記憶を手繰り寄せる。
確か彼は支援者の親戚だ。

「…ダンスは苦手なもので。お許しください」

なまえは持てる全ての愛想を振りまいて遠慮した。
エルヴィンの副官になった際付け焼き刃でワルツを覚えたものの、とても人前で見せられるものではない。
極力踊りたくはなかった。

「それは残念だ。では一杯いかがです?」

青年はあっさり引き下がり代わりにウエイターを呼びつけ赤ワインのグラスを手にする。

本来はパーティーとは言え仕事中に無闇矢鱈に酒に口を付けるものではないし特に気は進まなかったが、長年の贔屓の間柄もあり、何よりダンスの誘いを断った引け目からそれを受け取る。

青年は立ち去る気配もなく、彼女は形式上ワインを一口飲み込んだ。
数秒後、ぐらりと視界が歪む。

「え…?」

先程までの爽やかな笑みとは一転、怪しく口角を釣り上げた男の背後遠くに、金の後ろ姿を見たところで、なまえの意識は途絶えた。





次に目が覚めたのは見知らぬ部屋だった。

体が脱力して眩暈がする。
辛うじて動く目だけで辺りを見渡す。

室内の装飾が似通っているからパーティー会場の付属施設である可能性は大きい。
微かに扉から漏れる楽器の音は恐らくホールの上のホテルだからだろう。

「チッ、目ェ覚ましやがった」

「あ、なた…!」

なまえの足元に腰掛けていた男はゆっくりと勿体ぶって彼女に歩み寄る。

それは紛れもなくワインをすすめた青年だ。

「悪いね、アンタに個人的な恨みはないんだが、叔父からの命令でね」

見下ろす冷たい瞳に最早好青年の面影は微塵も無い。
青年の合図で数人の男たちが部屋の奥から立ち上がる。
いずれも会場で見た顔ぶれだ。
動けぬまま彼等に取り囲まれ、何本もの手が伸びてくる。

なまえは身を捩るが、薬のせいで骨が抜けたみたいに身体に力が入らない。
まずい、どうする。

「っ、は、なせ…!」

咄嗟に襟元を掴んだ手を噛んでやろうとして重たい首を起こした時、開いた扉から光が差し込んだ。

ぬらりと立つ人影に男達は硬直した。
暗い室内でも浮き上がる透き通る金髪と青い目。

「ここに居たのか…帰るぞ、なまえ」

冷たい炎の揺れる瞳は静かにこの危機の終焉を告げていた。






馬車の中で再び意識を失ったなまえは、ガタリと車輪の止まる音で目を覚ました。

「なまえ、起きれるか」

起きれます、自分を覗き込む上司に返事をしようとしたが、上手く口が回らない。

エルヴィンはその様子に返答を待たず彼女を軽々抱えると、驚く出迎えの兵士への労いもそこそこに団長室へ向かった。

執務室の応接ソファになまえの体を投げ出すと、自身も脱いだ上着を背もたれに掛ける。

「だんちょ…」

腕に力を込めるも、まだ薬が抜け切っていないのか上手く起き上がれないなまえの肩を制し再びソファに寝かしつけた。
くたりと横たわる部下を見下ろす表情は冷たい。

なまえは空気が一変したのを感じ取ったが、不自由な手足でどうすることもできず恐る恐る見上げた。

「やはりミケも連れてくるんだった」

上司は自分に言い聞かせるように呟き片膝をソファに掛ける。

「命令と、言わなければいけなかったか?」

膝頭がなまえの足の間に滑り込み、目前に青が広がった。

「私は確かに言ったはずだ。離れるなと」

「それは…」

淡々とした口調に普段のからかいの色は無い。追及に口ごもる彼女にエルヴィンは続けた。

「今日の支援者は憲兵団に乗り換えようする動きがあった。調査兵団を切るために何を仕掛けてくるか分からない。」

「さ、先に言ってくれれば…」

往生際悪く吐いた言い訳も一刀両断する。

「伝えたら涼しい顔で挨拶回りが出来たか?君の性格上、こないだの報告会のように噛み付くだろう」

図星にぐうの音も出ない。
なまえは久々に怒りを顕にする上司を目の当たりにした。
いや、ひょっとしたら怒りではないのかもしれない。

「失望、しましたか」

彼に嫌われることに対する不安か、自尊心の崩壊への恐怖か、自分の声は情けない程か弱い。

ここに来てしでかしたことの重大さに、なまえの瞼は震えた。

「違う、心配しているんだ」

筋の通った鼻先がぐっと近づく。視界を埋め尽くす瞳の奥底には仲間への深い親愛が見えた。

「…すみませんでした」

素直な気持ちが口から零れる。
人をおちょくり煙にまいたかと思えば真正面からぶつかってきたり、本当に捉えどころのない人だ。
ただ、慈愛の情は見間違いではない確信があった。

「…謝らなくていい。それからもうこんな思いをさせないでくれ」

「はい…」

穏やかな声音が、すとんと耳に落ちる。細められた瞳になまえは自省の念で一杯になった。

エルヴィンは部下の内省を確認して解放しようと脚を引きかけたが、ふと思い出したように再度彼女を組み敷く。

「ああでも…君は利かん気だからな…命令違反の懲罰くらいはしておこう」

「は、」

なまえが口を開く前に首筋に唇を埋め、そのまま強く吸い上げる。

「っ、」

頬に触れる髪のくすぐったさや湿った口唇の感触が生々しく、なまえはきつく目を瞑った。
何よりいつかの報告会で嗅いだ、性悪な彼のものとは思えない優しい匂いが鼻をかすめて、かっと頬が熱くなる。
鳩尾の一つも蹴り上げてやりたいが、生憎薬の効力はしぶとい。
彼女が抵抗できないのをいい事に、エルヴィンは仕上げに軽く噛み付いた。

「いっ、たぁ!」

不意打ちにじわりと涙が滲む。

「その痕が消えるまで、せいぜい冷やかされておけ」

唇を離した上司の顔は悪戯少年のそれで、やはり反省なんかしてる暇があったらもっと困らせてやるんだったと猛烈な後悔が襲う。

「最低!!」

なまえの叫びは深夜の団長室に虚しく響いた。

そしてエルヴィンの思惑通り、目立つ場所に付いた淫らな印は暫く同僚に囃し立てられる羽目になるのだった。








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