ある、春の日の治部屋敷
春、大坂城下―石田屋敷。
その日、屋敷の主である三成は登城してまでしなくてもいい職務をひたすら黙々と片付けていた。
「ちょっと、待って下さいよ。殿にお伺いたてずに通す訳にゃいきませんからね」
春らしく鶯の泣き声が聞こえる以外、自分が文字を書く筆が紙の上を滑る音のする場に廊下を歩く二人分の足音と前を歩く者を制止する、石田家筆頭家老島左近の声が響いた。
「大体、殿に何の用です?伊達さん」
「伊達?左近、伊達とは伊達政宗か?」
筆を滑らす手を止め小さく溜息を零し、左近が止めてくれるだろう侵入者の名に立ち上がり戸を引き廊下へ顔を出した。
「馬鹿め、それ以外に誰がおると言うのじゃ」
「何の用だ?」
「貴様、兼続と恋仲と言うのはまことか?」
「…何故、貴様にそんな事を言わねばならんのだ。関係ないだろう」
馬鹿らしいとばかりに三成は鼻を鳴らし室内へと向き直り、左近へ政宗を屋敷から出せとばかりに軽く片手を振り下がろうとした。
「言えぬとは、真実と…」
「殿、直江さんと恋仲とは一体どういう事です?」
「お前もか…。ふん、暇人共の最近の噂だ。だが、兼続から不義の山犬が欝陶しい故に適当に流してくれと頼まれていたのだよ。良い機会だ。兼続には幸村がいる、政宗…諦めるのだな」
執務の邪魔だとばかりに口早に言い切り後ろ手に戸を閉ざし、文机に戻ろうと足を踏み出した瞬間後ろからすぱーんっと小気味よい音をたてながら戸が開いた。
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